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短編推理小説『ファミレスにて』

「小説家になろう」にて2020年6月10日に投稿したものの転載です。

「いいか?人間には2種類いるんだ」

大楠(おおぐす)らしい、いつも通りの勿体ぶった言いまわしだ。俺は求人誌をめくりながら「続きをどうぞ」と頷く。

「待たせる側と待たされる側だ。俺はお前に待たされた上、今は20分前に注文したピザを首をながーくしながら待ってるんだ」
そこまで言い切ると、冷めたコーヒーをやけ酒のように一気に飲み干す。

時刻は0時を過ぎ、客もまばらな店内。到底忙しいとは思えない中、確かに20分来ないのは遅い。

「深夜だからってなめてかかってるのさ!あのチャラついた店員。厨房では大きい声で話してる癖に、注文取る時はボソボソだぜ?あと5分来なければ怒鳴り込んでやる」

流石は大楠、気が長い。いや、寧ろ気が小さいからこその待ち時間と言えるか?こいつが悪態をつくのは気心知れた俺と自分の祖母くらいなもんなのだ。故に、怒鳴らないのも知っている。せいぜい恐る恐るベルを鳴らし、注文が通っているか丁寧に尋ねるくらいが関の山だ。まぁ個人的にも怒鳴るのはやめてほしい。クレーマーほど見ていられないものはない。それに、この店は俺の元バイト先でもある。数年勤め、居心地はそう悪くはなかった。夜食代わりの賄いは美味しかったし、可愛いスタッフもいた。眼福眼福。
一緒に働いた人間はもう殆どいないが、クレーマーの連れだと思われるのは勘弁だ。

「ところでお前はなんで遅れたんだ?またお父上が若い女でも連れ込んで喧嘩かな?鼻につくね」
大楠が鼻を擦りながら俺を見つめた。

俺は黙って求人誌を閉じて、水で口を湿す。俺と父との関係は、母が出ていってから上手くいっていない。だがそんなことはどうでもいい。親父がどんな女と過ごそうが、俺にはどうでもいいことなんだ。

「なんだよ、しかめっ面して。ああ、ここの水か?ぬるくて不味い。おいしい水なんて書いてあるが、とんだ嘘っぱちさ。それも文句言ってやろうか!?そういえば、料理が来ないからお前のドリンクバーも頼みそびれてたな、頼もうぜ!そのついでに文句を言うんだ。いいな?」
大楠は意気揚々とベルを鳴らす。

来ない。来る気配はない。

厨房近くのテーブルに座る中年の男が、苛立ちを隠せずにカツカツと爪でテーブルを叩いている。彼も少し前からベルを鳴らしているようだ。

もう一人、出入口付近のテーブルに座っていた男は、このタイミングを待っていましたと言わんばかりに、こそこそと店外に出ていってしまった。無銭飲食だ。だがわざわざ咎めに追いかける気も起きてこない。

これで店内に残る客は、大楠、俺、中年男の三人の様だ。

「もう我慢ならん!」と大楠が立ち上がった時には、中年男がもう厨房に突入するところだった。

「どうなってるんだこの店は!!何分待たせれば気が済むんだ!!!」

厨房で男の声が響き渡る。しかし店員の声は全く聞こえない。男の怒声がどんどんと追い打ちを掛けるだけだ。
暫く耳を澄ませていると、男が厨房から戻ってきて、俺たちのテーブルに向って歩いてくる。

「おい、兄ちゃんたち。店のやつ誰も厨房にいないぜ?なんだか様子も変なんだ。ちょっと一緒に来てくれないか?」
大楠と俺は顔を見合わせると、男と一緒に厨房に向かった。


厨房に入るとやたらと焦げ臭かった。タイマーは鳴りっぱなし、お湯は吹きこぼれ、皿に盛られたアイスは溶けていた。調理の途中でコックが忽然と消えたような状態だ。俺はとりあえず耳障りなタイマーを止めた。

「マリーセレスト号みたいじゃないか!」
大楠が突然叫んだ為、男はびくりと肩を震わせて勘弁してくれという表情を浮かべていた。

「マリー…?」と俺が尋ねると大楠はどや顔で口を開いた。

「19世紀に無人で漂流している所を発見された船さ。温かい料理やコーヒー、火にかけられた鍋はそのままに、船員は誰一人として乗っていなかったんだ。血痕なんかもあったらしい。実にロマンチックじゃあないか!」

俺はこんな大楠に慣れているが、男の方は少し引いている。当然だ。

「これで剃刀や血痕でも見つかれば…!」
と大楠が這いつくばるように地面を注視していると、男が我慢ならなくなったようで、

「もうやめろ!気味が悪い。そんな事より現実の話だ。店の人間はどこで油を売ってるんだ。油で炒めた料理を売るのが仕事だろう!?こちとら残業で昼から何にも食べてないんだぞ!腹ペコなんだ!」
キッチンカウンターを叩きながら大声で怒鳴り散らす。

俺は二人の道化をよそにオーブンの中を覗く。どうやら焦げ臭さの原因はこれらしい。黒く焦げたピザが出番を迎える事無くオーブンの中で息絶えていた。大楠のピザだろうか。じゃあこちらの吹きぼれた鍋の入っているもう白く伸びたスパゲティが中年男のだろう。おっさんなんだから丼ものとか食べろよと心の中で呟く。偏見の極み。

「おい」

大楠が二つ並んだドアの前で立ち上がる。

「本当にマリーセレスト号かもしれない…」

大楠は珍しく神妙な面持ちで床を見つめている。かなり細かいが、数か所赤いものがはねた様に点在している。
「トマトソースじゃないのか?」と中年男が気味が悪そうに呟く。

「だとするとこの飛び方からして、このどちらかのドアの入ってすぐのところでスパゲティを啜っている事になるが…。つまみ食いしていたところにクレーマーおじさんが飛び込んできたから、慌ててドアを閉めたのか」

「クレーマーおじさんとはなんだ!!後藤だ後藤!私は後藤だ!」

「ここは何の部屋だ?」
中年男改め後藤を無視して大楠が俺に尋ねる。

「左が更衣室で、右は店長室だ」

後藤は大楠を押しのけると、店長室のドアに詰め寄り、激しくドアをノックした。

「おい!!責任者!!!どうなってるんだ!?客に料理を出さずに自分が食べているなど到底許されんぞ!!?なにをしているのか分かっているのか!!?」

大楠が後ろから加勢する。

「聞こえてますかー?いい加減観念しなさい。お前は完全に包囲されている。速やかに出てきなさい」

これだけの大騒ぎでも、全く反応がない。というか、生体反応がない。

「突入しましょう、後藤隊長」

大楠がそう言うと、後藤はまんざらでもない表情で頷き、ドアノブに手を掛ける。
カギは掛かっていない。ドアはすんなりと開かれた。

大楠は「あ」と言い、後藤は泣き声の様な悲鳴を上げていた。


店長室には、2つの死体が転がっていた。大柄な男と小柄で華奢な女。店長と女子スタッフだ。店長は胸に刺さった包丁を握り締めており、女子スタッフは己の喉から噴き出す血を必死に押さえようとした様で拳を喉に押し当てていた。血の海、焦げ臭さ、甘い匂い、生臭さが混じり合い、鼻腔を刺激する。二人とも服は真っ赤に染まり、乱れ、彼女の明るい髪は血が絡まり、白い脚はむき出しになっていた。

大楠はじっと死体を見つめており、後藤は店長室から離れ、シンクに寄りかかっていた。吐くものが胃に無いのだろう。

俺は心ここにあらずの大楠と使い物にならなそうな後藤に「現場を荒らすな」と忠告し、110番にダイヤルを回した。汗が頬を伝う。冷静を装っていた俺だが、流石に警察に事情を説明する時には焦ってたどたどしくなってしまった。

電話を切り戻ると、大楠は店長室に入り内部を見て回っていた。

「おい大楠、やめとけよ。もう警察が来るぞ」

俺の言葉なんかまるで聞こえていないようだ。猟犬の様に夢中で嗅ぎまわっている。こういう時、俺はこいつを少しばかりウザいと感じる。俺たちはミステリ好きが高じて親しくなったわけだが、俺は現実的な社会派ミステリを好み、大楠はロマンたっぷりな本格ミステリを愛読していた。

現実主義者リアリストはこう思う。素人探偵が現実で何が出来る。

10分も掛からずに警察が到着し、俺たちは一旦ホールに戻された。その後、個々に聴取が行われた。

俺は正直に少し前までここで働いていたこと、店長と女子スタッフとは顔見知りだが、ただのアルバイトで親しくはないということを話し、今夜何時にここに着き、何を見て、何を聞いたかを話した。
警察の方では、現場の状況から、痴情のもつれによる無理心中ということで捜査を進めている様で、二人の関係、店長の異性交遊に関する質問が多くなっていった。

元スタッフだった俺に比べ、大楠と後藤の聴取は短いものだったようだ。大楠は俺の聴取が終わるのを待ち、バッグと上着を投げつけてきて「もう帰ろう」と浮腫み気味の顔で言った。

店を出る頃には空が白んできていた。大楠は寝たわけでもないのに寝癖のようになった頭を更にぐしゃぐしゃと混ぜ、眠気眼を擦った。

「全くピザも食べられないし、とんだ災難だった。今日はこの辺にしようじゃないか、おやすみ」

大楠は背を向け、手を振りながら俺と反対方向に歩いていく。喉がからっからに渇いていた。


数時間後、俺はベッドで寝付けずに昨夜の事を考えていた。太陽はもう高い。カーテンの隙間から差す光が、俺の意識を更に覚醒させる。悪あがきをやめて起き上がると、計ったかの様に電話が鳴った。

「おお、起きてたか。俺はなんだか寝られなくてな、どうだ、ぼーっとしていてもつまらん。昨夜のことについて会って話さないか?少し気づいた事があるんだ」

正直気は進まなかった。心臓が高鳴る。血の海、2つの死体、血生臭さ、当分は焼き付いて離れないだろう。しかし遠ざけようとすればするほど記憶に残ると聞いたことがある。あえて話してしまうのも一つ手かもしれない。

身支度を整え、大楠の自宅に向かう。
大楠は祖母と二人で暮らしている。というより母方の実家の2階を借りて生活していると言った方が正確だろう。インターホンを押すと大楠の祖母が顔を出す。

「あら久しぶりだこと。見ない内に立派になっちゃって。番(ばん)と約束?番!お友達ー!」

番とは大楠の下の名前だ。

玄関先で待っていると、大楠が2階の窓から顔を出し、

「お上がんなさい!祖母ちゃん、麦茶を2つ!」

祖母は飽きれたとも可愛いとも思っているだろう表情を浮かべる。

大楠の部屋は殆ど家具がない。畳、小さく低い机に時計、小型ラジオ、それとそれほど大きくない本棚が一つ。しかし家具はないが本棚に納まりきらない大量の書物が所狭しと積んである。

「本棚買えよ、いい加減」

ハンガーを片手に、上着を寄越せとジェスチャーする大楠に上着を渡す。

「これだけの本を納めるとなると、それはそれは立派な本棚が必要だ。俺はその費用を本に充てたいんだよ。それに別段困っちゃいない。図鑑を積めば椅子になるし、丁度良いのを探してタオルでも敷けば枕だ」

上着を壁にかけ、丁度良い椅子をこしらえている間に、麦茶が運ばれてきた。

「もう、こんなだから掃除も出来やしないのよ」

大楠の祖母は本の山を丁寧に積み変え、麦茶を運ぶスペースを確保する。

「祖母ちゃんよ、俺は積もったホコリから、いつ頃読んだかを整理しているんだ!勝手に動かさないでくれ!?」

祖母が薄目の本を一冊持ち上げて大楠の頭をはたく。大辞典の角にすれば良いのに、孫はやっぱり可愛いらしい。

麦茶を飲んで一息つくと、大楠がついに口を開いた。

「そうそう、気づいたことだ。昨日はあまりの出来事に流石の俺も動揺して、すっかり失念していたんだが、俺たちが死体を発見した直前のことを思い出してほしい。俺たちはトマトソースだと思っていたシミを頼りに、あのドアを開けた。間違いないな?」

俺は頷く。

「あれはやっぱり血痕だったそうだ。ということは、事件が起きた時にはドアが開いていて、その後閉められたということになる。おかしくないか?死体にドアは閉められない」

俺は大楠の言葉を反芻し、頭の中で整理する。

「それは、店長が女の子をなんらかの理由で殺してしまって、それからドアを閉めて自殺したってことなんじゃ?女を殺した時の血痕なんだよ」

大楠は顎を擦りながら視線を空中に投げる。

「いやいや、それもおかしいだろ。店長が女子と密会していたのか、振られて口論していたのか、はたまた乱暴しようとしている最中に殺してしまったのか、どれにしたってドアは閉めるだろう。鍵だって閉めそうな状況だ。その上不謹慎ながら、面白い情報を得たんだ。ドアの外の血痕は店長自身のものもあったらしい。つまり、ドアの外の血痕がついたのは、店長が刺された後ということになるんだ」

大楠がわくわくしているのは一目瞭然だった。我が友ながら不謹慎なやつである。

「じゃあ、犯人は別にいるっていうのか?店長以外に」

「俺はそう考えているよ。犯人は別にいて、2人を殺して逃げたんだ」


急激に怖くなっていた。殺人犯が店長以外に存在するだって。急激な口の渇きを麦茶で潤す。

「あの店には監視カメラがあったはずだ。正面入り口に裏口とホール、あと店長室のドアの上。もし犯人が別で存在するなら、どれかに映っているはずだ!」

大楠はその通りと手をはたくが、すぐ残念そうな顔になった。

「俺もそう思って、昨日の聴取の時に警察官に聞いたんだ。正面口とホールは録画されているが、裏口のはダミーで、店長室のドアの上は電源が落ちていたそうだ。大方、店長が女子スタッフと接触する時には電源を落としていたんだろうね。とんだ生臭店長だ」

「それじゃあ、どうしようもないじゃないか…」
俺は腕を組み、大楠を見据えた。

すると階下から大楠の祖母の声がする。

「番!電話よ!」「今行く!」

大楠はすくと立ち上がり、急いで部屋を出ていった。階段を乱暴に降りる音が響く。

昨晩のことを思い返してみる。俺と大楠が合流し、その時には大楠は既にピザを注文していて、冷めたコーヒーを啜っていた。あの夜は、遅い時間ということもあり、店には店長と女子スタッフの二人だけ、注文は彼女が受けたのだろう。そして、調理をしている途中に事件が起きたのだ。
そして後藤が厨房に怒鳴り込んで…。後藤が犯人?いやダメだ。吐いてたし、泣いてたし、あれが演技なら大した役者だ。いや待て、その前に代金を払わずに帰った男がいた。あの男は、
と考えているとドアが急に開く。集中していて階段の音に気付かなかったらしい。

「すまんね、急に外してしまって。で、どこまで話したっけ?」

「そんな事より大楠!あの時、直前に店を出た男がいただろう!?覚えているか!?」

「ああ、そんなのもいたね、あんまり覚えていないが…」
相変わらずもじゃもじゃと絡み合った毛を更に絡ませるように頭をかく。

「おい探偵!それを見逃しちゃダメじゃないか!」

「いやしかしね、どうやら警察は無理心中で片づけるようだよ。女子スタッフの体内から店長の体液が検出されたらしい。店長が包丁で脅して女子スタッフを乱暴する、しかし途中で大声を出され、誤って殺してしまう。絶望した店長は自ら包丁を突き立てた。それが彼らの見解らしい。天下の国家警察様が下した結論だ。ここまでだな」

急に二人とも気が抜けたように、本たちに寄りかかる。

「じゃあ、ドアの外の血痕は?」

「たまたま人を殺してしまった人間は、他者には考えられない行動をとる、だそうだ」

「じゃああの逃げ帰った男は?」

「あれはただの無銭飲食だろう。どうした、やけに食い下がるじゃないか?」

「別に…」
俺は大楠から視線を外し、本の山々を見つめる。

「じゃあもう話はないな?疲れたし帰るよ」

「なんだもう帰るのか」と大楠は立ち上がり、俺の上着を取る。

「あれ?」と大楠が首を傾げる。

「お前、袖のところボタン取れてるぞ」

上着の袖を見やすいように持ち上げる。ボタンが一つ取れていて、千切れた糸だけがそこに残されている。
どこで取れたんだ?昨日の昼間はあった気がする。いつだ?

糸を見つめていると、大楠が俺の手首を掴む。大楠の茶色がかった瞳が、俺をじっと捉える。

「やっぱり、お前が殺したのか?」


いつものらりくらりと酔っぱらいの様にふざけている大楠が、この時は真剣な目をしていた。

「冗談じゃない。流石にミステリの読みすぎだよ」

「脈拍が上がり、汗をかいている。手は冷たく、筋肉は緊張している。口も渇いているじゃないか」

俺は大楠の手を振り払う。本が崩れる。大楠の表情は冷たい。

呼吸が乱れる。落ち着け、落ち着くんだ。息を整え、しっかりと立つ。

「そう思う根拠を説明してくれよ。根拠もなく友達を疑ってるわけじゃないだろ!?」

声のボリュームが普段より下手になっている気がする。6畳間に俺の声が響く。

「良いよ、俺なりの仮説、俺が行きついた結論を話す。もしお前が犯人じゃないなら、こりゃあミステリ好きの与太話として聞き流してくれ。楽しんでくれたら嬉しいが、不愉快なら帰って良い」

沈黙を肯定と捉えたのか、大楠が話し出す。

「まず、俺が無理心中ではなく他に犯人がいる説を推す根拠を話そう。ドア前の血痕は勿論、2人の出血量を思い出してほしい。二人とも服は血で真っ赤に染まっていた」

「当然じゃないか」

「まあ黙ってきけよ。女の子の方は喉が裂かれてるんだから、当然血まみれだ。しかし、店長はどうだ?傷は一つ、一刺し。引き抜いてないにしては、出血量が多すぎたんだ」

「女子スタッフの血じゃ?」

「飛んだ血液と本人から出た血液では、染まり方が違うだろう。あれは間違いなく店長自身から出た血だ。つまり一度抜かれたナイフを、もう一度同じ個所に刺し戻した」

「なんでそんなことを…」

「自殺に見せる為だろうな。さて、第三者の犯行なら、どんな犯人像が思い浮かぶか。店長を殺して、女子スタッフも殺す。店長の財布も金庫も無事だったそうだ。金目当てではない。店長単体、女子スタッフ単体、どちらかが狙いだったなら、夜道で殺した方がよっぽど効率が良い。では、この状況で殺したかった。二人の服は乱れ、交合の残留があった。俺の考えでは、店長は乱暴したんじゃなく、元々そういう関係だったんだと思う。その状況を押さえて、世に恥を晒して死んでほしかった。片方を自殺に見せかければ、あとは都合よく解釈される。乱暴している最中に殺してしまい、後から自殺した店長。はたまた、乱暴され抵抗している最中に反撃、殺してしまい、レイプされたこと、殺人を犯してしまったことのショックで自殺した女子スタッフ。きっと実行してみて、都合の良さそうな方を自殺に見えるように偽装した。恐れ入る柔軟さだよ」

俺はもうすっかり黙っていた。

「犯人は、密会の日程を知っている。監視カメラ事情にも詳しい人物。店内部の人間か、元関係者が濃厚だろう。ではその中で絞っていく。二人ともに恨みや嫉妬を持つということは、二人の関係を妬んでいた人物ということだろう。大の男と女の子二人をほぼ数秒で仕留めるのは、そう簡単ではない。だが時間が掛かれば掛かるだけリスクが高まる。店長はかなり大柄だ。ある程度の抵抗を考えると、犯人は男の可能性が高いと言える。店長室を探っている間にシフト表を見させてもらった。今は女子スタッフばかりの様だね。大方、獲物ばかり採用していたんだろうが…」

大楠は顔をしかめながら、麦茶を飲み干した。

「さて、もうひと踏ん張りだ。今述べた犯人像に合致する人物が、俺の目の前にいる。質問だ。あの店を辞めた理由を聞かせてくれ」

渇いた口をなんとか動かす。パリパリと唇がはがれ、やっと開く。

「他のバイトに変えようと思ったんだ。あの店は時給が高くない。深夜だから良かったが…」

「お前のバイト探しは上手くいっていない。昨晩も求人誌をめくっていたね?勿論例外はあるが、普通は次が見つかってから辞めるものだ。つまり深夜帯にあの店で働けなくなった、居られなくなった理由があるんじゃないのか?」

俺の口は再び閉ざされる。

「ここからは本当に俺の空想妄想物語だ」

大楠はぐっと姿勢を正し、俺を見つめる。

「お前はあの店で深夜のシフトに入っていた。そこで店長たちの密会現場を目撃する。お前には母がいなくなっても女遊びを続ける父親と店長が重なった。その上、お前は彼女に片想いしていたんじゃないか?嫉妬と憎しみが積もり、お前は店を辞め、二人の殺人計画を立てた」

もう随分長い時間この部屋にいる気がするが、太陽はまだ高い。

「あの日、あの曜日に密会が行われることをお前は承知していた。シフトもそのように組まれていたんだ。店長は気分次第で客の事も関係なく、スタッフを急に部屋に連れ込み事に及んでいた。スリルを楽しんでいたんだろう。そのタイミングを見計らい、裏口から侵入したお前は、包丁を手に取り店長室に飛び込んだ。慌てふためく店長を刺殺、抵抗して喚く女を押さえつけ、喉に包丁を突き立てた。うるさかったんだろ?だから喉だ。そして包丁を店長に刺し戻し、部屋を後にした。ドアの外の血痕は、思いの外、二人がドア近くにいたせいで計画が少し狂ったせいだと俺は思っている。そしてお前はすぐ隣の更衣室で血で汚れたレインポンチョかなにかを脱ぎ、バッグに押し込み、裏口から外に出て、何食わぬ顔で俺と合流した。」

暫し無言の時間が過ぎた。時計の音がいやに響く。

ドアのノックが聞こえ、大楠の祖母が麦茶のおかわりと菓子を御盆に乗っけて入ってきた。
俺たちの神妙な空気を感じ取ったのか、グラスを回収すると「仲良くね」と囁きながら、そそくさと出ていった。
二人して麦茶を一気に飲み干す。大楠も幾分緊張が窺える。水を得た俺が口を開く。

「あくまで仮説だよな?物的証拠はあるのか?」

大楠は深呼吸し、改めて姿勢を正す。真正面で俺と向き合う。俺は大楠のこれほど真剣な面持ちを見たことがない。もう冗談ではないのだ。

「実は、女子スタッフの手からボタンが出てきたんだ。店長のモノではないらしい。さっきの電話だ。確かな情報だよ」

皮膚の表面はじっとりと汗で湿り、口ばかりがからからと渇いていく。もう人間ではなくなっていく様な錯覚に陥る。体が自分という人間から離れ、徐々に形が損なわれていくのだ。

「お前のボタン、いつから無いんだ?」

大楠は悲しそうだった。


「いつから疑ってた?」
ミステリお決まりの文句を、俺だったモノが吐く。

「まず遅れてきたお前から香ってきた匂いだ。女物の香水。最初はお前の親父さんの連れの匂いかと思っていたが、女子スタッフの香水と同じだと気付いた。だからお前の反応を見るために【チャラついた店員】と【お父上の連れ】というワードをあえて出してみた。もし女子スタッフと付き合っているなら、俺の批判に反応する。親父の女絡みならその悪口が出てきそうだったが、お前の反応はどちらともなく微妙で上の空だった。そして死体が発見されて、もしやと思った。

 そして次に水だ。まぁこれは後になって思ったことだが、お前は水を飲んで顔をしかめた。ここの水がぬるく不味いことはお前もよく知っているはずだ。ということは、水がしみるような傷が口内にあった。口内炎かもしれないが、もし抵抗のせいだとしたら?店長の拳に赤みや傷はなかった。もしかしたら女の平手で口の中を切ったんじゃないか?と思ったんだ。」

「恐れ入る推理力だな。名探偵顔負けだ。でもちょっと違う。水がしみたのは、抵抗の傷でも口内炎でもない。自分で噛んでたんだ。暴力ってのは、行う方もストレスなんだな。取っ組み合いの喧嘩もしたことないから、知らなかったよ。実行前、実行中も、気付かずに噛んでたみたいで、済んでからも血の味がした。血生臭さばっかりに気を取られて、香水の残り香には気が回らなかったな…。」

完璧だと思っていた計画が、思わぬところでいくつも綻んでいたことに切なさと恥ずかしさで顔が熱くなる。

「それと動機もな、ちょっと違うんだ。俺は彼女が好きだったのは本当だ。そして俺は想いを告げた。だが笑われたんだよ、ガキは無理だって。その後店長とヤってるのを知って、この上なく、なんて言ったら良いかわからないけど、結果こうなるくらいムカついたんだよ。だから、父親とは重ねてない、多分」

言葉尻が曖昧になる。感情と言うのは複雑で、とても一言では捉えきれない。

「夢中で殺したけど、やっぱり好きで、抱きしめたんだ。血まみれの彼女を。あんなことしなきゃ、お前に勘づかれないで済んだかもな。」

心底馬鹿。死んでも直らない。

推理の答え合わせを聞き、大楠は合っていた所を喜ぶか、外れた所を悔しがると思っていた。
だが、大楠はまだ真剣な顔つきで、黙って俺と相対していた。

「さて、俺をどうする?」

大楠は暫くしてから「わからない」と答えた。

「だがどのみち、ボタンから俺だとわかる」

「ボタンの存在を警察は知らない」

「は?」口が自然と開く。

「ボタンならここにある」と大楠はポケットから黒いボタンを取り出す。
今まで積み上げてきたものを大楠自身でひっくり返した。

「俺は警察が来るまでの間、死体と店長室を調べ、或る程度お前にあたりをつけた。それは今までの説明でわかるな?そしてお前より早く聴取が終わった俺は、お前の席にある上着からボタンをちぎった。お前が気づけば、焦って行動に出るかもしれないし、後ではったりとして使えるかもしれないと思ってね。咄嗟の思い付きだ。騙したことは謝る。」

飽きれる。なんだってこんなことを。馬鹿にしてるとしか思えない。

「なんでこんな回りくどいことを!?それに、俺のバッグを調べれば、あの場で型がついたんだぜ!?」

上着と一緒に置いておいたバッグには、血まみれのレインポンチョとレインブーツが入っていた。
自殺の線で進めば、俺のバッグは調べられまいという俺の驕りだった。

大楠が唾を飲み込み、口を開く。

「そりゃあ真相がそこにある気はしていた。でも怖かったんだ。お前は俺の数少ない友人だからね。あの場で証拠が出れば、俺達は話す間もなくお前はお縄だ。俺の手で真相を知りたかった。本当の動機を聞きだして、ちゃんと納得したかった。理由なく人殺しをするようなやつとは、友達ではいられない。」

大楠は震えていた。ズボンの膝をくしゃくしゃになるほど握り締めていた。

「納得したか?」

「半分くらいだが、ああ」

急激な緊張と弛緩、胸が痛かった。だいぶ低くなった太陽が窓から見える。

やっと人間の形に戻れた気がした。

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