好きなことを仕事にして食べていけるか。
この話、帰郷してから、東京在住のアーティストの知人と何度かしたなぁ。
と思い出したテーマを描いた短いコミックがこちら↓
イラストレーターになりたい女子高校生と美術教師(絵を描く仕事と二足の草鞋を履いている)の進路に関する会話である。
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在京中は無我夢中で働いていたので考えたこともなかった。依頼があれば、とにかく片っ端から引き受けて、自分ができるベストで応え続けたつもり。
バブルの終わりくらいにライターを始めたので、紙の本はまだ広告収入があって元気だったし、PR媒体も制作費が潤沢にあった。いい時代にスタートを切れて幸運だったと思う。特に、大手出版社の雑誌から仕事を始めたので、紹介紹介で仕事が増えるという、ありがたい環境に身を置いていた。
30代後半から、とある老舗百貨店のPR媒体の編集に関わることになり、記事が売り上げや集客という結果に反映される面白さに目覚めた。11年目にはコンペの末、編集長の役目(名ばかりでやる事は従来通り)を与えてもらい、雑誌の仕事からは離れ気味になっていた。
そんな中、家族の事情で2011年に急遽帰郷。何の根回しもせず帰って来たので、仕事も収入も1/10くらいに減るのは仕方ないと思っていた。が、それどころではなく、0以下からのスタートだった。東京は特殊な場所だったんだなぁ、と痛感。
そもそも「ライターってデザインする人のこと?」と訊かれるほど、認知度の低い職業。つまり需要もほとんどないということ。そんな再出発。
東京の編集者の友人に状況を愚痴ると「東京にいたって出版社は特殊な世界なんだから、田舎じゃ仕方ないよ」と慰められ、優しい編集者は地方にいても書ける書籍紹介のページを振ってくれた。
その後、地元の制作会社複数から行政関連の媒体の仕事をいただくようになり、細々と続けていたライター業。しかし、コロナ禍の予算削減でとどめを刺され、今はほぼ廃業状態。
WEB記事全盛の昨今、どこに住んでいても執筆の仕事はある。地方暮らしを言い訳に出来なくなった。未経験者でもすぐにできる仕事から、専門知識を生かす仕事まで多種多彩。本気でやろうと思えば、できるはず。
書くことは好きだ。書いてお金をもらえる仕事が好きだ。寝なくても、休めなくても、仕事があるのが嬉しかったし、完成させるのが楽しかった。評価という誇りもあった。報酬という励みもあった。
いまはどうかなぁ…。
東京にいて現役で活躍する同世代の仲間を見ていると、やっぱり地方じゃできないこともあるよねぇ、とぼんやり考える。
帰郷してから数年は、故郷での不遇にやさぐれて「好きなことを仕事にしても幸せじゃない」と吠えまくっていた。『食べていける事=満たされていること=幸せ』という自分なりの図式があったので、あんなに頑張って稼げるようになったのに、振り出し以下に戻るなんて不幸だと嘆いていた。
でも、一周回って(干支が一巡りした)、ま、いっかの心境。
1週間で睡眠10時間なんていう無謀な日々を過ごすほど、本気で仕事にのめり込んだ時間を宝物に、ぼちぼち日記でもつけながら静かに暮らそう。
タイトルへの答え。本気を出せば、食べては行ける。でも、食べ続けられるかは、また別の話。どこまでも諦めず、努力を怠らず、前進できる人なら大丈夫なんじゃない、かな。
画像は、自家製のブルーチーズケーキ。美味しいよ。お皿はこぎん刺し模様。可愛いよ。