【ep1】帰国子女の女性フォトグラファー 第7話(群像の中のプロフェッショナル)
皆さん、ごきげんよう。橘ねろりです。
高層ビルが立ち並ぶ都会の雑踏の中―。
人々が急ぎ足で向かう混み合った路上の真ん中で、
ふと立ち止まってみたことはありますか?
通りすがりの大人たちは、一体どこから来て、
どこへ向かおうとしているのか―。
地方から進学してきた人、都会で仕事に励んでいる人、
外国から研修に来ている人、
または旅の途中の人や、人生休暇中の人…。
いろいろな人が行き過ぎるも、
きっと誰もが、何かに向かって進んでいる途中なのだと思います。
だから、そんな通りすがりの人々を呼び止め、あえて尋ねてみたいのです。
「あなたの夢は、叶いましたか?」と。
理想の人生を追い求めて、今どんなステージで活躍し、
そして何を目指しているのか。
「その足跡」と「これから」をインタビューするシリーズです。
【episode1】
人生は、なんという偶然の集まり!
~東京在住の帰国子女 女性フォトグラファーの場合~
第7話
アメリカの美術大学でパンダになる?!
進学した美術大学は、全米で最大規模の大学。
サンフランシスコの市街地にいくつものキャンパスビルが建っており、私が入った学生寮もサンフランシスコの中心部にありました。
初めて親元を離れて一人で暮らすことになりましたが、そんな立地の良さもあり、入学前から寮生活にとてもわくわくしていました。
いつものように、新しい場所に来たら、まずは友達づくりをすべし!
幼い頃からそうやって人間関係をうまく紡いできた私は、寮にいる各国の学生たちに積極的に話しかけ、交流会にも参加し、次々と知り合いを増やしていきました。
幸いにも、日本のアニメが好きな学生が多かったので、日本に興味がある人たちがたくさん話しかけてきてくれました。
入学前から寮の中でたくさんの友人をつくることができたので、ますます大学生活が楽しみになりました。
大学での専攻学科はフォトグラフィー。
人数は1クラス20人ほどで、日本人の在籍は私を含めて2人のみ。授業は、写真のクラスのほかにESL(英語)クラスや、大学の単位として必要な数学、アメリカ史、美術史などがあり、第3外国語としてフランス語やイタリア語なども履修しました。そして中間・期末には試験があり、試験の代わりに作品を提出する授業もありました。
授業で使うカメラは、日本から持ってきた一眼レフのフィルムカメラに加え、大学から貸し出してもらえるキャノンの一眼レフ・デジタルカメラを使用することにしました。ちょうどこの当時はデジタルカメラが勢いづいてきた頃で、先生たちもフィルム派とデジタル派の両派がいて、それぞれのカメラでの撮影法を指導していました。そのため、ファッションを撮影する授業などでは、生徒たちもフィルムカメラで撮るか、デジタルカメラで撮るか、それぞれ自由に選ぶことができました。
大学に入学して2カ月が経った頃、ハロウィーンのシーズンがやってきました。
私は小学生の頃に流行った「たれぱんだ」のキャラクターが大好きで、そこから動物のパンダにはまり、アメリカの大学に入って初めて自分自身がパンダになるという仮装に挑戦しました。スーパーマリオの衣装を手に入れたので、パンダのメイクで仮装し、友人たちとハロウィーン・フェスティバルに繰り出しました。その帰りには日本食のラーメン店に入り、みんなで仮装したまま食事を楽しみました。
翌日、私はお気に入りのパンダの帽子をかぶり、前日に入ったラーメン店へ一人で食事に行きました。すると、
「昨日来たパンダちゃんだよね?」
と日本人シェフから声をかけられました。
パンダのメイクを取っているのに、帽子にインパクトがあったのか、私が前日に来たパンダの仮装の客だと気づいたようでした。
それからは、店に行くたびに「パンダちゃん、パンダちゃん」と親しみを込めて呼ばれるようになり、ついには私もこの店でアルバイトをしたいと思うようになりました。
日本人シェフにアルバイトの希望を話してみると、早速マネージャーに話を通してくれました。すでに知り合いのような常連客だったからか、私は履歴書を出すこともなく、すぐに採用が決定!
「あなたがパンダちゃんね?」
「パンダ」のあだ名は従業員全員に共有され、お客さんの間でも「美大生のPANDA」と呼ばれるようになりました。
入学して3カ月後には寮を出て、アパートで一人暮らしを始めました。寮に入るのは最初の3カ月だけ、という両親との約束があったので、期限が来たと同時に寮を出たのです。
ところが、アパート暮らしを始めると、思わぬトラブルが起こりました。
アパートは、ユニオンスクエアが見える眺めの良い4階の部屋。
ある日、なぜか解体する音と振動が聞こえてきました。何ごとかと思って部屋の外に出てみると、4階と5階の住人がみな引っ越していて、私の部屋以外の部屋は全て内装の解体が行われているところでした。オーナーが変わったことは知っていましたが、知らないうちに新オーナーがリフォームを始めていたのです。
あまり家にいなかったので、まわりの人が出ていったことに気づかず、すぐにも引っ越し先を探さなくてはいけなくなりました。そこへ、タイミング良く他のアパートに住む日本人の友人が引っ越すと聞き、私はその友人の部屋に入ることで、なんとか次の家を確保することができました。
引っ越したアパートには、ラーメン店で一緒にアルバイトをする同じ美大の日本人男子学生も上階に住んでいました。
その学生はアドバタイジング(広告)を専攻していて、私と同じフランス語のクラスも取っていたので、一緒に登下校したりして仲良くしていました。
彼が広告の授業で写真が必要な場合には、私が撮影をしてあげていたので、彼が広告の賞を受賞したときには、私も写真提供者として受賞パーティーに参加したこともありました。
美大に通った4年間は、撮影技術だけでなく、さまざまな分野の学問に触れることができました。
授業の内容はカメラや写真の歴史に始まり、カメラ・レンズのメカニックな仕組み、写真の構図や光の入り方、ホワイトバランスの設定、Photoshopの使い方、写真の色を載せるプリント紙の知識など、フォトグラファーを養成するための講義で盛りだくさんでした。
また美大らしい授業としては、特殊メイクの授業や、銀板で指輪やネックレスを作るジュエリーアーツ、紙・糸・布を使って手作りのハードカバー本を作るブックアーツなど、アート寄りの楽しい授業もありました。
そして、卒業間際に受講できるファッション&ビューティーの授業は、ファッション・フォトグラファーを目指す学生にとって集大成のようなもの。私も一番楽しみにしていた授業でした。
現役のファッション・フォトグラファーが講師として招かれ、授業内容も、モデルへのポーズの指示や、服をきれいに見せるための構図など、プロから本格的な技術を学べます。学生たちも意見交換したり、自分のアイデアを膨らませたりしながら作品を撮影していくのですが、それは実際の撮影現場に近い実習内容で、非常に刺激的で学びの多い時間でした。
駆け抜けるように過ぎていった大学生活も、ついに卒業の日を迎えます。
日本に住む両親と兄も卒業式のためにサンフランシスコに来てくれました。私は母に頼んで持ってきてもらった着物と袴を身につけ、日本人らしい和装でドレスアップしました。その上から卒業生が着る黒のガウンを羽織り、角帽もかぶるのですが、美大の学生だからこそのアイデアで、角帽の真上に装飾を施すのがお決まりとなっていました。それは、式場が広く参加者も多い会場で、親族に自分だと分かるように目立たせる意味もありました。
友人は、スパンコールで自分のイニシャルを書いたり、また好きなアニメの絵を描いたりしていましたが、私はもちろんパンダでデコることにしました。パンダのパペット人形を角帽の上に貼り付け、立体的に飾ってみました。
たくさんの思い出と友だちをつくった楽しい大学生活も、華やかな卒業式と共に終了。
卒業の瞬間まで、パンダのキャラクターを貫き通した私も、晴れて社会人となりました。
とはいえ、卒業後のファッション・フォトグラファーとしての活躍の場を明確には決めていませんでした。
それでも、大学でたくさんの知識と技術を得たことで、未来に大きな期待を持ちながら、ファッション・フォトグラファーとしていよいよ活躍できる場を探しに、新天地を目指すことになるのです。
<第8話へ>
★橘ねろりの記事「Bitter Orange Radio」
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