ローカル・プロダクションPJ 富川 岳 インタビュー
今回お話をお聞きしたのは富川岳さん。富川さんは新潟県長岡市出身。群馬県の大学を卒業後、都内の広告代理店に就職し、7年間営業・プロデューサーとして大手企業のデジタルプロモーションを担当していました。2016年4月から岩手県遠野市に移住。当初はコーディネーターとしてNext Commons Lab(以下NCL)の立ち上げに携わりましたが、2017年4月からローカルプロダクション「富川屋」として独立しました。
富川さんがこれまでどんな想いで活動をされてきたのか、お話をお聞きしました。
------遠野に来ることになった経緯から教えてください。
広告代理店で働いている当時から、どこかのタイミングで地方に入って、埋もれてるものを顕在化するとか、文化を自分が繋いでいくっていうことをずっとやりたいなと思っていました。
「そろそろ地域に入って本格的に活動しようかな」と思っていたタイミングで、前職で関わっていたデザイナーさんから遠野でNCLが立ち上がるという話を聞いて。そのデザイナーさんがNCL代表の林篤志さんを紹介してくれて、実際に会ってみたんです。「遠野で地域おこし協力隊制度を活用して、起業家と地域のプレーヤー、大企業も絡んだプロジェクトを始めようとしている」と。一方で「まだ事務局的な人がいない」という話も聞きました。
その時、きっと今が新しい、やったことのない領域に挑戦しないといけないタイミングなんだろうなと感じて、面白そうとは思ったけど「自分にできるのかな…」って。すぐ遠野に行くっていう判断はできませんでした。
その後、2016年の12月に初めて遠野を訪れたんです。真冬だったので、めちゃくちゃ寒いんですよ。でも、一緒にいた篤志さんは「この人おかしいんじゃないか」ってほど超薄着で、ずかずか動いてて。こういう寒い場所だと、こんな達人みたいな人しか生活できないんじゃないかって感じて。実はそこで一回、「遠野に来るのやめようかな」って思ったんです。
でも、迷っていた時に紹介してくれたデザイナーさんから「なんでうじうじしてるんだ。地域に入り込んで泥臭く戦うっていうことが、10年先を考えた時に絶対メリットになるから」と言われて。もうそう言われたら「行く」って言うしかない状況になって(笑)。「行きます!」みたいな。そんな感じで遠野行きが決まりました。
------実際に遠野に来て、どんな活動を始めたのですか?
2016年4月に遠野に引っ越して、最初はプロジェクトの設計とプロモーションを同時に進めていました。プロジェクトが固まりきっていないのに、6月に募集をかけるということは決まっていたから、とにかくもう大変でしたね。
机の上でプロジェクトの設計をしながら、現場では地域の人達との交流もして。広告代理店で働いていた頃よりも忙しかったくらいで、立ち上げメンバーみんなで共同生活をしながらプロジェクトを作ってたから、オンもオフもなかった。
------それがすごく大変だった。
事業やプロジェクトの立ち上げはそれまで取り組んだことのない分野でした。でも期限は決まっているから、とにかくやらないといけないっていう。やりながら、「こんなに自分できなかったっけ…」って全然自分が戦力になれている気がしなくて。自己肯定感ゼロみたいな。疲れてたし、へこんでいくしっていう感じでした。
9月からは募集した最初の約10人のメンバーが一斉に入ってきて。当時は事務局として彼らをサポートする立場を担っていました。でも自分が全然できていないのに、他のメンバーをサポートしないといけないっていうことにモヤモヤしていて。
それで、まずは自分自身が得意な分野で能力を発揮して、自力で戦えるようにならないとダメだなと思ったんです。ただ、実際僕の「プロデューサー」という役割って、人と人の間に立って企画したり、業務を進行していくんだけど、自分がデザインをしたりするわけではなかったから、「一体、自分は何ができるんだろう…」って大きい壁が出てきて。でも、ひとりでどれだけできるかやってみるしかないなって。2016年の末に「事務局を辞めて、いちプレーヤーとして動かせてほしい」という話をして、2017年4月から独立することを決めました。
------「いちプレイヤー」として独立されてからはどんなことを?
独立を決めてすぐに、行政から移住促進施策の制作依頼を受けて、自分がプロデューサーを担当して「THE TONO BOOK」という冊子をつくりました。
その次に、自分が住んでる遠野市宮守町の農業組合のガイドブックやウェブサイトの制作、販売しているジュースのラベルのリニューアルさせてもらって。全く同じタイミングで「とおの屋 要」の海外向けウェブサイトの話も受けましたね。
そういう感じで幸運なことに、独立したタイミングでいきなり「ここぞ!」という打席、大切な仕事が3回連続で来て。そこで納得いくものができたっていうのが自分の自信になりましたね。
------to knowプロジェクトについても教えてください。
「to know」は、土地の文化や歴史を切り口に、地域の新しい知り方を提案するプロジェクトです。僕が大橋進先生(元遠野物語研究所 副所長)と出会ったことをきっかけに、はじめは、遠野物語の愛好会的に活動を始めて。2017年の7月くらいからプロジェクトとして動きはじめ、様々な得意分野を持つメンバーと合宿を組んで、プロジェクトの設計やアイディア、遠野でできそうなことを考えました。そこで「to know」というタイトルと「文化の保存・継承」、「観光」、「教育」を核としていくことが決まって。2017年の暮れくらいからは、一緒に遠野で活動していたレナータとNCLメンバーの及川さんと一緒にこの取り組みを事業としてどう継続させていくかを考え始めました。今は、昨年秋から毎月実施している市民向け勉強会「おもしろTONO学」で遠野の深い文化を市民と一緒に学びながら、視察ツアーや、新しいツーリズムの仕組みを作ろうとしています。
あとは、小〜高の教育機関との連携や、遠野のわらべ歌や民話など地域資源を保存する取り組み、お土産のセレクト・開発なども企画しています。
------これからしていきたいこと、というのはありますか。
今は「富川屋」というプロデューサーとしての顔と、「to know」のプロジェクトマネージャーとしての顔があるのですが、どちらもやりたいことは共通しています。ちょっと大きな話になるんだけど、仕事やプロジェクトを進める中で、どのように一緒に活動していく人達の舞台(=仕事)を用意するかということをずっと考えています。自分の仕事をする上で一緒に活動をする、文章を書く人、写真を撮る人、映像を撮る人、デザインをする人、イベントを運営する人とかが必要になってくる。そういった分野で、この地域で「食っていける」人を増やさないといけないなと思っていて。何かをつくるときに、地域外のクリエーターではなく、なるべく地域内でそういう仕事ができる人を増やして、循環させていきたいなという思いがあります。地域内にお金を落とすということと、あとはそこに、地域で生まれるものの企画やデザイン、仕組みのクオリティーをどう両立させていくかっていうところも重要ですね。
------それだけの地域への想い入れはどこからくるのですか?遠野だから?
なんでなんでしょうね(笑)地域とか遠野とかっていう話の前に、別の気持ちがある気がします。
僕は、中学、高校の時に野球部のキャプテンをやっていたんですね。キャプテンとしてチーム全体を見た時、試合に出ていないメンバーとか、ベンチに入れないようなメンバーのモチベーションをどう持ち上げていくかっていうのを考えるタイプだったんです。自分の関わる人達全員を持ち上げたいなっていう。だから地域に来た時に、そこで頑張っている人達とか、光が当たっていない文化とか、これからなんか頑張ろうとしてる高校生とか若者とか、そういう人やモノを見た時に自然と反応してしまう。「もったいない」なっていう。都会に住んでいるときに比べたら地域の方がその「もったいない」って思う機会が圧倒的に多い。「こうすればいいな」とか、「こうしたいな」って思うものが多くて。だから「地域をなんとかしたい」っていうことに繋がるんだろうなと思います。
------それでは、最後にNCLに興味を持っている人へコメントをお願いします。
NCLの仕組みは、資金的にもサポートしてくれる人・仲間がいるという意味でも、何かにチャレンジしたい人に対してはいい機会になると思います。
ただ、それはあくまで「きっかけ」なので、NCLに入れば何かお膳立てされているということでは全然なくて。プロジェクトパートナーがいるからとか、事務局コーディネーターがいるからということではなくて、やるかやらないかっていうのは、結局は自分次第だなと思います。
あと、フィールドが地域である以上、自分がやりたいことを実現するためには、地域の文化やそこで生きてきた人々のことをリスペクトして、良好な関係を築けなければ難しいと思っているので、そういう想いのある人が入ってきてくれると嬉しいなって思っています。
「関わる人達全員を持ち上げたい」という言葉の通り、富川さんは関わる人ひとりひとりとしっかり向き合いながら、これまで活動されてきたのだろうなと思います。
「感動するハードルが低いんですよ」とも話していましたが、それよりも関わる人をしっかり気にかけて、その人ことを大切にしようとしたり、想いをしっかり汲み取ろうとしてきたからこそ、たくさんの人や事柄に感動してきたのではないかなという印象を受けました。
これから遠野に訪れようと思っている方や、NCLに興味を持っている方は、富川さんと話して与えられる安心感や暖かさ、楽しさをぜひ受けてみてほしいなという想いを強くさせられるインタビューでした。
(文章:宮本 拓海)