読書日記。『サイレント・ブレス』。
昨日、定期検査の待合室のお供に持参した『サイレント・ブレス 看取りのカルテ』読了。「病院で読むのはどうなの?」というタイトルだけど、まぁ気づく人はいないでしょ。
作者の南杏子さんは大学卒業後、出版社勤務を経て、再び医学部に入り直して医師になった方。そして小説家でもある。
高齢の母の治療について色々悩んでいた頃、何か縋るものが欲しくて、現役の医師が書いた、医師が主人公の小説を立て続けに読んだ。そのうちの一人が南さん。同性で年齢も近いため、描かれる親との関係性や、その死との向き合い方がリアルに感じた。それは今回も同じ。
親を看取るためにUターンしたわたし。覚悟はしていたつもりだった。でも実際はそんなに単純に事は運ばなかった。
老衰の大往生でない限り、病を抱えた親の最期を目前に、提示された選択肢の中から何を選ぶのか。本人の意思表示がきちんとある場合以外、考えをまとめ、心を整理するのは本当に本当に難しい。常に迷い、乱れ、揺らぎ、悲しみ、怒り、やがて諦め、己の無力さに打ちのめされる。
でも、それは命を救うことを仕事に選んだ医師や看護師も、病人や高齢者の介護に携わる人達も、根っこの部分では同じなのかもしれない。南さんの小説はそう思わせてくれるからホッとする。
今回は、読み終えた後、あの頃の胸をぎゅっと締め付けられ続けるような痛みとは違い、心の底に重く溜まったままの澱を見つめ直した感じ。後悔は尽きないし、悲しみも癒えない。その時々はベターだと思えた選択のいずれもが間違っていたような罪悪感に苛まれる。
死はゴール。自分のことなら、この言葉は納得できる。けれど、そこに向かう自分以外の人(特に家族)に冷静で後悔のない伴走をするなんて果たして可能なのか。
よく思い返す。
あの時の判断は、一体、誰のためだったのか。自分か、医療従事者の方々か、介護従事者の方々か。最も大切であるはずの本人のため、ではなかったのではないか。
終盤に書かれた、主人公の女性医師(訪問クリニックに在籍)と、彼女の父が入院した病院の副院長との会話が真骨頂。いい病院だと世間の評判が高いその病院には副院長の母も入院している(と、本人が自嘲気味に言うのが好き)。多くの人を救いたい医者としての思いと、一人の子どもしての思い。ぽつりと漏らす本音。
その副院長に、母がお世話になった病院の最後の主治医の姿を重ねた。いい先生だったな。
そうそう、主人公の医療パートナーである男性看護師のキャラクターもとてもいい。わたしの人生初入院・手術の担当看護師は若い男性だった。女性患者だけの病室の担当。彼にとっても患者にとっても、看護師という職業で性別の壁を乗り越える貴重な機会になったように思う。
主人公にとっては父、その母にとっては夫。それぞれの思いが重ならない部分にリアリティを感じる。乳がん、筋ジストロフィー、膵臓がん…病名も年齢も性別も地位も異なる登場人物たちの死への向かい方も、現場を知っている人の視点だなぁと思う。
サイレント・ブレス。安らかな死。理想の逝き方、送り方。
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