鈴木寝首

脚本家 公務員を退職し2022年より執筆活動を始める。 主に舞台脚本を手掛け 「海の旅…

鈴木寝首

脚本家 公務員を退職し2022年より執筆活動を始める。 主に舞台脚本を手掛け 「海の旅人バーレスク」「お化けませんか?」「ハラスメント×ハラスメント」 などを執筆。 また「時空少女ピピ2」の劇中歌「Shining Stars」の作詞なども担当している。

最近の記事

好きだった、嫌いだった

 歴史が好きだった。  幕末の歴史が好きな父の影響で、家にあった本を読んでいたら気がつくと自分も好きになっていた。  特に好きだったのは桜田門外の変。  時の大老井伊直弼を討ち取った、わずか18人の浪士たちが明治維新という大きな歴史の転換の起点となったという事件に対する僕の興味は、吉村昭先生の「桜田門外ノ変」を読んでからさらに加速した。  それから、僕はその18人の浪士全員の名前を覚えたり、初めて東京に行った日にまず最初に桜田門へ行ったりと「好き」を原動力にたくさんのことを

    • パラレル・バタフライ

      「後悔しても現状は変えられない」  社会人として働き始めた時に先輩から言われた。 「だから考えても仕方ないよ」そう付け加えて励ましてくれた先輩の言葉に僕はかなり救われた。こんな単純なことに、言われて初めて気がついた。後悔だらけだったたくさんのことが、小さな泡となって少しずつ溶けていくような感じがした。  それでもやっぱり僕は後悔している。たくさんのことを。「考えても仕方ない」。そう思いながら、たくさん後悔している。もうどうしようもないことばかりのガラクタの山を見て「あーあ」

      • 印象に残っている100分の10冊(後編)

         続きです。 ⑥GO/金城一紀 民族問題というセンシティブなテーマをあまり感じさせない淡々とした文体に高校生の主人公の純粋さが垣間見えます。しかし、それでもその純粋さに似合わない「人種」という生温かいものが作品を通して泥のように付き纏っています。  この作品は「在日朝鮮人」と「在日韓国人」という線引きすら知らなかった10代の自分に、彼らの輪郭を確かに感じさせてくれた作品でした。  「人種」という感覚に違和感を覚えつつも、主人公はあくまで普通より少しやんちゃな高校生。だけど、

        • 印象に残っている100分の10冊(前編)

           高校生の頃から付けている読書記録が100冊になったので、その中でも特に印象深かった本を紹介いたします。  前編の今回はその中の5冊です。 ①アヒルと鴨のコインロッカー/伊坂幸太郎 高校生の時にタイトルに惹かれて購入した伊坂幸太郎先生の本。  主人公椎名と、ペットショップの店員である琴美の2人の視点が交互に繰り返されながら進む、いわゆるカットバックという手法で話は進みます。  伊坂幸太郎先生は僕がこの100冊の中で作者別で見た時に最も読んだ作家さんなのですが、結局この本に魅

        好きだった、嫌いだった

          普通に事故ったカボチャの馬車

           私の名前はシンデレラ。自賠責保険には入ってません。  ……これ、どうしよ。  私をお城と王子様の元へ連れて行くはずだったカボチャの馬車は、月明かりに照らされた沿道の木にぶつかって情けなく白い煙を吐いている。  この煙は何?  大丈夫なやつ?  爆発とかする?  っていうかガソリン車なのこれ?  しばらく様子を見たけれど、目の前の惨状に変化はない。少しカボチャの香ばしい匂いが漂ってきただけだ。  あれ?ということは焼けてる?……考えても仕方ない。とりあえずこの馬車の持ち

          普通に事故ったカボチャの馬車

          水風船ボンバーマン

           すっごく些細なことで心と頭がバン!と弾け飛んで粉々になり、ひらひらと風に舞う自分の破片を必死になって拾い集めたこととかありませんか?  結局拾い集めてもつぎはぎだらけで歪な自分が出来上がるだけで、2度と元には戻れないのですが。  なんだかんだそのまま生きてきたりとか、しますよね。  で!おるんですよね  こういうことがあると 「メンタルが弱い」  とか言う奴!待てやコラァ!  例えば、例えばですよ?  99の言葉に対して平気な人が、たった1の言葉でそうやってばらばらに

          水風船ボンバーマン

          地獄の沙汰も狂気次第

           生きるって狂気ですよ。正気の沙汰じゃとてもやってられんです。  実は狂ってるように見える人ほど正気なんじゃないかと思ったりしませんか?狂っているのは実は僕らの方で、彼らの方が正気に戻ってしまったのだとしたら……!  こうして救いを求めて開いたSNSには、これでもかという現実の情報がネットという砂漠の地平線の果てまでばーーっと広がっているわけです。  やれブスだとかイケメンだとか  やれ巨乳だとかデブだとか  やれ世界は終わりだとか希望はあるとか  なんじゃこりゃ?

          地獄の沙汰も狂気次第

          フルーツの宇宙、木星の瞬き

           あーあ、宇宙ってどんなところなんでしょうね。  なんか宇宙ってちょっとフルーティな甘い匂いがするらしいですよ。  めっちゃよくないですか?それ。  世の中ってあまりにも、それはもうあまりにも現実的すぎるから無機質な情報とか愛や救いのない話はもうお腹いっぱいです。だからこういう情報だけを摂取して生きていたい。甘い匂いの中を漂いながら宇宙で昼寝したい。  そう思ったわけですね。まあ現実逃避です。  というわけで今日はめっちゃ現実逃避します。  レッツゴー  宇宙の話で思い出

          フルーツの宇宙、木星の瞬き

          這い寄る混沌の中からあなたを見つけたい

           SNSってすごくないですか?  僕は結構いい世代に生まれたなと思っていて、今では当たり前にあるSNSとかスマホの黎明期に中学生くらいだったおかげで現在まで一緒に成長してる感じが少しあります。(僕が成長できているかは置いておいて)  携帯を持ち始めてなんとなくその機械のシステムを理解し始めたと同時にLINEみたいなSNSも出てきて、ガラケーでそういうSNSをある程度理解し始めたころにスマホが出てきて、ちょうど変え時くらいで、ナチュラルにスマホに移行、みたいな。だからSNS

          這い寄る混沌の中からあなたを見つけたい

          オタクに美容室は難しい

           3カ月ぶりに美容室に行きました。  美容室は嫌いじゃないです。美容師さんはだいたい優しいので。優しい人が好きです。でも一つだけ苦手なことがあります。    ある程度終わった後の「いかがですかー?」に対して、これが最適解なのかまだ可能性があるのかが僕には分かりません。  おそらく美容師さん的には「私はこれで良いと思いますけど、お客さんはどうですか?」ということなんだろうけど、お客さん(僕)はもうあなたに全ブッパです。あなたにオールを任せました。だからあなたが良いなら良いんで

          オタクに美容室は難しい

          くだらない話をします

           春だというのに、相も変わらず日常アニメの描かれない部分みたいな日々を過ごしている。どこかで桜が満開になって、どこかで入学式が行われていて、どこかで誰かが恋に落ちて、どこかで野球選手がホームランを打って、どこかで戦争が起きている。そして僕は真っ白な天井を眺めている。春だというのに。  身体が重い。いたって健康であるので最近少し太ったせいだろう。そしてそれを起き上がらせる気力もなんだか湧かない。脳みその思考回路にエラーが起きているみたいに、何かを考えようとするのを拒否する。天井

          くだらない話をします

          木の下で本を読むことに憧れていました

          僕は今公園にいる。 遊びに来たのではない。この歳になって逆に全力で公園の遊具で遊んでみるのも楽しそうだなと思うけれど、あれは子どもの特権だ。子どもの特権を大人が侵害するとそれは「不審者」となる。  なんとなく大人になると全てが許される気がしていたが、そんなことはなかった。  青というよりは水色の中に、わたあめみたいな白い雲が散らばった空の下を、まだ少し残った寒さが遠慮がちな日差しに温められて、ふわりと優しい風になっている。心地よいBGMのように鳥の囀りが聞こえてきて、芝生

          木の下で本を読むことに憧れていました

          人にやさしく「ガンバレ」と言う

           作業中に流しているラジオから 「ガンバレってちょっと無責任ですよね」 と言っているのが聞こえた。確かにそうかもしれない。  「ガンバレ」って言葉はすごく使いやすいけどすごく難しい。ずっと違和感があった。だって「ガンバレ」って言われる人は往々にしてもうすでに何かを頑張っている最中であることが多くて、そんな人に頑張れと言うのはなんだか急かしているようにも、今までのその人の頑張りを軽視しているような気もして失礼な気がする。それ以外にかける言葉が思いつかない己の語彙力へ敗北宣言を

          人にやさしく「ガンバレ」と言う

          理科室の椅子が怖かった

           日当たりの悪い北側の校舎の1階にあった中学の理科室はいつもジメっとしていて、冬の1時間目の授業の時なんかはとりわけ足元が寒かった。女の子たちはひざ掛けなんかを持参してその寒さを凌いでいたけれど、男子中学生の僕がそんなことをすれば一瞬で嘲笑の的になってしまうことは明らかで、いつもポケットに忍ばせたカイロを握ったりさすったりしていた。  理科室は教室みたいに一人に一つずつ机が与えられているわけではなくて、半円型の大きな机に出席番号順の4,5人で身を寄せ合って座る。実験の時なん

          理科室の椅子が怖かった

          今から泥の中であがくので見ていてください

          自分が「特別だ」と思ったことはあるだろうか。  僕はある。  それが「いつ、どんな時に、なぜそう思ったか」というように具体的に説明できるわけではないけれど、なぜか常に漠然とそう思っていた。  通学中の近鉄電車の車内、通勤中の信号待ち、気だるい朝の授業中、仕事の休憩時間、何の予定もない放課後のことを考える午後の授業中、残業中、その全ての些細な瞬間に、そう考えることで何者でもない自分を救っていた。  モラトリアムを経てちっぽけなアイデンティティを形成した末にゆっくりと心を殺して

          今から泥の中であがくので見ていてください

          手ぶらの2人

           高校時代という青春の代名詞がありますよね。  短いようで長くて、苦いようで甘くて、何もないように見えてたくさんのことがあって、些細なようで大事なたったの3年間。  今日はその青春時代の話です。  先日イオンモール橿原へ行きました。  奈良県の中南部に住む人なら一度は行ったであろう、めちゃくちゃにデカいショッピングモールです。  土曜日の午前中ということもあってか、どのスペースにも老人から子供まで、まさに老若男女問わず色んな人が色んな目的をもって集まっていました。  前回

          手ぶらの2人