ネコと人間の八日間②
人間はネコを再び小さなダンボール箱に入れ、それをベッドの傍らに置いて就寝した。しかしネコは心細いのか「あ、あ、」と小さく鳴き続ける。人間はネコを箱から取り出すと、腹の脇に寝かせて、背中やら首やらをなでてやる。ネコは安心したのかやがて寝息を立てはじめた。できれば箱に戻したかったが、そうすればまた起きてしまいそうだ。しかたなくそのまま寝ることにしたが、熟睡すると寝返りを打ったときにネコを潰してしまいそうでこわい。ウトウトしては目を覚ましてを繰り返し、ネコと人間は二日目の朝を迎えた。
ネコは昨日にもまして元気そうだった。床に寝かせてエサの用意をしていると、ヨロヨロと立ち上がり歩きはじめた。
「なんだ、歩けるんか!」
足どりは弱々しく、数歩歩くと倒れてしまうが、たしかに歩けている。これならわりと早く回復できるかもしれない。ネコはふらつく足で部屋の隅まで移動すると、冷蔵庫の脇の隙間にスルスルと入っていった。
「ごめん、そこはほこりがたまってるから!」
日頃掃除を怠っていることを反省しつつあわてて引っぱり出し、頭を反対に向けて床に寝かせると、再び起き上がり今度はソファの下の暗い隙間に入り込む。よほど狭くて暗い場所が好きらしい。これはネコ全般の特性なのか、それともこのネコの個性なのか、ケガをしているから身を守るためにそうしているのか……
ネコは食事を済ませると、今度は開いたドアと壁の隙間に入って横になった。そこもほこりがたまっているんだけどなと思いつつ、おとなしくしているのでそのままにして、人間はいつもの日課を済ませることにした。
前日に起こった出来事を絵日記に描き、それをブログやSNSに投稿する。人間はこれを2000年から23年間毎日続けている。昨日起こった出来事といえばネコを拾ったことに尽きるのだが、それはまだ描かないほうがいいような気がした。昨夜は生きるかどうかの瀬戸際だったし、ケガをしていてこの先どうなるのかも見通せていない。ちゃんと病院で診てもらい、ケガも癒えて無事に生きていけることが確認できるまでは伏せておいたほうがいいだろう。結局、昨日の昼につくったパスタのレシピについて描き投稿した。
近所に動物病院があることは知っていた。ときどき病院の前に列ができているのを見かけるので評判も悪くないのだろう。時刻は9時半を過ぎていて、おそらく診察が始まっているはずだ。
人間はふだん使っている肩掛けカバンの中身を取り出し、底に折りたたんだタオルを敷き、その上にネコを寝かせた。ネコは今回も抵抗は見せなかった。ただ不思議そうにカバンの中から人間を見上げていた。
問題はお金だ。保険の効かない動物の診療は高額だときいている。このネコはもしかしたら骨が折れているかもしれないので、そうなるとかなりの治療費が請求されるにちがいないが、財布の中には2000円ほどしか入っていない。銀行までは遠いのでコンビニのATMで現金を引き出すことにする。この半日で三度目のコンビニだ。
1万円では心許ない。3万円あればなんとかなるか。でも手術となったら……。明日はクレジットカードの引き落とし日だ。それを考えると5万円がギリギリのラインだった。足りなかったらツケにしてもらおうと、5万円を引き出し動物病院へ向かった。
待合室に入ると、椅子に年配の女性がこれまた年配のイヌを抱いて座っていた。その横にもうひとつ椅子がある。そこに座ればいいのだろうか。奥の診察室から女性のスタッフが出てきて、年配コンビを診察室に呼び入れると、こちらを向いて今日はどうされましたかと尋ねられた。
「子ネコを保護したのですが、ケガをしているのか下半身があまり動かなくて……」
カバンの口を開くと、覗き込んだ女性のスタッフは「あら、かわいい」と笑い、「どのくらいかしら」と壁に目をやる。そこには月齢表とでもいうのだろうか、ネコの体や行動の変化が生後どのくらいにあたるのかを一覧にしたポスターが貼ってあった。
昨日噛まれたから犬歯は生えているはずだ……あ、ネコでも犬歯っていうのか。それ以外の歯も生えていたように思う。歩行もできているし、ケガをしていなければ小走りぐらいはできそうだ。それらの項目の上に生後どれくらいかを表す数字が書いてある。
「4、5ヶ月ぐらいですかね?」
女性のスタッフは「ふふ」とまた笑い、
「それ、月じゃなくて週なんですよ」
ネコは生後1ヶ月ほどだった。生まれてわずか1ヶ月でケガをしてひとり道端で死にかけ、見知らぬ47歳のおっさんに拾われて。壮絶な人生である……ネコだけど。
10分ほど待っていると、年配コンビが診察を終えて出てきた。次は我々の番だ。ネコをカバンから引っぱり出し診察台の上にのせる。男性の先生もまた「おー、小さいなあ」と笑い、ネコのお腹あたりを支えて立たせ触診していく。
診断内容を要約すると、どこかケガをしているとは思うが、仮にレントンゲンを撮って骨折していることがわかったとしても、まだ幼いので全身麻酔をして手術するのは現実的ではない。成長期なので体ができあがっていく過程で自然とよくなっていくことを期待したほうがいいだろう。足は動いているので日常生活に支障がないぐらいには治ると思う。ウイルス性の病気でこういう症状になることもあるので、もしかしたらその可能性も。
その後、栄養価の高い缶詰のエサを出してくれた。ネコは缶詰の中に顔を突っ込みほとんど液状の中身をバクバクと食べた。食欲もあるし、きっと大丈夫とのことだった。
抗生物質や痛み止めが配合された5日分の粉薬をもらい、診察は終わった。金額は1100円だった。手術をしなくて済んだとはいえ、これは安すぎるのではないかと思って、あとでネットでこの病院について調べてみたら、値段が良心的だとしてとても評判がよかった。つくってもらった診察券を受け取り、薬が切れた頃にまた診てもらうということで病院をあとにした。
なんとか快方に向かいそうで一安心だ。となるといろいろ揃えないといけないものが出てくる。いったん帰宅し、ネコをタオルを敷いたあの箱の中に寝かせると、人間はひとり自転車でホームセンターに向かった。エサや水を入れる皿とネコ用のトイレ、エサを数種類、ネコ用のおもちゃもいくつか買った。
トイレはどう教えればいいのだろうか。足が不自由でも使えるよう、なるべく出入り口が低いものを選んだ。それでも今は上がれそうもないので、病院で教えてもらった方法で、股間をトントンと刺激し、おしっこをタオルで受け止めている。うんちはまだ出ていない。そういえば、このネコがオスなのかメスなのか病院で調べてもらうのを忘れた。
まだ使うのは先だろうが、ネコはトイレがわりと気に入ったようだった。
お気持ちだけで十分だと思っていますが、サポートされたくないわけではありません。むしろされたいです。