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フルーツの宇宙、木星の瞬き

 あーあ、宇宙ってどんなところなんでしょうね。
 なんか宇宙ってちょっとフルーティな甘い匂いがするらしいですよ。
 めっちゃよくないですか?それ。

 世の中ってあまりにも、それはもうあまりにも現実的すぎるから無機質な情報とか愛や救いのない話はもうお腹いっぱいです。だからこういう情報だけを摂取して生きていたい。甘い匂いの中を漂いながら宇宙で昼寝したい。
 そう思ったわけですね。まあ現実逃避です。
 というわけで今日はめっちゃ現実逃避します。
 レッツゴー

 宇宙の話で思い出しましたが木星って教科書とかで見ると綺麗だし、夜空に見える時もすごく明るく綺麗なのに、高画質画像で見ると何とも言えないおぞましさがありますよね。

あの斑点が瞬きしたらもう地球終わりですよ

 一方その頃木星から7億4054万km離れた地球に住まう人間。彼らはすぐに「そんなことないよ!この地球には夢と希望が溢れてる!」などと言うわけです。いや分かります。夢とか希望、あります。
 でも夢や希望は近づくと思ったより夢や希望の形をしていないことが多いんですよね。そう、それはもう木星のように。遠くからは煌めき輝く星も、近づいてみると意外とおぞましかったりするわけです。


 そしてその愚かな人間の中において現実逃避なんて非生産的なことをしているもう一つ上の愚かな僕がいる、というわけです。

 僕が今こうして無為に天井を眺めている間に……あの人は……と今まで出会った人たちが今何をしているのかを考えた時、同じ時間軸の中に色んな生活が同時進行しているということと、僕が見えている世界は一つしかないということが昔からとても不思議に思います。

 僕は夜景を見るのが好きなのですが、そういうのを見る度に「綺麗だな」の次に「この光の一つ一つに誰かの人生があるのか」と思うのです。

 実はこの世界は僕を主人公としたゲームの中で、僕が見ていない間に他の人たちはリソース削除のために実は動いてなどいなくて、データだけが更新されているのだとしたら……とか考えたりもしましたが、どうやらそんなことはなさそうな気がします。

 とても不思議なことです。
 これまでたくさんの時間の中でたくさんのものを見て、聞いて、話して、感じてきたわけですが、それと同じような「人生」が自分以外にも大量に当たり前に存在するわけです。

 プレイアブルキャラクターは紛れもなく「僕」しかいないわけですが、出てくる登場人物の向こう側にも「僕」と同じかそれ以上の「人生」があるのです。
 僕は僕のストーリーモードを20何年かけてクリアしながらここまでなんとか来ているわけですが、目の前の人も同じかそれ以上に別のストーリーモードをクリアしてきているわけですね。
 この世界がゲームの世界ならすごいサーバーがあるに違いありません。


 僕が人を否定することがあまり好きではないのは、今目の前にいる人の主張や矜持は、そういったその人自身の膨大な人生の積み重ねの上に成り立っているのであって、全く根拠や理由のない空っぽなものではないと思うからです。そしてそれを否定するに足りるほど僕はこの人のことを知らないと思うのです。
 だから「間違っている」ではなく「僕はこう思うよ」と伝えるようにしようと、そう思うわけです。これがまた難しいのですが。

 最近、人と人との関係性にとってリスペクトってすごく大きいなと感じます。友人、恋人、家族、仕事仲間、全ての人間関係においてリスペクトのない関係性は上手くいかないというより長続きしない気がします。あくまで自分の経験則上ですが。


 なんか結局めっちゃ現実的な話になってしまいました。
 でも宇宙も現実ですよね、だって今この瞬間、僕らの現実の頭の上に広がっているわけですし……。
 じゃあ現実的じゃない話ってなんだ?
 あれかな、生まれ変わったらガールズバンドがやりたい、とかそういう話?でも生まれ変わった先にもまた果てしない現実が広がっているわけですし……。

 宇宙の話に戻りますが、宇宙空間って音が聞こえないらしいです。
 僕は何かしらの音が聞こえないと寝れないので、これでは昼寝、できませんね……。やっぱり救いはありませんでした。

 さて、それでも人生は続いて行くわけなので、そろそろ現実へ戻らなければいけません。いくら現実逃避をしたところで本当に逃げられるわけではないのです。所詮は目を逸らしているだけだからです。


 現実の奴はいつも
 みんなの背後にいるのです。



 ほら今
 これを読んでいる
 あなたの背後にも……。





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