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春彼岸に聴きたい、軽やかな『帰ろう』。
Netflixの風くんのパナスタLIVEの配信を視聴リピート中。
配信直後の深夜にベッドでiPadで、パソコンのフルスクリーンで、キッチンでiPadで、映像を観ずにイヤホンで…。
2022年10月16日、あのスタジアムにいて、この目で観て、耳で聴いて、肌で感じたはずのLIVE。
舞台下手寄りの高い高いスタンド席から見えた限られた視界とは違い、空撮含め、あのLIVEの魅力を余すところなく見せてくれる映像に心から感謝している。素晴らしい臨場感。
繰り返し聴いていると、毎回、新しい気づきがある。映像を観ると、どうしても風くんの尊いビジュアルに心を奪われてしまうのでw、音だけ聴いてみたら、このLIVEの凄さがさらにビシバシ伝わって来た。
いろんな国、いろんな時代の音楽へのリスペクトを感じるバンドアレンジと歌唱法。清らかで軽やかで温かな風くんのピアノと歌声(当日の会場でもいちばん胸が震えた場面)。“日々アップデート” 宣言している彼らしい挑戦の数々。LIVE後に「今自分ができることをやり切った」と語っていたっけ。
とは言え、その2ヵ月後から、さらにアップデートしたツアーをやってのけた訳だけど。彼はスーパーマンか。どんだけ才能の引き出しがあるんだ。天賦の才能に加え、民謡や演歌まで幅広く弾いて歌って経験を積み重ねた結果なのか。
高校卒業後の3年、上京してデビューまでの1年、デビュー後の3年。急カーブを描いて飛躍的に成長していく風くんを見ていると、世の中の多くの凡人(わたしとかね)は圧倒的に努力と踠きが足りないんだと思い知る。天才は凡人の何万倍も心血を注いでやりたい事を極め続けているのよね。
昨日は3・11だった。当時13歳の彼は、どんな思いで過ごしていたのだろう。配信がその前日であることに意味はあったのか。
2011年春、震災のひと月後、わたしは30年以上暮らした東京を離れて故郷に帰った。もうすぐ12年になる。
去年(2022年)『LASA』のアルバムがリリースされた頃は、家族を立て続けに失くした直後で、虚無感の真っ只中にいた。そういう時には尚更沁みる風くんの音楽。前作同様、どの楽曲もじわじわと心の奥底まで届く。ダウンロードしたアルバムを聴きながら、弘前公園の満開の桜を眺めたりもした。旅に出た先々でも聴いた。この一年、聴かない日はほぼなかったと思う。
2020年のデビューアルバムもそうだった。手にしたばかりの頃、『帰ろう』を聴きながら歌詞を読んでいたら、とめどなく涙が溢れて来たのを思い出す。あの歌は、世間があまりに深く受け止めて讃美、高評価したため、本人にとって重圧になったとも聞いた。死生観云々と言っても、当時まだ22歳の若者だもんね。
パナスタのLIVEの『帰ろう』はレゲエアレンジで、軽やかで、けれど決して軽々しくはなくて、心がほんわか温かくなる。でも、結局は泣いてしまうんだけどw。間もなく春彼岸。この季節にぴったりだなぁ、と。
LAATのセットリストに『帰ろう』はなかった。12月18日の宮城公演は、その代わりのように『それでは、』が入っていた気がしていたんだけど、幻だったんだろうか(聴きたいと思っていたので幻覚を見たのかもw)。
さて、今日もLIVEの音を聴こうかな。