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いなくていいユートピア

夢の中で、街のように巨大な多重塔の中を子供の姿をして走り回っている。日本の寺と中国の宮殿を混ぜて現代風にすっきりとさせたようなつくりで、窓は一つもなく照明も見当たらないが、屋内はぼんやりとした明るさで満たされている。天井は高層ビルがすっぽり入ってしまうくらい高くて、上の方は灰色の靄がかかってよく見えないが、梁がうっすらと見える。中央は吹き抜けになっていて、木と細い針金で作られた骨組みだけの軽やかなエスカレーターが上下に伸びている。ここは何階で、上に何階重なっているのか見当もつかなかったが、自分の現在地がどこかなんてどうでもよかった。この塔の全体を知る暇があるなら、今自分がいる場所で際限なく遊びたかった。

私は紅色の無地の甚平みたいな着物を着て、裸足で走り回っている。どこへ行っても大人たちは「あら○○ちゃん、何しとる」「ゆっくりしてってな」とニコニコしながら可愛がってくれる。誰も嫌なことを言ってきたり、冷たくしてこない。だから私も安心して、好きなことを好きなだけ、好きなようにできた。どこかへ行きたいと思ったら、何も考えずに行ける。誰かの顔色を伺ったり、お金を気にしたり、体の調子を気にすることもなかった。だってこの街では誰もが知り合いで、人が良く優しくて、いつでも助けてくれるだろうってことがわかっていたから。私は私のままで、子供のままで、許されているのが嬉しかった。それだけで生きていることが楽しかった。

私は工作をしたいと思ったら整備士の人のところへ行って工具や材料を借りて、途中でわからなくなったら実物を見に行って満足するまで調べ、飽きたらエスカレーターに乗ってあらゆる所を探検し、お腹が空いたらいい匂いのする方へ行っておにぎりをもらったり、走り疲れたら中央の吹き抜けを囲う欄干の側で丸まって眠ったりした。

眠りながら、こんなにも幸せなのは、私がここにいないからだ、と思った。私のお腹の中には海があって、人の表情や空気の匂いに反応してすぐに濁ったり荒れたりする。それは私のこころではない。どうしようもなく離れられない、からだの地形。もし私がこのユートピアにやって来たら、この海のせいで、ここはあっという間に嫌らしくて冷たい世界に変わってしまうだろう。おにぎりをくれたあの人は本当は笑っていなかった。眠っている私を眺めている人の噂話が聞こえる。走り回るなという張り紙が欄干に貼られ、私は当然だと思う。私以外に、走り回る子供はいらない。私以外の子供が許されない世界が、私のユートピアだ。そうやって、私が私のユートピアを台無しにする。

それを不幸だと、以前は思っていた。でも、その場所がどこかにあると、確かにあると、その手触りを知っていること、自分のためにその像を歪ませないことの方が、ずっと大切なのだ。自分の在不在など、その光景を見る「目」のあちらとこちらのどちらに自分がいるかなど、そんなことにこだわっている暇があるのなら、私はその光景をくまなく見つめていたい。いつまでもいつまでも、いつかひとりぼっちになってしまっても、私は美しい世界を見つめていたい。