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【卒隊インタビュー】【2021年12月卒隊】釘田和加子(くぎた・わかこ)湖南市で協力隊として活動してみてどうでした?卒隊後は?

  インタビュアー: dolly (元湖南市地域おこし協力隊・NCL湖南事務局) 

起業家のサポート役としてのコーディネーターから、自身も起業家として活躍するまで

釘田さんは地域おこし協力隊の中でも、他の協力隊員の起業サポートの役割であるNCLのコーディネーターとして就任されました。
起業支援の業務の傍ら、湖南市の見聞を広めるため、様々な事業所や施設、活動に参加。また、元々ご自身が興味をもっていた『インド』の文化と湖南市をつなげ、地域活性をはかる取り組みとして湖南ヒンディー語講座やビリヤニ研究会なども立ち上げて精力的に活動。
その後、湖南市伝統野菜の事業承継に手をあげ、『弥平とうがらし』を扱う株式会社エフエムクラック代表に就任。
コーディネーターからスタートした地域おこし協力隊活動で、自らも起業家となられました。
3年間で変化したご自身の心境や活動のこと、そして事業承継をしたことで広がったこと、これからの展望をお聞きしました。

ラボメンバーのサポート役として就任

ドリー
釘田さんが就任当時はまだラボメンバーの半数くらいだったかと思います。僕自身もこの頃にラボメンバーとして応募をしていたと記憶しています。
釘田さんはラボメンバーではなくコーディネーターとして応募され、いわゆるサポート役であったわけですが、どういった経緯で応募に至ったのでしょうか。

クギタさん
元々はインドで様々なNGOが実施するプロジェクトのコーディネーターの仕事をしていました。当時はデリーに住んでいて、事業進捗の管理やビザ取得の支援等、現地で頑張る人たちのお手伝いがメインのお仕事でした。
そういったことから、NCLのコーディネーターといういわゆる”サポート役"の仕事は、実務のイメージがしやすかったこともあって応募してみました。

大好きなインドで働ける喜びもあったのですが、働き始め2年目ごろに東日本大震災が起こり日本のことを意識するうちに、自分が生まれ育った滋賀に戻り、地元に根ざしたお仕事に挑戦したいという思いが芽生えたのが帰国のきっかけになりました。

起業支援と湖南市でのネットワークづくりの日々

ドリー
新たに就任するラボメンバーをフォローしたり、起業に向けた活動をするラボメンバーの実務をお手伝いしてくださったり、事務的な役割と実作業との両面から動いてくださっていましたが、サポート以外に、ご自身も地域おこし協力隊の一員として地域とのネットワークを広げられていましたね。サポートと個人活動の両面から地域で動くのは、苦労も多々あったと思いますが、いかがでしたか?

クギタさん:
個人活動とサポートは、自分の中では一括りというか、同じく”地域おこし協力隊”の任務として動いていた感覚でした。1年目はとにかく繋がりをつくるために動き続けていたと思います。
先任の長砂さんが、積極的に地元の取り組みに参加したり、顔を覚えてもらう活動を既にされていたのも参考にさせてもらってました。
中でも湖南市観光協会さんとの繋がりからラボメンバーのロビンさんを紹介したことで、彼の描くイラストが観光協会のHPに掲載されたときは、自分の働きが実を結んだ実感ができて嬉しかったのを覚えています。
そんな風にいろいろ動いて作った繋がりが、徐々にラボメンバーの活動支援になるとの思いでしたが、多くの人と知り合う内に、個人的な繋がりも増えてきて、徐々に自分自身でも出来ることを考え始めました。


事業承継、自らも起業家へ

ドリー
2年目には、自らも地域での起業にチャレンジを始められました。コーディネーターとしての職務の中で、事業を立ち上げるに至った経緯、そしてその原動力はどこにあったのでしょうか。

クギタさん:
自分は起業したことがないのに起業家のサポートをしているという状況に悩みもあり、経験として自分も一度は起業をすべきではないかと思い始めました。

そんな折、偶然インド関連の共通の知人を介して知り合った株式会社エフエムクラックの元代表から、事業への協力の相談を持ち掛けられたのですが、その後の状況が変わり会社の存続が困難になったタイミングで「自分も起業してみよう」と、事業の継承にチャレンジにしました。

本格的な事業開始。手と足を使って地域の方々とともに精力的に活動

ドリー
3年目には、現在の事務所となる場所のリノベーション工事や、事業の主軸商品『弥平とうがらし ぴりり』のブランディングを本格的に進められ、目に見える形での活動が目立っていた印象です。メディアへの掲載やテレビ出演もありましたね。
また、NCLのメンバー以外にも多くの地元有志の方が応援・協力されていました。

地域おこし協力隊として、そして一起業家として、何か手応えのようなものは感じられましたか?

クギタさん:
活動始めのころは、自分が主体となり動いていくことに孤独感を感じ大変でした。けれど地域おこし協力隊の3年目だったからこそ、地域での繋がりがしっかりできていたことで、事務所のDIYなどに関してはたくさんの協力を得て進めることができました。
協力隊としての活動が生かせたと思います。
なんとか主軸商品『ぴりり』を中心としたブランディングの準備が一通りおわって、自分のカラーで生まれ変わったパッケージになってから、その商品が売れていくのは純粋に嬉しかったです。

特に『ビリヤニセット』が発売できたことは、もともとインドの食にも通じていた自分にしかない出来ない仕事だったなと、感慨深かったです。

新たな暮らしと、今後の事業展望について

ドリー
協力隊卒隊後も、販路の拡大など事業展開も意欲的に行われていますね。湖南エリアでの定住も決まり、暮らしとお仕事の今後の展望について教えてください。

クギタさん:
今までは会社を一人でやっていたけれど、人を雇って動かせる事業形態を目指しています。製造や日々の事務作業は人に任せられるようにしながら、自分は新商品開発・販路拡大をしていきたい考えです。
それから大好きなインドとの繋がりを改めてどう作っていくかを、滋賀での事業を続けながら引き続き模索して行きたいと思います。

あと、純粋に旅がしたいです笑


レポーター後記

僕自身、協力隊就任中は釘田さんには色々とお世話になりました。市との事務的なやり取りの補佐から、古民家改修の実働まで。他のメンバーのことも含め、サポート役、裏方として動いてくれている印象でした。
そんな裏方として動いてくれていた釘田さんでしたから、事業継承をされると聞いた時は、正直意外に感じもしました。
今は同じく一事業者として、応援したい気持ちです。ブックカフェのスパイスカレーにも、エフエムクラックさんの『ぴりり』を使わせてもらってます。
温和な印象の釘田さんですが、インドから日本に戻ってきてまで『地元を活性化させる仕事がしたい』という、実はとても熱い想いを持ったパワフルな方です。
今後も湖南市での精力的な活動が楽しみです。

ドリー

隊員Profile

  • 滋賀県出身

  • 中学時代からのインド好き。大学時代にはバックパック旅行や

  • 語学留学でインドに滞在。

  • JICAインド事務所勤務(2010-2014)

  • 湖南市地域おこし協力隊(2018.12-2021.12)

  • 株式会社エフエムクラック代表(2021.1-)

株式会社エフエムクラック
「日常に、ぴりりとしたスパイスを」をコンセプトに、滋賀県湖南市の希少な伝統野菜、「弥平とうがらし」をつかった調味料をメイン商品として製造販売しています。

お問合せについて

各種ご依頼、取材などは下記までご連絡をお願いします。

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(一社)Next Commons Lab湖南 Chief Coordinator note

インタビュアー

ドリー (1982年生まれ 大阪箕面市出身)
Dongree代表。『DONGREE BOOKS & STORY  CAFE』『DONGREE COFFEEROASTERS』の経営とコーヒー焙煎業、WEB制作やプロデュースが主な仕事。
2015年に京都で起業後、2019年に湖南市に地域おこし協力隊として移住&移店。2022年からの卒隊後からはNCL湖南の事務局に入り、湖南を中心にした近隣の地域おこし協力隊や地方創生のサポート業務も担当。

就職経験ゼロのまま、フリーランスとフリーターの間のような生活が10年続き、我慢の限界に達して起業を決意。「お金がなくても豊かに暮らしたい!」の一心で、個人事業Dongreeを起業。以来、WEB制作業から始まり、コーヒースタンド店主、各種マーケットイベント主催を経験し、滋賀県湖南市へ移住。移住後は古民家での職住一体のブックカフェを経営しつつ、今は林業に携わり始めていて、次なる事業展開を模索中。
人生の目標は『お金のいらない村づくり』

最近は近代経済学や人類史、そして小商についての考察と勉強を日々のルーチンとして行ってます。
それらで得られた知見を事業のアイデアとして実践してく中で、『お金のいらない村』を目指し、利益化と投資で手元にお金が全く残らない(笑)修行のような毎日を送っています。
現在は目下『林業 × ツリークライミング』に時間とお金を投資中。

https://www.dongree.work/

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