ぼーっとするスキル
しばらくの間、何もしないとどうなるのか?
「1ヶ月間、何もしないでいるとどうなるのか?」
と思ってやってみた。
現代は情報社会的な何かになっていると感じる。ネットやSNSを使いこなして情報を取得してとにかく活発に動くことが”良し”とされている気がするし僕もそう思っている一人だ。
”良し”なのか”悪い”なのかは置いといてそれならば、しばらくの間活発に動かず何もしないとどうなるのか?どんなことが起きるのか?そう興味が出た。
活発に動くことで充実するのであれば、それができなかった時どんな気持ちになるのか。
この先自分の体調が悪くなったり何かの拍子に何も出来なくなる可能性は誰にでもある。そんな時、一体どうなるのだろう。
その結果
結果から書くと
1ヶ月間活発に動かなくても幸せだった。
当たり前に前提として、僕の場合はである。僕のその1ヶ月間はこんな感じで取り組んだ。
普段やっている活動を停止する
web3的活動を停止する
SNSを見ない
仕事は通常通りする
要約すると普段の活動(僕の場合はweb3的な活動が多い)を停止してみたということになる。SNSからの情報取得も僕の場合は多かったためこれも停止した。
これに取り組んだ結果、その期間にあったことを箇条書きにしてみる。
暇を感じた
呪術廻戦を最新刊まで読んだ(おもろすぎた)
ハンターハンターを最新刊まで読んだ(暗黒大陸編むずい)
何度も図書館に行った
読書をすごくした
溜まっていた部屋の片付けをした
ゲームに夢中になりポケモンユナイトでマスターリーグまで到達(バリヤードで)
テレビを録画していっぱい見た
夏休み、子供と毎日プールした(庭にて)
子供とmetaquest使ってVRで盛り上がった
手作りてりやきバーガーを作った
たこ焼きを大量に作って冷凍した(これでいつでも食べれる)
ざっと思い出しながら書いてみた。こうやって並べると、結局遊んでいる。遊ぶ場所がPC上、オンラインからオフライン、アナログ生活上に変わっただけだと感じる。何もしなければ遊ぶんだよね、たぶん。遊びたいねん。
ぼーっとするスキル
この期間を通して習得したと感じていることが一つある。
ぼーっとすること
これが僕がこの期間に習得したことだと感じる。
SNSやネットニュースやら、他にもなんやかんやとこれだけの情報社会の中で過ごしていると自然にぼーっとすることは難しい。好きなものは増える一方だしその情報が気になるから。だからこそ、ぼーっとするのはその点においてスキルといえる。
ぼーっとするスキルで得られるのは「暇」と「自由」である。これは間違いない。暇だと感じると同時にこの瞬間自分は何をしようとしてもいいという自由を感じることができるのだ。
その後の話
生活を意図的に制限した1ヶ月間を過ごした後、SNSを触ってweb3的な活動を再開した。
するとどうだったか。
時間が瞬く間に過ぎたのだ。これは本当に強く実感した。強く強くマジで強く実感した。情報取得には”大量の時間”がかかっているのを実感した。(”お金がかかる”と同じニュアンスです。実感したということを書きたいだけで、そういう情報生活のことを悪に仕立て上げたいわけではないです。)
制限的な生活をしていた期間は休みの日、朝起きて昼までの間は漫画や本を読んだりしゃべったり、その後ぼーっとしては「まだ10時か、昼までなにしよヒマ」とか思っていた。
それが生活を戻したところ、朝起きて何気なく開いたXを見て読んで、ネットの情報を読んでSNSを触ることで目に入ってくる情報を追っているうちに時間が過ぎていき(ほんとうに)気が付けば昼になっていた。
どっちがいいかの話ではなく
どっちがいいのかの話ではなく、ただ時間の流れ方(必要な時間量)の違いを実感したという話である。
普段、僕は「時間が足りない、忙しい」と思うことがあったけどもしかするとその時間は情報取得に大量に使ってしまっていたのかもしれないと思った。
どっちの生活に振り切る必要はないしそんなことはしたくない。だけど、それらの時間の感じ方の違いを体験したことで、向き合い方を変えた。そして暇なのも悪くないなと思った。
少なくとも、ぼーっとするスキルを手に入れられてよかった。
おわり
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