親権変更 13
子供は電車で通学しながらフリースクールへ通っていました。健気に自転車で駅まで向かいそこから隣駅まで行き、数分歩くという通学路でした。私は毎朝、弁当を作り持たせていました。この先、一生忘れないであろうという子供の言葉があります。
「みんな、お母さんの作った弁当の中、お父さんの作った弁当は恥ずかしいだろ?」
と話すと、子供は
「全然、恥ずかしくない」
その言葉は私の中では記憶に残るものでした。中学へ通えず、小さい身体で制限された環境の中、毎日通い、ひたむきに生きる姿は心を締め付けるものがありました。
フリースクールも多種多様ではあると思いますが、子供の通うスクールはあくまでも学業をするというよりは、不登校の子供の受け入れ先でした。小学生の子供もいてお遊戯などがあり、中学生の私の子はうまく馴染めませんでした。それでもスクールの行事で昼食を作る時、またバスや電車に乗ってどこかへ行くときなどは乗り気ではないまでもしっかりと小学生の子供達と参加してたそうです。今思えば、それも私に負担をかけない為に愚痴を言わず通っていたんだと思います。
それでも私は、親権者ではないが、特別の事情がある以上は、中学校へ通えないかと思っていました。そこで地元の教育委員会へ相談しに行きました。時間にすれば一時間程度でしょうか。しかしながら、やはり親権者の同意がないと通わせることができないとのことでした。私は必死に教育を受ける権利、また特別な事情があることを主張しましたが、難しく、ただ熱意だけは伝わったのか、無償で学校の使用している教科書を貸与していただきました。
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