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『非往復書簡』#4を乗せた船に乗った男 (旅行記だったノート)


三月十三日 (日) 晴天 波歌島

乗ろうとしていた船には手違いで乗ることが出来なかった。
バックパッカーとしては慣れっこの事態だ。
なんとかならないかと周辺で聞き込みをしていると、近くで積み込み作業をしていた老人が「島まで行くから乗っていくか?」と言ってくれた。
私がお金を渡そうとすると老人は手と首を振って「はよ乗れ」と言った。

老人は島と本土との郵便物や物資のやり取りを受け持っているらしい。
流石に一人で働くには荷が重いと見えるが後継者がいないのだと。
「継がんか?」と三度も訊かれた。正直まんざらでもないが、今は島に行かないことには話にならない。

「あの島はな」
老人がゆっくりと口を開いた。
「元々墓島と呼ばれとった」
老人の話では、その昔罪人が送られる収容施設があったらしい。謂わば流刑地だ。そしてその多くは、島で命を失った。そこで骨を埋められたのである。
「そのせいか、よおく育つんだ、木が」
私は言葉に詰まり、今自分が向かっている島を眺めた。
「わしなら海に撒いて欲しいね」
私ならどうだろう。
「つまらん話で悪かった。今では施設も跡形もない。どこぞ団体が買い取って、なんでもあみゅーずめんととか言うのを作るらしい。詳しくは知らんが。」
友人に呼ばれた島がまさかそんなところだとは、色んな意味でびっくりである。
不思議に思って「住人はいないんですか?」と訊ねると、関係者が住んでいるだけだと言う。
「にいちゃんもそうなんだろう?」
私は答えなかった。

島に着いた。
老人に礼を言い、友人がくれた地図を元に歩みを進める。

確かに老人の言った通り、道中立派な樹々が多く見られた。
コンクリートやアスファルトが邪魔をしないせいもあるのかもしれないが、その禍々しくも美しい樹々は、その下に死骸が埋まっていると言われても違和感がなかった。

鬱蒼とした獣道を抜けると少し開けた場所に出た。
そしてそこにぽつんと家が建っている。その前には「寝袋家」と書かれた看板が立っている。間違いない、ここだ。
インターホンやベルの類が見られないのでノックする。
しかし返事はない。ノブをひねると抵抗なく開いた。
そしてその瞬間、記憶の同期が行われ出す。
私は寝袋男になった。そして昔からそうであったと感じる。しかし私の記憶も残っていた。不思議な感覚だ。過去の二つの人生を同時並行的に捉えることが出来る。
私は「自分」が書いた遺言書を覚えている。
書斎の机の1番右の引き出しに入っているのだ。

私は前任の寝袋男の遺体を、前任の寝袋男が掘った穴に埋め、その上に前任の寝袋男が用意した木を植えた。
そんな作業に明け暮れていると、船の老人がやってきた。

「なんだ、あんただったのか。なら継げんな、残念じゃ。ほれ、手紙。」

私は老人にレターセットを注文した。

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