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読書日記。『玉の輿猫』
先日読んだ『お江戸けもの医 毛玉堂』(泉ゆたか著)の続編を読んだ。
舞台は江戸時代だけれど、内容はまんま現代に当てはめられる。ブラックな繁殖産業、人間の身勝手な繁殖による奇形、躾という名の暴力…。
読みながら、過去の経験があれこれ甦る。
かつて愛犬雑誌のライターをしていた。10数年前に廃刊になってしまったけれど、純血種ブームの中でそこそこ部数が出ていたのではないかしら。月刊誌の取材・執筆と併行して、同じ会社で製作する犬種毎に特化したMOOK数冊や老犬介護の書籍にも携わらせてもらった。
犬たちと暮らしていたわたしには、取材内容の全てがリアルに返って来る。
ブリーダーやドッグトレーナーやドッグフード業界の現実に触れて絶望感を味わったり、獣医師の人間味に触れて苦笑したり、盲導犬の一生に触れて苦しくなったり、一般の愛犬家たちの深過ぎる愛情に驚愕したり…。
最愛のパートナーである彼らにとって何が最良なのか。何度も考えさせられたし、悩んだ。
去勢や避妊の是非、躾の程度、病気の治療…などなど、人間と暮らすために犬たちが強要されること、逆に、人間と暮らしたからこそ手に入れられる幸せは、秤にかけられる訳ではないし、正解はわからない。
そもそも、彼らは、苦しいとか、辛いとか、悲しいとか、寂しいとかを、言葉で伝えられない。人が慮るしかない。言ってくれたら助かるのにと思う気持ちと、言われたら耐えられないかもという気持ち。うれしいとか、楽しいとか、美味しいとか、そばにいたいとかは、表情やしっぽや全身で表してくれるからわかる。その姿が、たまらなく愛おしい。いいとこ取りの、人間側の勝手だよね…。
わたしは9歳と3歳の2頭の愛犬を連れて帰郷した。
都内ながら緑が多かった世田谷の住まいも彼らにとってはそんなに居心地が悪くなかったと思う。自然だらけの故郷も悪くはなかっただろう。でも、どちらも一長一短。
実家はバリアフリーではないし、エアコンもない。地方の動物病院の医療設備は充実しておらず、他の獣医師のセカンドオピニオンも得られない。冬は豪雪のせいで散歩ができない。ただ、留守番が減って一緒に過ごせる時間が増えたこと、散歩の時間が伸びたこと、は良かったのかな。
とにかく、環境は大きく変わった。それでも彼らはいつも笑顔でわたしに寄り添い、最期まで信頼して、命を委ねてくれていた。
『玉の輿猫』には、犬、猫、鳥の患者が登場する。が、病んでいるのは、動物以上にパートナーである人間だ。その人間が己を見つめ直して改めることで、人生の伴走者である彼らも一歩幸せに近づく。
これだよね、これ。だから、犬が、動物が好きなんだよね。