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私を裏切らないもの

ご飯は私を裏切らない」というマンガがある。中卒の29歳の女性が、底辺労働をこなしながらシニカルな語りと共に食事を楽しむマンガだ。「孤独のグルメ」の系譜。

うつ病を発症して以来、こういった底辺物コンテンツは大好物になった。主に「うつ」や「生活保護」といったキーワードで引っかかるYouTuberを漁るが、その内の一人がおすすめしていた作品でもある。

さて、私を裏切らないものは一体何だろう?

自分自身?

そんなバカな。

「私」こそ、私を幾度となく裏切り続けた男である。

最近、人によく言う言葉がある。「自分自身が信じられない」。

「もう働き始めても大丈夫だ。1日でも早く社会復帰したい」とうるさく叫ぶから、それに従ってみれば、半年も持たずに「もう疲れた。しんどい、休ませて」と泣き言にまみれる。

「この会社は、自分にぴったりだ。ここでキャリアを積めば、定年を迎える頃には老後資金もばっちり形成できてるぞ」。そうやって、20年、30年先まで見据えた計画が何度破綻した?

とかく、我が頭脳が立てた計画と、それを実行する肉体は、いつもちぐはぐだ。年々彼らは対立を深めている。「私」というシステムなど、この世で最も信頼できない類のものの1つである。世間を騒がせたメガバンクのシステムが如く、今やどこがどう破綻しているのか、作り上げた本人達もよくわからないことになっているスパゲティプログラムの集合体だ。

では、私を裏切らないものは何だろう?

恋人はどうだろう。

彼女に裏切られるとは思わないが、とても儚い。人と人は、いつか必ず何らかの形で別離が訪れる。私にできることは、その別離の時をできるだけ先延ばしにして、ロマンティックに演出するだけである。彼女は私よりは孤独に弱いだろうから、できれば彼女を先に看取ってやりたいとは思っている。

恋人を、精神的な寄辺とするのは何か違う。何よりも、彼女が裏切らないから信じるのではない。果たされる約束があるから信じるという境地は、愛とは呼ばないだろう。

本や映画といった娯楽はどうか。

いやいや。

これもまた、100あれば99は裏切ってくるだろう。99の駄作を乗り越えた1つの傑作を求めて、ハズレを引き続けるのである。

ゲームやドラマ、マンガ等々、全てのコンテンツに対して、私の基本姿勢は変わらない。そこに割いた大半の時間は、またハズレだったかと落胆させられるのが前提である。加齢と共に、ハズレを引く確率が上がっていくのが、また何とも歯痒い(好奇心が摩耗し、積み上げた経験が無邪気に驚くことを許さないからである)。

食欲、睡眠欲、性欲の3大欲求はどうだろう。

私に言わせれば、食事ですら、調理を失敗したり、素材のコンディション次第で、得られる幸福度は不定であり、細かい気配りを要求してくるものだ。

残る3大欲求の睡眠やセックスも然り。アタリとハズレがあり、アタリを引くためにスキルと気構えを要求される点は変わらない。

…となると、やはり、これしかない。

実は、この問を立てた時から、即答するように思い浮かんだ物がある。

それはタバコだ。

タバコはいつだって揺らぎない快楽を与えてくれる。

ニコチンは差し出した金と健康を、一定のレートで快楽に変換し続ける優れた天然物の成分だ。

箱から1本取り出して点火すれば良い。そこに技巧もIQも関係ない。

まあ、つまらない結論ではある。しかし、問自体が、ひどく不毛でつまらないのだから、妥当な着地点だろう。

かくも人生は、裏切られて当たり前の要素で満ち溢れている。

タバコが吸える店を発見した時は、よしよしと胸が踊るのだが、店名が書かれていないので困惑する。見てわかるように、小さい店舗がひしめく雑居ビルの入口に貼られている張り紙なのだ。

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