今日のトピック:男も女も変われない?
子供の頃、私の住む家の裏にあった古家が取り壊され、新しい大きな家が建ち、うちの両親と同年代の夫婦と4人の子供が引っ越してきた。塀の向こうから、その家の家族の声が聞こえてきて、裏窓を開けると十数メートル先に物干し台が見え、同学年の男の子が物憂げに腰かけているのが見えたりした。
以下は、高校時代にその家族の夫婦のことを書いた断片。読んでみて、多くの日本人の意識は男女ともにこの時代と変わっていないのでは、と思われた。
断片
大人の世界には、私たち世代の稚拙な理屈では割り切れない矛盾が多々存在している。そして、私たちは成長の一過程でそれらに遭遇し唖然とし、ある時はそれを徹底的に軽蔑し、またある時には知らず知らずのうちにそれに順応して、いつか自分自身も青年の正視には矛盾としか映らない大人になってしまうのだろう。
裏の家の主人は当代一流の詐欺師で、天一坊と呼ばれているそうだ。会社を創設しては自ら潰し、社長の自分は一銭の損もせぬどころかボロ儲けという仕掛けで、そのせいで自殺者も出たらしい。
主人には、秘書と体裁を繕った二号がいて、今では東京で同棲生活をしており、月に一回程度家に帰ってくるだけである。
私が大人の矛盾性を見るのは、主人ではなく奥さんの方だ。
奥さんは主人の潔癖を盲信している。親戚や知人が彼の素行について忠告したが、それも無駄だった。
主人が帰宅する時には一家総出の歓待で、子供たちに父親に対する不満など一言も言わせない。彼女はそれほどまでに夫を信じ、愛している。
しかし、彼女がいかに夫を愛しているとしても、畢竟彼女の生活のすべては自己欺瞞に過ぎない。彼女は歴然たる事実を自分の内で否定し、無反応な愛の虚しさを、夫に隷属し、ひっつめ頭のなりふり構わない女中として家事に没頭するすることで紛らわしているだけだ。
奥さんはこの芝居を永久に続けるかもしれない。戦前の忍従型の女と言ってしまえばそれまでだが、この矛盾を平然と無視できる大人が不可解だ。
1967.9.3
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