INFJがFGO「ENFJ=衛宮士郎」MBTI

衛宮士郎ってどう考えてもENFJで、あそこまで露骨に八方美人で自分がない人ってなかなかいないよねってばよ←ENFJの話になるとどうしてもNARUTOが出てくる

では、見ていこう。

基本的には素朴で実直。頑なな性格と童顔で勘違いされがちだが、表情は基本的に冷静。士郎視点で進む本作では分かりづらい特徴だが、本編プロローグの士郎視点と凛視点を見比べてみると、その辺りがよく分かる。

「正義の味方」を目指してるだけあって、自分にできる範囲ならなるべく人の助けになろうという考えを持ち、基本的に頼まれたことは断らない(断れない、のではない。本人は「できない事は引き受けない」とは言っているが)。

その一方で、切嗣が生前に遺した「誰かを助けるという事は、誰かを助けないという事」という言葉を「未だに強く残る言葉」として記憶しており、目指す「正義の味方」の在り方について苦悩している。

INFJとENFJのハイブリッドのような人物造形だが、これもアルトリア同様にルートやシナリオの進行度でキャラがブレブレなためである。特に、セイバールートと桜ルートでは「人間そのものが違う」くらいに別人である。

「衛宮士郎の異常性」

平和な日常の中であれば、士郎の性格は「親切ないいヤツ」で済んだのだろう。しかし、聖杯戦争という生死を賭けた極限状態に巻き込まれるなかで、やがてその根底に残る災禍の爪痕────未熟な自分がとれる選択肢の中で、それが他の全員を幸せにする為の最善であるのなら、何の躊躇いもなく自分を犠牲にする、という歪で逸脱した精神性が顕在化していく。

「魔術師は等価交換で動くもの」と幾度か凛に指摘されているのだが、災害を生き延びた代償に「自分自身を勘定に入れる」機能が失われた彼にとっては、「頼まれごとを引き受けること」「誰かを助けること」こそが対価そのものに等しい。

一見すると善良で好ましい性質のようにも思えるが、これは裏を返せば「助けを必要とする誰か、不幸な誰かがいなければ、自分の生に意義を見出せない」ということでもある。

衛宮士郎の根幹はこれなんだが、桜ルートだとこの信念をあっさり捨てちゃって桜にオールインしちゃってるんだよね。

養父からの「借り物の理想」を追いかけて正義の味方を目指し、人助けのためなら自らを省みないその生き方は、奈須きのこの表現によれば「一生懸命人間のふりをしているロボット」、あるいは「人間になろうとしているロボット」

作中でも言及されているが、一番まともに見えるようで実は一番『人間』として異常な人物。確かに善良で真っ直ぐな信念を持っているが、それが破綻している。

まあ、とはいえ、この「自分の無さ」は究極のENFJの在り方を体現していて、行動原理が「自分よりも他人」であるENFJ自体が異常だと、衛宮士郎が示している。

士郎は「誰かを助けたい」という切嗣の願いが綺麗だったから憧れたにすぎない。それ以外の機能を失った士郎は「誰かの為にならなければならない」という強迫観念のもと、養父から継いだ「正義の味方」という理想を張り続ける以外の生き方が出来ない。

しかし、全ての人間を救うなどできるはずもなく、誰も泣かずに済む世界もまた絵空事でしかない以上、その理想は決して叶わない。まして、そんな偽善では誰を救いたいのかさえ定まらない。そのような思いで闇雲に名も知らぬ誰かを救い続けたところで、誰とも理想を分かち合うことはできない。

理解者さえいない士郎は、それが苦痛だと思う事もなければ、破綻していると気付く暇もなく、ただ独りで「助けたいから助ける」という理想の下で「正義の味方」を貫く限り、かつての養父のように救えない・救わない者たちを切り捨て続けるしかない。

誰かを救う為に誰かを犠牲にし、犠牲にしてきた人々の最期を無意味にしない為に、また新たな犠牲者を生むしかなくなってしまう。だが、それでも士郎は泣いている誰かを黙って見ていることができない。

これってキラヤマトの「カガリは今泣いているんだ」とは根本的に違っていて、キラのそれはキョロ充というよりも、「自分の好きな人が泣いていて、僕ちゃんは許せないだよねヨチヨチ」ってことで、衛宮士郎のこれとはわけが違うと言える。

彼がようやく本当の『人間』に戻れたのは、「正義の味方」であることを捨ててでも守りたい特別な誰かを得て、その為に自分を大切にすることを学んだ時であった。

つまり、桜ルートの衛宮士郎と、その他の衛宮士郎は人間が違う理由はこれ。そう考えれば、一番破綻しているのはUBWルートのエミヤだったりする。

基本的にはキザで皮肉屋、現実主義者な男。だが根はお人好しで世話焼き、たまに子供っぽい面も見せる。ここぞという時にニヒルな冗談を口にするプレイボーイでもある(などとはいえニヒルな冗談を口にするのはナンパなどのそういった目的ではなくあくまで空気を読んでのことである)。

乱暴な召喚のせいで記憶が混乱し自分が何者か分からないと言い張っており、マスターである凛もその真名を知らない。特技は家事全般で、彼の淹れる紅茶は凛のお気に入りである。主人公である衛宮士郎を個人的に敵視しているようだが、その一方で彼に対して的確な助言を送ることもある。

基本的には合理的な戦術、社会的な正義を良しとするが、彼の発端は「万人を救いたい」という理想である為、冷徹に徹しきれないところがあり、その点は劇中で凛からも指摘されている。ギャグ寄りの作品だとそうした「なんだかんだ言いつつも世話焼き」な一面が出る事が多くなっている。

エミヤってINFJっぽいけど、どうも闇堕ちENFJな気がする。INFJはここまでお人よしじゃない。ENFJが擦り切れて世間ズレしまくった結果、エミヤになるんじゃないかと。INFJにしては全方面で優秀すぎるし。

ステータスは低い方で、剣技も常人としては筋がいい程度でお世辞にも天才とは言えない凡夫のそれだが、格闘含むあらゆる芸を生涯に渡って鍛え続けた努力家であり、力や技術の差を補う程の芸達者(『unlimited codes』では、勝利台詞として「一つを極めるより、多くを修める道を選んだ」とコメントしている)。スキルとして「心眼(真)」を歴戦の勇者達にも比肩しうるBランクで保持しているのは、彼の血の滲むような努力と鍛錬の表れだろう。作者曰く「何げにオールラウンダーで、格闘戦も武器戦闘も対魔術戦も家事手伝いもそつなくこなすにくいヤツ」との評価を下している。

各々の能力が高水準に磨かれたオールラウンダーであるため、その手札の多さから、あらゆる戦況に対応出来るという強みがある。その反面、多芸ではある一方で、いずれも究極の一にまで極めてはいないため、その究極の一を極めたサーヴァントと得意分野で戦う際には、一歩劣ってしまう。

INFJだったら、こんなまどろっこしいことせずに心理戦や頭脳戦に特化したスキルツリーを作るんだよね。INFJが脳筋傾向があると言っても、エミヤはいくらなんでも脳筋がすぎる。

無限の剣製(アンリミテッドブレイドワークス)ランク:E~A++(SN)/E-~A++(EX)/E~A(FGO)
種別:???(SN)/対人宝具(EX)/????(FGO)
レンジ:???(SN)/30~60(EX)/????(FGO)
最大捕捉:???(SN/EX/FGO)

I am the bone of my sword.
Steel is my body, and fire is my blood.
I have created over a thousand blades.
Unknown to Death. Nor known to Life.
Have withstood pain to create many weapons.
Yet, those hands will never hold anything.
So as I pray,『Unlimited blade works』!!

宝具を持たない彼を英霊たらしめている能力にして、固有結界と呼ばれる特殊魔術。一定時間、現実を心象世界に書き換えることで、今まで術者が視認した武器、その場で使われた武器を瞬時に複製し、ストックする。ただし、複製した武器はランクが1つ下がる。アーチャーが使用する武器の殆どはこれによる投影品である。イレギュラーな投影魔術の正体でもあり、厳密には投影ではない。また、これは生前から使用していた魔術であり本人曰く厳密には宝具というわけではないらしい。

無限の剣製はカッコよすぎる!

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