誰のためでもない人生の心許なさ。
自由業歴は35年、独身歴は生きた年数分。
年金世代になっても、お気楽ご気楽なおばちゃんとして生きている。
高校卒業後に上京し、
「誰かのため」ではなく、ひたすら自分のやりたいことを追い続けた。
12年前、「家族のため」という使命感で、
30年以上暮らした大好きな東京を離れて、実家に帰った。
息苦しくて逃げ出した田舎だけれど、図太くなっていたので平気。
そこから10年以上、「家族のため」という言い訳があった。
仕事がなくても、雪かきや雑草むしりに追われるだけの日々でも、
「家族のため」だから仕方ない。
でも、その言い訳がなくなって、
宙に浮いたというか、ブラックホールに吸い込まれたというか、
生きる意味や理由や向かう先を見失ってしまった。
彷徨っても彷徨っても、足掻いても踠いても、見つからない。
埋められない虚無感とともに早一年。
自分のためだけに生きるって、こんなに難しかったっけ。
何をやっても誰にも迷惑がかからない。
いつでもどこにでも何日間だって出かけられる。
自由を取り戻したのに、ただただ虚しい。満たされない。
誰かがいた時の孤独と、誰もいなくなった時の孤独は、
全然質の違うものなんだなぁ、と知った。
天涯孤独の方たち、ごめんね。ようやく少しわかった。
家族に愛されて、犬たちに愛されて、満たされていたから、
一人でいても寂しくなかったんだなぁ。
本当の独りぼっちは、こんなにも心細くて、淋しい。
今朝、瞑想の間、愛しい彼(わんこ)の笑顔が何度も浮かび、
ああ、彼はこの空間が好きだったよねぇ、と。
窓辺の日向、ストーブの前、壁際のベッド、そこかしこに彼。
そっちから見守ってくれてる? ここにいて欲しい?
わたしが守るべきものは、まだ、ここにあるのかな。
今日は、母と、愛犬の月命日。
そして、彼岸の入り。
風くん聴いて、お寺に行って、今日も生きなくちゃ、ね。