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短編小説『ロシアンルーレット』

冬に差し掛かったある晩。
繁栄と共に大量に建設され、衰退と共に巨大な墓標の様になった、工場と倉庫が規則正しく並ぶ、今となっては忘れ去られた工業地帯。その一角。埃っぽい倉庫に男たちはいた。
ロープで粗末な椅子に縛られたジョーマローンの香る男×1。
その前に仁王立ちする"少々"仕立ての良さそうなストライプのスーツを着た男×1。
その男の両サイドには、
揃いのオレンジのジャージを着た若い男×2。
計4名。
この状況を楽しんでいるのはスーツの男ただ1人の様だった。薄ら笑いで縛った男の周りを歩き、時折顔を覗き込んだり、その頬を軽く叩いたりした。
縛られた男は目を瞑り、沈黙の行の僧の如く押し黙っていた。
ジャージ男の片方は仕事を終えてから行きつけの店で飲むギネスビール、その店で働く若い娘の、制服のシャツを張る発達した胸部について考えていることを悟られぬ様に黙り、もう片方のジャージ男は仕事を終えてから行きつけの店でかぶりつくチーズの溶けだしたホットサンド、そしてやはりその店で働く若い娘の、こちらは制服のタイトスカート越しの丸みのある臀部について考えていることを、これもまた悟られぬ様にしかつめらしい表情を作って腕を組んでいた。

スーツの男が言う。
「俺は別に男を痛ぶる趣味はない。野太い声を上げさせてもこれっぽっちも面白くない。仕事は楽しいに限る。そうだろ?」
縛られた男は微動だにせず、沈黙の姿勢を貫いた。スーツの男が怒り出さないか、ジャージ男の片方は心配になっていた。とばっちりが来るのは勘弁してほしかった。タフガイの横にいるタフガイのままでいさせてほしい。そう願った。そんな不安は杞憂で、スーツ男は機嫌を保って先を続けた。
「今日の遊びはこれだ」
と懐からリボルバー式の拳銃を取り出す。その小さめのS&Wを見て、もう片方のジャージ男は(俺ならもっと大きい銃を持つね)と思った。縛られた男が目を開く。流石に「これだ」と言われて確認しないわけにはいかなかったのだろう。自分に向けられた銃口を見て、微かに視線が揺らぐが、それでも誤差の範疇の様な動きだった。その様子を見てスーツ男は愉快そうに笑う。
「大したもんだ。流石はお頭の女を寝取った男。肝が据わっている。遊び甲斐があるね」
ジャージ男の片方はお頭の姿を思い浮かべた。禿げ上がった頭、震えの入った声、もうあまり見えていなさそうな白く濁った目、魔法の杖みたいな指先を持つ手が持つのは蛇の頭を持つ杖。もう百歳近いんじゃという噂もある。それでも囲った女が街に何人もいて、手を出す男がいれば、こうして末端の男たちが落とし前をつけに伺うことになる。お頭の力はまだまだ街に行き届いている。その精力に(夢があるな)とジャージ男は思った。そんなおじいちゃんになりたいと七十年後に想いを馳せる。
一方、片方のジャージ男はお頭の女を思い浮かべた。本件に関わる女だ。一度だけ見たことがある。長い黒髪に白い肌、胸が大きい、小振りだが形の整った尻、ふくらはぎが良かったと記憶している。確かお頭の特に"お気に"だった。歳はジャージ男たちと近い。つまりおよそ七十歳差。ジャージ男は二人のセックスを想像してすぐに辞めた。これから先長くセックスしたいとは想うが、それ程長生きはしたくないなと思った。
お頭と呼んではいるが、彼等は組織の人間ではない。そもそもこのスーツの男とその子分であるジャージ二人はフリーの用心棒、下請けの下請けみたいな仕事人で、こういう組織の関係者が直接手を下さない、おこぼれのおこぼれみたいな些末な仕事を受けてはこなし、なんとか組織の人間みたいな顔をして街を出歩ける。そういう類の小チームだった。

「ロシアンルーレットは当然知っているだろう?」
スーツ男は拳銃のシリンダーから弾丸を全て抜き出すとその一つを全員に見せる様に再びシリンダーに戻し、あとはポケットに仕舞った。景気良くシリンダーを回し小気味よい音を立てる。
「もしこの勝負で生き延びたら自由にしてやる」
ジャージ男は二人とも(今回もか)と思った。ロシアンルーレットはスーツ男の十八番だった。
「特別に一発目は俺からやろう。こういうのは言い出しっぺからやるのが礼儀だ」
スーツ男のこめかみに銃口が当たる。撃鉄が起こされる音。縛られた男はその姿を真剣に見つめていた。喉仏が上下するのが見える。破裂音。上がる硝煙。火薬の香り。人の倒れる音。流れ出る鮮血。男たちは、それらが揃ってはじめて、拳銃がその仕事を真っ当したことに気がついた。スーツの男が死んだ。

縛られた男はその状況を呆然と見つめ、少し間を置いてから嘔吐した。
「待て待て待てなんだこれは」
「嘘だろくそったれ、どういうことだ」
とジャージ男が各々で叫ぶ。
過去スーツ男のロシアンルーレットを十回は見てきた二人は、てっきり彼がイカサマで勝ち続け、単に処分相手の表情や反応を楽しむ為にやってる茶番だと思っていた。ジャージ男の片方はそのタネを予想していたし、もう片方はいつかそのイカサマ方法を教えてもらおうと考えていた。しかし今回こうして死んでしまったということは、今までの十回は全部正しいロシアンルーレットが行われたということになる。スーツ男の底知れない強運に、過去感じたことのないリスペクト、それを越えた畏怖を感じてジャージの二人は震え出していた。

「俺は、どうなる…?」
ジャージ男が各々のパニックを制し呆然とするパートに差し掛かった頃、縛られた男が震えを抑える様な声で問うた。
「もしこの勝負で生き延びたら自由にしてやる」
それがスーツ男の遺言となってしまった。これはスーツ男とロープ男の契約であり、本来の指示は「間男の処分」である。ロシアンルーレットに勝ったらチャラですとは言われていない。しかし困ったことに、ジャージの二人は、死体の処理は経験があれど、まだ人殺しはしたことがなかった。以前「ヤってみるか?」と問われた時、二人の脳裏には実家の母親の顔や、結婚して幸せに暮らす妹の顔がそれぞれ過っており「誕生日に取っておきます」と声を揃えた。
ジャージの片方がもう片方のジャージの腕を引き、ロープ男に聞かれない様距離を取って口を開く。
「どうする?」
「殺しは嫌だな」
「生き延びたら逃すって言っちゃったしな」
「そうだよね」
「でもそのまま逃したら今度は俺たちがお頭の追っ手から逃げて暮らす様だぜ」
「それも困る」
「全くなんてことしてくれたんだよあの人」
「置き土産が過ぎるよ」
「どうする?」
ジャージ男たちは縛られた男、転がった男を交互に見て考えた。そしてジャージの片方が、電球が浮かぶ様に目を見開いた。以前、雪国のペンションで殺人事件に巻き込まれた時も、彼はその表情を浮かべて真相を突き止めたことがあった。だからもう片方のジャージ男は幾らかの希望をその場に見出すことが出来た。
「一つ考えがある」

『会長、お客様です』
マホガニーの机の上のインターホンから秘書の可愛らしい声が響く。
会長。男の表向きの肩書きである。その実は"お頭"と呼ばれる街を裏から牛耳る一人の男。少年時代に貪る様に読んだH・P・ラヴクラフトのクトゥルフ神話における邪神の様になるとは、男は夢にも思っていなかった。男は応答のスイッチを押す。
「誰だ?」
「あ、えっと…どちらさまで…あぁ、掃除屋さんです」
「どの?」
「え…あぁ、三人組です。今そちらの部屋に向かいました」
男はスイッチを離し「くそ」と呟く。まだ通して良いとも言っていない。三人組の掃除屋と言えば一組しかないからまぁどの要件かは検討がつくが、立場上流石に不用心が過ぎる。姿形が良ければ大抵のことは許せると思っていたが、この秘書を雇って一週間、既に男は自分の年老いても幾らか残った性欲を恨み始めていた。行きつけのデニーズの店員にだってもっとマシで気立の良い子がいる。今度選ぶ時は男だ。いや、しかし男を選ぶとまた自分の女に手を出しかねない。そしたらまた掃除屋雇わねばならない。などと考えていると表から会話が聞こえてくる。会長室前に配置しているシークレットサービスの二人が掃除屋のボディーチェックとIDの確認をしているらしい。程なくしてノックが聞こえる。
「入れ」
シークレットサービスに連れられ、三人の男が会長室に入ってくる。お頭は目を細めて三人を見つめた。芝居がかった歩き方のスーツの男、その両サイドにオレンジ色の服を着た男が二人。こんな馬鹿げた格好の二人組を連れた演技クサいやつは他にいない。耄碌してぼやけた視界でもそれは分かる、とお頭は頷いた。

数時間前。

「一つ考えがある」
「なんだ?」
「服を入れ替えるんだ」
「なに?俺たちのジャージを?」
「同じジャージ入れ替えてどうするんだ!この間男の服と兄貴のスーツをだよ」
「いやいやいやそりゃ無理だろ、サイズが、いや大体同じか」
「顔の形も割と似てるぞ」
「いやいや、でも流石にバレるだろ」
「幸いお頭の目はもうかなり見えていない。以前黄色いおしぼりをバナナと見間違えた」
「マジで?」
「マジ」
「エントランスに秘書がいるだろう?」
「最近変わったから問題ない。頭の栄養がおっぱいに取られていると噂だ」
「シークレットサービスは?」
「シークレットサービスが興味あるのはIDと武器の有無だけだ。秘書が通した時点で大方チェックが済んだと思い込んでるのさ」
「希望的観測じゃないか?」
「他に案があるか?」
「ないけど」
ジャージの片方はロープを解き、男に服を脱げと命じた。もう片方は転がった男から一生懸命服を脱がせている。今まで縛られていた男は、この二人は変態で、これから自分はホモセクシャルでネクロフィリアな戯れに付き合わされると思い、背筋に嫌な汗をかいた。しかしその予想は大きく外れ、男に課せられたのは演技指導だった。ロシアンルーレットで勝手に死んだ男のスーツを着せられ、変に芝居がかった歩き方と作った様な発声を練習させられた。

現在。
スーツの男から漂うジョーマローンの香り。お頭は鼻をくすくすと動かし眉を潜めた。
「この香りは…」
スーツを着させられた男は微かに視界が歪むのを感じた。香水のことを失念していた。ジャージの二人も顔を見合わせる。
お頭が静かに呟く。
「バレるに決まっているのに馬鹿者どもが…」
スーツの男は覚悟を決めて再び目を瞑った。ジャージ男の片方は逃走経路を考えたが、建物の最奥部であるこの部屋に来てしまっては生きては出られないことは目に見えていた。もう片方のジャージ男は最期に自分を囲むのがこんなむさくるしい環境であることを虚しく思った。どうせならストリップクラブで興奮のあまり心臓麻痺を迎えたかったと思った。お頭が多少息を荒げて立ち上がった。
「女は時たまこの香水の香りを纏って私の前に現れた。間男との密会の後だったんだろう。いくら私が耄碌したからといって、この強烈な香りに気付かないとでも思っていたのだろう。馬鹿者としか言いようがない。それで、その男はどう殺したんだ?残り香がこれだけ感じられるんだ。絞め殺したのか?そうだろう?苦しんだのか?どうか教えてくれ。私に恥をかかせた男の最期を」
息継ぎせずに話す老人に男たちは圧倒され暫し呆然としてから、スーツの男が口を開いた。そしてこの世の物とは思えない程、残忍で生々しい絞殺の一部始終を独り芝居で演じ切った。それにはジャージの二人も息を飲んで見ていることしか出来なかった。自分たちの演技指導を大きく越えた役者がそこにいた。兄貴の模倣どころではない。男の演技に兄貴の残像が重なる。二人は静かに涙を流していた。男たちの兄貴がそこにいた。
一方お頭は演技が終わると興奮のあまり椅子に倒れ込むように身を預けた。
「ご苦労だった。報酬は弾もう。いつものところに。また頼む」
お頭は目を瞑り、眠りについた様だった。男たちは部屋を後にした。

建物から出て、外の空気を胸いっぱいに吸う。三人ともそうだった。
「山どころじゃなく空気が美味い」
とスーツの男が言う。ジャージの二人にも異論はなかった。
その時三人の目の前に黒塗りのセダンが停まる。そこから黒ずくめの男が降りてきた。ジャージの二人はその男がお頭の率いる組織の幹部であることを思い出した。幹部はスーツの男の前に立って目を見張る。
「どうして生きていやがる?」
この幹部は唯一、元のスーツの男を有効な視力で確認した男だった。そして処分命令が下っている間男についても知っていた。三人仲良く深呼吸なんてしていないで、さっさと立ち去れば良かったと、ジャージ男の片方は思った。間男は(もういい加減殺してくれ)と目を瞑った。幹部は間男が着るスーツをまじまじと見て、こう言った。
「なるほどな、うまくやったんだな」

幹部の話では本件の女というのが相当な好きもので、組織の関係者の過半数が一度はお世話になったことがあるという。当然幹部の男も嗜む程度ではあるが関係を持ったことがあった。お頭は当然そんなことは露知らず、自分だけに愛を向けてくれていると思い込んでいた。そして長らく、その馬鹿げた状態が続いていたのだが、先日本件の間男がこの問題に介入してきた。そしてその愛用している香水がまずかった。お頭は目も悪ければ鼻も利かない方なのだが、その銘柄はお頭の嫌う御父上の愛用する香水にとてもよく似ていたのだ。忌み嫌う父の記憶が走馬灯の様に蘇り、それが引き金となって間男の捜索とその抹殺の指示が下ることに相成ったわけだった。そうなると女と関係を持った人間は一同、玉の縮み上がる想いで事の成り行きを見守っていた。そしてある種仲間意識のある間男への同情を抱いていた。香水をつけるのが悪いという者もあったが概ね同情していた。
幹部の男は間男を抱きしめた。
「街を出て遠くに行け。お頭の力が及ばないところへ」
間男は涙ぐんでいた。
ジャージ男の片方は、新しい兄貴を主演に据えた物語の案を既に考え始めていた。そしてもう片方は、三人で何を食べようかを考えていた。

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