ネコと人間と噛み癖の話
ネコは人間の手を見るといつでもどこでも噛みついてくる。とくに親指の付け根の肉厚で弾力のある部位がお好みだ。噛んで遊べるおもちゃも試したが、断然人間の手がいいのだそうだ。
噛み癖がはじまったのは、FIPの症状が徐々に緩和して、自由に動き回れるようになった頃、月齢でいえば2ヶ月あたりだ。それまでは体が麻痺していて、人間に身を委ねて生きることしかできなかったので、噛むという行為が自立へと向かう証のように思えて、好きなだけ噛みたまえという気持ちで手を差し出していた。
しかし、徐々にエスカレートして抱っこしたり撫でたりしようとしても噛みついてくるようになり、スキンシップが難しくなってきたので、動物病院の先生に尋ねてみることにした。先生によれば「噛むネコは噛むし、噛まないネコは噛まない」とのこと。おとなになるにしたがい噛まなくなるのかと聞けば「噛まなくなるネコもいるし、噛み続けるネコもいる」とくる。ですよね、としか返しようがない。
とはいえ、うちのネコはよそのネコに比べて噛みすぎではないかと思いつつ、歯がすべて生え変わればおさまるだろうという期待を抱いていた。噛み癖の原因のひとつが、歯が生え変わるときの違和感だと言われているからだ。しかしその時期になっても、彼の噛み癖はおさまる気配がなかった。
その頃には人間はネコの牙をかいくぐり、ネコを抱き上げる技を身につけていた。目にも止まらぬ速さでネコの頭や首を撫でることもできるようになった。ネコもそれを人間との「遊び」と認識したようで、人間を階段におびき寄せバトルをするのが毎朝の日課になった。
人間はネコの噛み癖と共存する方法を獲得しつつ、なぜネコがこんなにも必死に噛もうとするのかをずっと考えていた。いちばんしっくりくるのは、彼がちゃんと乳離れをできなかったから、という理由だ。
彼が捨てられていた状況から考えると、彼は捨てられる直前までどこかの家で飼われていた。そこには母ネコがいて、兄弟ネコもいたかもしれない。彼は病気を発症し、他のネコに感染することを恐れた飼い主は、あわてて彼を高速の高架下に捨てた。そのとき彼は生後1ヶ月ほどで、まだ乳離れが済んでいなかった。
彼はまだ吸っていたかった母ネコの乳を思い、人間の赤ん坊が自分の指を吸うように、人間の手を噛んでいたのではないだろうか。そして、また引き離されてしまうのではないかという恐怖から、執拗に噛み続けたのではないかと。
最近ネコは以前ほど人間の手を噛まなくなってきた。手を目の前に差し出しても、噛まずにペロリと舐めたりする。首元を撫でてやると気持ちよさそうな顔をしている。
ネコと人間がいっしょに暮らしはじめて9ヶ月。ようやくネコは自分はもう捨てられそうもないと思えるようになったのかもしれない。
お気持ちだけで十分だと思っていますが、サポートされたくないわけではありません。むしろされたいです。