【卒隊インタビュー】【2021年11月卒隊】中森健(なかもり・けん)湖南市で協力隊として活動してみてどうでした?卒隊後は?
インタビュアー: dolly (元湖南市地域おこし協力隊・NCL湖南事務局)
コロナ禍での地域おこし活動で見出した『アート+猫』の活路
2018年の12月に京都から移住してきた中森さんの、地域おこし協力隊のプロジェクトは『ものづくりの拠点/未来志向の公民館』という、複合的かつ多様性が求められるものでした。
さらに元々興味を持っていた湖南市内の保護猫に関する活動として『こにゃん市役所プロジェクト』にも積極的に関わっておられました。
過去、海外での起業経験もある彼ならではのバイタリティで、様々な地域の活動をグローバルな視点で展開させてゆき、プロジェクトが進行していましたが、活動2年目にしてコロナ禍に見舞われ、準備していた取り組みが全て中止に。
そんな危機的状況を経て、任期3年目に中森さんは『一般社団法人コニャンナーレ』を設立。元々湖南市に興味をもったきっかけの一つが『猫』であったこと、そして自身のこれまでの経験で一番活かせるものがアートであったこと。そこからアートプロジェクト『コニャンナーレ』が生まれ、そしてその過程で集った活動を共にする仲間とともに、法人立ち上げに至りました。
当初のプロジェクトが頓挫するなど、厳しい状況にも関わらず、粘り強い活動を続けられた中森さん。
3年間の活動で感じたこと、そして湖南市の今後の可能性について、お聞きしました。
迷い多き、活動初期
ドリー:
まず、中森さんが地域おこし協力隊として着任したプロジェクト『ものづくりの拠点/未来志向の公民館』は、かなり概念的だなと感じていて実態が見えにくい印象が正直ありました。
活動を始めるにあたって、中森さんとしてはどう捉えておられたのか、改めて教えてもらえますか?
ナカモリさん:
元々は、プロジェクトパートナーとして紹介されていた中野さん(株式会社ジャパニーズ代表)が、湖南市内で経営していたコワーキングスペースやWEB事業を起点として、そこから拡張していく活動のイメージがありました。具体的には"ものづくり"と"コミュニティ"のプラットフォームとしてのFabラボの運営です。そうして市内にある既存の事業とコミュニティから、自分がさらに広げる役割を担う活動ができればとの思いで、このプロジェクトに参画しました。
また、同プロジェクト内容にブロックチェーンのアイデアが含まれていたことで、将来性を感じてもいました。デジタル暗号資産などの新技術にも個人的に関心が高かったので、それも併せてチャレンジしてみたいプロジェクトでした。
地域との関係構築の中で見えてきたローカル × インバウンドビジネスの方向性
ドリー:
湖南市内だけでなく、他府県の自治体へのアプローチも積極的に行っておられた中森さんですが、実際にその動きの中でビジネス化につながる手応えのようなものはあったのでしょうか?
ナカモリさん:
正直、当初構想していたFabラボの運営のみでは収益化が難しい見通しであったため、"インバウンドの観光"というアプローチから活動の修正を行いました。フランスに頼れる人の縁があったので、日本に長期滞在にするフランス人とNCL拠点をつないでいくコンテンツづくりにシフトしていきました。特に『食』を主軸に、アイデアを固めていきました。
また、そのビジネス構築を続けるなかで、海外の留学生が京都に一極集中している現状に気づき、隣接する滋賀県にも留学生の拠点をつくることができればとの考えから、ローカルとインバウンドのビジネスコンテンツの幅が広がっていきました。大学との接点を積極的に持ちはじたのも、このアイデアからです。
2020年春、コロナ禍が始まりすべてのインバウンドツアーの準備がキャンセルに。
ドリー:
試行錯誤しながらも、ようやく形が見え始めていたプロジェクトの動きがコロナで完全にストップしてしまいましたよね。他の隊員さん達も同じくですが、特に中森さんは海外からの人流を前提にしていただけに、その影響は多大なものであったと思います。その時の心境や、その後の活動に対する考えはどう変化しましたか?
ナカモリさん:
海外の観光事業は、少なくとも2年は動けないだろうと判断して、別軸で進んでいた『こにゃん市役所』やアートプロジェクトに活動の主軸を切り替えました。日本でコロナの影響が出始めてから1〜2ヶ月くらいのことだったと思います。とにかくスピード重視で考えと行動を切り替えて動きました。
アート活動に関する公募事業にもいくつか応募し、数件採択を受けることができたのも大きかったです。そこで『コニャンナーレ』というアートイベントも生まれました。
その後、みなさんもご存知のように、オンライン上でのコミュニケーションが世の中で加速したことで、元々の活動テーマであったコミュニティづくりやインバウンドビジネスが持つ意味合いも変わってくるだろうと、一から考える必要も感じました。
地元メンバーと立ち上げたアートプロジェクトで再始動
ドリー:
『コニャンナーレ』は発足から間も無くあっという間に形になっていった印象があります。元々舞台や映像のお仕事をされていた中森さんの持ち味が活かされているな、と思いました。このアートプロジェクトを立ち上げるに至った思い、仲間達との出会いについて教えてもらえますか。
ナカモリさん:
一線を退いていた映像の仕事でしたが、アートで交流できる場をつくるために、改めて自分の経験を活かそうと思い直し取り組みました。それからラチーノ学園(東近江のブラジル人学校)を通じてブラジルサンパウロ在住のメディアアーティスト(イゴー マロッカ)との出会いによって、海を越えた国際交流のアートプロジェクトも実現できました。
ブラジルのストリートアート出身であるイゴーの作品は個人的にも大好きで、湖南市で彼の作品が紹介できて良かったです。
これもまた、コロナが加速させたオンラインコミュニケーションの賜物とも言えるかもしれません。
今後も続く、湖南市での活動
ドリー:
卒隊後も湖南市を活動拠点にされるとのことですが、その想いや湖南市のこれからの可能性についてお聞かせください。
ナカモリさん:
当初構築していたインバウンドビジネスは、長期スパンでこれからも準備を進めて行く予定です。3年後の万博の時点で、湖南市に海外の方の受け皿をつくることを目標としています。
事業としては、他者協業も含めた展開を視野に入れています。たとえば隣の信楽や、とくに東海道五十七次のPRに力を入れていきたい考えです。
『しが農業女子100人プロジェクト』の個別農家さんとの連携でアグリツーリズムの構築を進めていたり、弘前のリンゴ農園の永井さんとの商品開発なども予定しています。
コロナでストップしていたことも、全て諦めずに準備を進めていましたので、これからが本番と思って精力的に活動していきたいと思っています。
レポーター後記
普段からとても落ち着いた口調と温和な雰囲気で、話をしていて安心感のある中森さん。
今回、改めてインタビュアーとして相対して得た彼の印象は、オーガナイザーとしての手腕と粘り強い経営者としての忍耐力でした。
インタビューの終わり頃「まだまだ諦めてませんよ」と笑顔でおっしゃられた言葉に、その強さを感じました。
3年後、フランスとの交流が盛んになっている湖南の町が、今から楽しみです。
ドリー
隊員Profile
20代 アメリカに移住( S.F. )で起業・創作活動
30代 神戸市にて起業舞台・映像制作
40代 東日本大震災後、アート・映像制作活動休止 保護猫カフェ・ベンチャー起業立ち上げに参加
50代 NCL 湖南ラボメンバー
お問合せについて
各種ご依頼、取材などは下記までご連絡をお願いします。
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(一社)Next Commons Lab湖南 Chief Coordinator note
インタビュアー
ドリー (1982年生まれ 大阪箕面市出身)
Dongree代表。『DONGREE BOOKS & STORY CAFE』『DONGREE COFFEEROASTERS』の経営とコーヒー焙煎業、WEB制作やプロデュースが主な仕事。
2015年に京都で起業後、2019年に湖南市に地域おこし協力隊として移住&移店。2022年からの卒隊後からはNCL湖南の事務局に入り、湖南を中心にした近隣の地域おこし協力隊や地方創生のサポート業務も担当。
就職経験ゼロのまま、フリーランスとフリーターの間のような生活が10年続き、我慢の限界に達して起業を決意。「お金がなくても豊かに暮らしたい!」の一心で、個人事業Dongreeを起業。以来、WEB制作業から始まり、コーヒースタンド店主、各種マーケットイベント主催を経験し、滋賀県湖南市へ移住。移住後は古民家での職住一体のブックカフェを経営しつつ、今は林業に携わり始めていて、次なる事業展開を模索中。
人生の目標は『お金のいらない村づくり』
最近は近代経済学や人類史、そして小商についての考察と勉強を日々のルーチンとして行ってます。
それらで得られた知見を事業のアイデアとして実践してく中で、『お金のいらない村』を目指し、利益化と投資で手元にお金が全く残らない(笑)修行のような毎日を送っています。
現在は目下『林業 × ツリークライミング』に時間とお金を投資中。