疑うのは簡単なのに、信じ続けるのは難しい。
信じ続けるって、とても難しい、と思う。
疑わないって、なかなか出来ない、と思う。
だから、信仰心ってすごいな、強いな、と思う。
揺るがないもの。貫くもの。深いところにあるもの。
熱くも冷めたくもないもの。平静や平穏を保つもの。
魂のきらめき。一筋の明かり。道を照らすもの。
迷いや疑いや弱さで自分がぶれそうになった時、
真ん中に引き戻してくれるもの、なのかな。
堪える。耐える。というネガティブ思考ではなく、
赦す。受け入れる。というポジティブ思考。
信仰心の薄い自分にはわからないけれど、
凪いだ海のように静かな波音の世界、なのかな。
寄せては返す波の数は1分間に18回。
それは人の1分間の呼吸の数で、その倍が体温で、
さらにその倍が脈拍数。人も自然の一部。
と、30年近く前に沖縄のガイドさんから聞いた。
人の一生なんて自然の中では点ほどでもない。
あっという間に終わってしまうんだから、
自分らしく生きて死にたい。
そんな死生観を見事に表してくれる青年が現れた。
否が応でも目や耳に届く言葉に惑わされず、
ひたすら謙虚に笑顔を届け続ける彼に出会って、
正しい信仰の意味を知った。
間もなく母の一周忌。そして、愛犬の一周忌。
この一年、お寺に行く機会が増えて、仏教に触れて、
救われる、という感覚を何度か体験した。
浄土真宗大谷派の本山である東本願寺で、
お寺に貼られた言葉にぐっと心をつかまれたり、
荘厳な本堂の静寂の中でずっと自問自答したり。
失くしたものの大きさに打ちのめされて、
あまりに深い悲しみに押しつぶされて、
何も見えず、何も考えられず、ひたすら逃避した。
現実から逃げて逃げて逃げて、一年。
京都が好きで季節ごとに通っていた頃、
お香にはまってさまざまなお寺のお香を買い集めた。
好きな香りを家で焚くと心が安らいだ。
いまは仏壇に供えるために毎日焚いている。
お香の煙は故人の食事だという。
毎朝、尊い香りを父と母と共にいただく。
なくなったらまた京都に買いに行こう。
信仰心の篤い青年の紡ぎ出す音楽と、
お線香と、旅、で浄化された一年。
好きなものがあるって幸せ。
自分を好きならもっと幸せ。
息子ほどの年齢の彼に教わった。
じゃんじゃん降り積もる雪を眺めつつ、
「週末、仙台に無事行けるだろうか」と不安な朝。
神様仏様ご先祖様、どうかどうか…。
心の置きどころを仙台で見つけて来る予定。
しかし、雪、降り過ぎ、積もり過ぎ。
おお、ラジオから『grace』が流れて来た。
彼の存在が grace だよね。
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