
しあわせなら それでいい
先日、TOBICHI 京都で開催されている「幡野広志のことばと写真展」に行ってきたので、今日はそのことについて書こうと思う。
TOBICHI 京都とは、コピーライターの糸井重里さんが主催するウェブサイト「ほぼ日刊イトイ新聞 (ほぼ日)」が運営する店舗兼イベント施設である。
この催しは写真展であり、幡野さんは写真家だ。しかし、ただの写真展ではなく「ことば」も展示してしている。
そもそも「ことば」の展示ってなんだろう。なんで写真家なのに、「ことば」を展示するのだろう。そう疑問に思う人もいるかもしれない。
僕が幡野さんを知ったのは、「幡野広志の、なんで僕に聞くんだろう。」という人生相談の記事をたまたまTwitterで目にしたためだ。リツイートしていたのは糸井重里さんだった。
今や人生相談というお悩み解消コンテンツは、インターネット上に溢れかえっている。見知らぬ他人の人生相談を読むのがわりと好きな僕も、これまでたくさんの人生相談を目にしてきた。いろいろな経歴を持つ回答者が、大小様々な相談を受けている。しかし、その内容を読んで出てくる感想はいつも「へぇー」か「なるほどね」だった。
幡野さんの連載もいつものように軽い気持ちで読み始めたのだが、回答を読んで僕はとても驚いた。幡野さんは相談者の書いた文面から、びっくりするほど多くのことを読み取ってしまうのだ。そしてこんなにまで相談者に寄り添った回答を、僕は見たことがなかった。
幡野さんは相談に回答するとき、息子さんへ宛てたつもりで答えているのだそうだ。
もちろん相談内容によっては結構辛辣なことも書かれたりする。でも、どれもこれもがとてもやさしい。本当にやさしい人は、ちゃんと厳しいことも言ってくれるのだと思う。
そんなやさしい幡野さんのことばたちを、幡野さんの撮った写真とともに展示しているのが今回の写真展だ。
僕は、幡野さんが息子さんを撮った写真がとても好きだ。
いつかどこかで、写真とは被写体だけでなく撮影者をも写すものだと、幡野さんは仰っていた。僕はこれまで、そんなふうに考えたことなんてなかったし、当時はその意味もよくわからなかった。
しかし、幡野さんの写真の中には、嬉しそうに笑う息子さんと、それをファインダー越しに見つめる、優しさと愛に溢れた幡野さんの二人が、確かにいた。写真に写っているのは息子さんではなく、大切で愛おしい親子の時間なのだ。
幡野さんの連載を読んだことがきっかけで、著書も全て読ませていただいた。だから展示されていることばの多くは、たぶん既に目にしたことのあるものばかりだったと思う。
だが、写真と一緒に並んだことばたちは、僕の目にとても新鮮に映った。逆に写真から伝わってくる情報量も、これまで写真だけを見ていた写真展のそれとは明らかに違った。
写真がことばに、ことばが写真にいのちを与えているような、そんな感覚だった。
幡野さんのことばと写真に出会って、人生についていろいろ考えるようになった。両親のこと、結婚のこと、仕事のこと。それから、自分のしあわせのこと。
今、僕が目指しているしあわせは、自分が好きになった人といつか家族になって、その先の人生をパートナーとともに歩んでいくことだ。
幡野さんの本を読んで、写真を観て、僕の一番大切にしたいことが、ようやくわかった気がする。
人生の中で、幡野広志さんという写真家に出会えて、ほんとうによかった。
今週も読んでくれてありがとうございます。 見つけたしあわせのために、僕も歩んで行きます。