遠野ローカルベンチャー事業活動報告会【第3回】
*2019年10月に書かれた記事です
2016年に遠野市で始まり、新たな社会の仕組みづくりとして注目を集める「遠野ローカルベンチャー事業」。第2回では、2019年8月末に行われた3年間の活動成果を発表する報告会から、トークセッション第一部の様子をお届けした。続く【第3回】でご紹介するのは、トークセッション第二部に登壇した4人のメンバーたち。
ビールプロジェクトの太田睦さん、低コスト住宅開発プロジェクトの小関直さん、ビールプロジェクトの田村淳一さん、そして事務局としてメンバーのプロジェクトをコーディネートする室井舞花さん。彼ら4人が、これまでどんなことに取り組み、今どんな未来を描いているのか。3年間の活動を振り返りながら、それぞれの想いをお届けしよう。
司会:宮本拓海(Next Commons Lab遠野)
宮本:それでは第一部に引き続き、4人のメンバーにも3年間の成果を伺いたいと思います。太田さんと小関さんは任期が来年の3月までですから、今の時点でのことをお聞きできればと思いますがいかがですか。
太田:先ほど登場した袴田くんと同じビールプロジェクトに携わっている太田です。これは「ホップの里からビールの里へ」というビジョンを掲げ、遠野を盛り上げていこうというプロジェクトです。そのプロセスの中で、遠野醸造という会社を立ち上げ、ブルワリーを開業した。やったことはそこに尽きます。遠野産の生ホップや山椒、白樺樹液、蜂蜜などを使ったビールの醸造にも挑んでいて、お客様に「このビール美味しい!」と喜んでもらえることが一番の成果だと思っています。
小関:私は以前、トレーラーハウスをつくったり、いかに低コストでリフォームできるのかということをやってきたんですけど、遠野ではプロダクトがつくりたくて。移住者の住まいをテーマにして、低コスト住宅開発プロジェクトに取り組みました。具体的にいうと、設置・解体が簡単で、冬でも快適に過ごせる「アセンブルーム」という組み立て式住宅と、車中泊用ハウス「バンパコ」の開発。家というと一生の買い物と捉えるのが普通だと思うんですが、私はもっと違うアプローチで、手軽に利用できる家をつくりたかった。2つのプロダクトが形になったこと、それが最大の成果です。
田村:僕は、太田さんと袴田くんと同じビールプロジェクトのメンバーとして、遠野醸造の取締役をやりながら、ビールの里づくりをプロデュースする「BrewGood」という会社を経営しています。この2年ぐらいで、「遠野醸造」「BrewGood」、そしてホップの農業生産法人「BEER EXPERIENCE」という3つの会社が遠野にできたのですが、これは遠野が目指す「ビールの里構想」を具現化していく中で、地域が稼げるスタートラインに立てた大きな出来事。周囲の注目度も高く、昨年は100件ほど様々なメディアに取り上げていただきましたし、今年はさらに加速しています。その結果、遠野ホップ収穫祭には2日間で1万2000人もの来場客があり、ビールの里構想が徐々に形になりつつあります。
室井:私は地域コーディネーターとして、「Next Commons lab遠野」の事務局と一緒に、プロジェクト全体に横断的に関わりながら、起業支援やまちづくりのサポートをしてきました。その中で、今みなさんが話したような成果が生まれる環境をつくれたことが、私にとっての成果かなと思っています。特に私自身も深く関わったのが、先ほど橋本さんが話した小友ようかんのプロジェクト。小友町は、私の住んでいる地域なんですが、ここでローカルベンチャー事業のプロジェクトが行われ、それが少しずつ軌道に乗って、地元の女性たちに還元できるような状態に進んでいることに手応えを感じています。
宮本:ありがとうございます。次に、これまでの活動を振り返った時に、プロジェクトに欠かせない印象的なエピソードがあれば教えてください。
太田:先ほど袴田くんが言ったように、キックオフパーティのために何もない店舗に100人以上の方々が集まってくださったのは、忘れられない思い出です。また、遠野醸造を立ち上げる際にクラウドファンディングを行なったのですが、800万円近くの資金が集まったことも忘れられません。振り返れば、本当に紆余曲折がありました。去年のGWに開業することを決めて準備をしていたのですが、肝心の醸造免許がなかなか下りなくて…。税務署に問い合わせをしても答えてくれず、半分諦めかけていたんですが、3月下旬のギリギリになってようやく許可が下りまして、あの時は心底ホッとしました。
小関:私の場合は、つくるものを考えるところから始まったので、ヒントになりそうな建物や小規模な小屋を、あちこち見に行っていたんです。一つのきっかけになったのは、「軽トラモバイルハウス」をつくっている東京のSANPOさんに出会ったこと。ある時、遠野の木工団地で彼らが試作品をつくる機会があって、そのトークセッションに声をかけてもらったんです。すごく興味があったので、彼らと一緒に工場にも見せに行ったりして。そこからですね。つくっている人たちとの交流が始まって、いろいろと相談ができるようになったのは。それが今のものづくりにもつながったので、興味のあることをコツコツと続けていったのが良かったんだと思います。
田村:遠野に来た当初、僕はいろいろなプロジェクトのコーディネートに関わる立場にありました。でも、ビールに踏み込んでいくぞと決意したのは、世界的にホップが有名なドイツのハラタウと、クラフトビールの先進地であるアメリカのポートランドに視察に行った時。2017年12月と2018年1月に、それぞれ1週間ぐらいずつ見て回ったんですが、その時、我々と一緒に行ったのがキリンビールの社員の方と遠野のホップ農家の方。みんなでずーっと議論して、遠野でできそうなアイディアがどんどん出てきて。あの時やろうと決めたことが、今いろいろ形になっているんですが、その中の一つが遠野ホップ収穫祭の実行委員長になることだったんです。みんなで酔っ払っている時に「田村さんが委員長をやるしかない」と押し切られて(笑)、去年と今年の2年間委員長を務めました。その旅がとてもいいきっかけになりましたね。
室井:私は、この事業が始まる当初から、様々な人が集まる場所をつくりたいと思っていました。大人も子どもも、今の社会の中で息苦しさを感じている人たちが集まれる場所を。ですから、この一日市商店街に、「Commons Space」というカフェと「小上がりと裏庭と道具U」という場所をオープンできたことが、私にとって大きなことでした。というのも、私はレズビアンで、パートナーが同性なんです。中学生の頃から恋愛の対象が同性ということ気づいて、誰にも言えずに10代を過ごしました。だから、このプロジェクトに参加する時に、遠野で私は生きていけるのか、不安に思いながら移住してきたんです。パートナーは遠野に来なかったんですが、その代わり義理の父が「私もいってみたい」とついて来て(笑)。受け入れてもらえるか心配だったのですが、地域のみなさんは私たちのことを理解した上で、仲良くしてくださって。今、義父はとても楽しそうに暮らしていますし、私自身も「生きられる場所が一つ増えたな」と感じています。10代の頃の私のように、悩みを抱えながら生きている人が息をつけるように。Next Commonsとして、2つの拠点をここにつくることができた意味はとても大きいです。
宮本:それぞれ取り組むプロジェクトは違いますが、複数人で遠野に移住してきたことで良い影響はありましたか。
太田:シェアハウスを核としたコミュニティで、最初の生活を立ち上げたのは大きかったですね。一人で仕事をしていたら、鬱々としていたと思うので。最初の冬は小関さんと一緒のシェアハウスで、とても濃密な生活でした(笑)。当時は3人で暮らしていたのですが、なにせ家が寒い!キッチンだけガンガンにストーブを焚いて、そこにみんなで集まって生活していた。精神的にも、随分助けられましたね。
小関:太田さんと濃密に同居していた小関です(笑)。私も遠野でどう暮らせばいいのかわからない状態の中で、シェアハウスで仲間と暮らせたのは良かったなと思います。濃密な生活の一部をお話ししますと、3人とも音楽が好きだったので、夜な夜な歌や演奏を楽しんでいました。夜の10時過ぎから、ピアノが始まり、ギターが加わり、私もトランペットを吹いてセッションして。仕事で大変な時も、みんなで演奏するとストレス解消になりましたし、次も頑張ろうって思えたんです。
田村:精神的な面でもそうですが、他のメンバーを通じて、自分ではつながれない分野の人ともつながることができたのは良かったかな。それにビールプロジェクトは3人だったので、役割分担をして仕事を進めることができましたし、何かあれば相談できたのが心強かったですね。
室井:仕事の面で言うと、それぞれのプロジェクトに対して、いろんな人が遠野市街から来てくださったんですが、そうした方々ともつながりができたことで、多角的にネットワークが広がったと思います。生活面では、太田さんや小関さんが話したように、一緒に生活することで助けられたことが結構ありました。ある時は女性陣の間で、どうしてもフライドチキンが食べたいと話が盛り上がり、わざわざ花巻まで買いに行って。チキンを食べながらくだらない映画を見る夜を開催したり、日々の中にささやかなエンターテイメントをつくって、みんなで励まし合っていましたね。
宮本:最後の質問になりますが、みなさんの今後の展望を教えてください。
太田:私は2020年の3月末まで任期が残っていますので、このままビールプロジェクトを続けていきます。借金も返さないといけないですし、店も軌道に乗せていかないといけない。ただ、単身赴任が長引いていますので、どこかの時点で2拠点生活に移行したいと思っています。遠野でビールをつくるというチャンスを与えてもらい、素人だった私がイチから勉強して、ビールをつくるところまでなんとか来れた。ここで身につけた技術を、今後は新しくビールを醸造したいという人のために生かしていきたいと考えています。日本でビールづくりを学ぶのは簡単じゃないし、ハードルがいろいろある。ビールをつくりたくてもできない人たちが全国にたくさんいますので、彼らの役に立てるように、もっと活動範囲を広げていきたいと思っています。
小関:私はここまでに2つのプロダクトを完成しましたので、次は販売活動にシフトしていきたい。多くの人に新しい住まいの形を届けられるように、販売を通じてもっと多くの出会いを広げていきたいですね。
田村:2つあるのですが、一つは「ビールの里構想」を実現していくこと。遠野醸造ができて間もないんですが、もう一つブルワリーをつくりたいと思っていて。最初、太田さんに話したら笑われたんですけど、「つくりたい」と言い続けていたら、投資したい、一緒にやりたいという人も出てきまして。他にもホップの博物館やゲストハウスもつくりたいと考えています。こうしたことを少しずつ形にすることで、遠野にビールを飲みに来る観光客を増やし、遠野にお金が落ちる仕組みを突き詰めていくことが目標です。
もう一つは、全国からブルワリーを立ち上げたいとか、ホップやビールをまちづくりに活かしたいという相談をたくさんいただいているので、これをサポートしていきたい。その結果、遠野自体が学びの場になり、多くの人が訪れることで「ビールの里」というポジションが確立されていくはずです。遠野をしっかり盛り上げつつも、日本全体のホップやビールをサポートする活動をしていこうと思っています。
室井:私も2つあります。一つは、私個人がずっと取り組んでいる引きこもりや不登校、発達障害、セクシャルマイノリティーの人たちを支える活動を、遠野につなげていくこと。2014年から「引きこもりUX会議」という社団法人を立ち上げて活動していますので、遠野でも何かできたらいいなと思っています。もう一つは、小友ようかんのプロジェクト。今、加工場を作るための資金調達をしているところですので、これをしっかり継続できるような形にしていきたい。任期が終わったら、東京と遠野の2拠点を行き来しながら活動していきたいと思っています。
3年の任期を終え、「遠野ローカルベンチャー事業」はひとまずピリオドを打つ。この事業に携わり、個々のプロジェクトに取り組んだメンバーたちは、それぞれの道へ歩き出す。そのまま遠野で活動を続ける者、遠野ともう一つの拠点を行き来する者。やり方は様々だが、彼らがここで奮闘したことで何かが確実に生まれ、彼ら自身の何かが確実に変わった。それは、彼らを受け入れた遠野においても、同じことが言えるのではないだろうか。
「ポスト資本主義社会の具現化」をビジョンに掲げ、この事業を仕掛けた「Next Commons lab」は、現在、全国13ヶ所に拠点を広げ、各地で起業家支援と新たな地域コミュニティの醸成に取り組んでいる。目指すのは、誰もが自由に生き方や働き方を選択でき、誰もが自分らしく活躍できる社会。従来の価値観や方法論ではもはや解決できない社会問題に、「Next Commons lab」が試みる大いなる実験はこれから日本にどんな化学反応を引き起こすのか。そこには一体、どんな光景が広がっているのか。
遠野から起こった新しい風の行く先を追いかけながら、彼らが拓いていく未来を見届けていきたい。
Text by
Richiko Sato