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痛い時には痛いことで精一杯

毒矢が刺さった時、
何処から、誰が、なんのために どうして、と
その矢を抜かずに問うことは とても虚しいことです。

弘法大師空海

毒籤を抜かずして空しく來處を問う。

『遍照発揮性霊集』

毒矢に当たった時は、まず治療を始めることが最優先です。

これは、誰もがわかることで、まるで笑い話のようです。

ところが、この毒矢が、心にささった出来事になると、

私達は途端に対処の仕方がわからなくなります。

偶然に起きた心を痛める出来事。

それも人からされてしまった時。

どうして?何で?自分が何か悪いことをしたかな?

仏教は因果報応を説きますが、
人に何かされた時、
自分にその原因があったのだ、
これは自分が以前に人を傷つけたから起きた出来事なのだ、
なんて、そんなことはとりあえず考えなくて良いのではないでしょうか。

毒(恨みやひがみ、悲しみ)が回ってしまいます。

傷つけられ怒ったり、悲しんだりする感情は、
毒矢の毒そのものです。

私達の心や体をむしばみ、ひどいと死んでしまうこともあります。

毒が回る前に、
傷ついた時には、まず自分の心を癒してください。

傷が癒えない状態の時は、何が正しいのかの判断も怪しくなってしまいます。

そんな時にあれこれ思ってみても、
良い考えも浮かばないですね。

湿度が高く、イライラしがちになりますが
今日も笑顔でぼちぼちと。

より良い一日になりますように。

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