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短編SF小説『美しい貌』

都市部から少し外れたベッドタウン。狭い狭い私の城、302号室。リノベーションによって現代的な様相にはなっているが、その実は内部の老朽化に喘ぐ古いアパートメント。その中の更に狭いバスルームの、洗面台の前。コームセットや頭痛薬が入る収納付きの鏡に、一人の女が映っている。平坦で平凡な顔立ち。これが私だ。

型落ちのパネルフォンを取り出して鏡に無線接続する。メニューをスクロールしているうちに様々なエフェクトがかかり、鏡に映る顔が変化していく。そして求めていたエフェクトがかかる。そこには目鼻立ちのくっきり整った、誰もが望む様な美貌が映し出されている。美容整形外科医との綿密な打ち合わせを経て完成した、私の骨格に合った、新しい顔。平凡な顔の女とは今日でお別れ。

私が外見にコンプレックスを持った理由を、カウンセラーは母親のせいだと言った。母親の投げた言葉だと。一理あるかもしれないが、そんなことより街中で目に入る無数の美人、彼女らの楽しそうな姿が嫌でも目に入る。以前ならばソーシャルネットワークで美人が溢れかえっていても「どうせ加工だ」と言っていられたが、最近巷を闊歩する美人率は確実に増えていた。「どうせ整形だ」という気持ちもあった。しかし彼女らは自信に満ちていた。後押しする様に、私のパネルフォンには美や整形に関する広告が無限に湧いてきた。刷り込まれた意識かもしれない。しかしコンプレックスは無視出来ない大きさに膨らんでいた。

「本当によろしいですか?」
外科医が契約書を机に滑らせながら訊ねる。再三訊ねられていることだ。当然良いに決まっている。
「どうして、そんなに何度もお尋ねになるんです?」
外科医が私にペンを手渡しながら問いに答える。
「技術が進んだとはいえ、一度メスを入れて仕舞えばもう元には戻せません。今はホログラムメイクによって日替わりで色んな外見を楽しまれている方も多いですし、外科手術は覚悟のある方でないと。万一のトラブルを避ける為、申し訳ありませんが最終の確認なのです」
ホログラムメイクはここ数年で飛躍的に進化し、以前のデバイス上だけのエフェクトではなく、それを実装して外を出歩くことが可能になっていた。しかし実際のところ、管理デバイスの電池切れや動作不良、通信障害によって、出先でエフェクトが取れてしまい、婚約が破談になったケースや契約を解除されたアイドルがいるという話も少なくはなかった。私はごめんだった。
「覚悟の上です。生まれ変わりたいんです。本当に」
その為にあの古いアパートで何年もひもじい生活に耐えてきたのだ。
外科医は設置されたセキュリティカメラを見て頷き、私を見て再度頷いた。
「それではこちらに署名と血判を」
名前を書くと、
「人差し指を」と言われ、右手の人差し指を差し出す。
「痛くないのでご安心を」
目に見えない程細い針が無数についた器具が指先に当てられ、それが離れるとぷっくりと血液が浮き出し指先を染めた。痛みはない。指先を名前の隣に当てる。印鑑は衰退していったが、DNAという誤魔化すことの難しい個人情報を含んだ血判は、そこに含まれる皮膚片、付着した時の血液の鮮度が明確に検出できる様になった現代では、映像とセットにすることによって、重い契約においてその価値が再評価されていた。人生で血判をしたのは初めてだった。いよいよなのだと改まった緊張が押し寄せてくる。

手術室。眩しい照明。逆光、マスクの上からでも分かる美貌を備えた助手。その横に置かれた機体のパネルには私の今の顔とこれからの顔が映し出されている。機体のアームが伸び、私の顔の前で止まる。
「少しの間、おやすみなさい。深呼吸して」
外科医の優しい声に誘われ深呼吸すると一瞬にして意識が手術室台の奥底へと沈んでいった。

鏡の前で包帯を取る。するとそこにはなにもなかった。のっぺらぼうだ。それを見て母が笑う。私は半狂乱になって家を飛び出す。街の誰もが振り向くが、それは私の望んだ意味ではない。私は急いで美容整形外科に飛び込んだ。
「顔が欲しいんです。ちゃんとした顔が」
私は必死に訴える。
「本当によろしいんですか?」
としつこいほど訊ねる外科医に私は、
「早くしてください」と怒鳴りつける。
外科医は針のついた道具を私の顔に押し付けた。何もない顔から血が浮き出る。

そこで目が覚めた。真っ白な個室でベッドに横たわっている。整形への不安が見せた夢。そんな不安とは裏腹に、整形手術は上手くいっていた。数日の入院後、私は理想的な顔で街に出た。

最初は楽しかった。顔に自信を持つと視線が高くなる。見える景色が違った。自分のものを選ぶのもずっと楽しい行為になった。向けられる下卑た眼差しは羨望の眼差しに変わった気がした。憧れた美人たちと同じになれた。実際そういう人達のコミュニティにも入ることが出来た。しかしそれは本当の意味での同化だった。彼女らが追い求めていた美貌というのは、ある種個性を究極にまで省いた先にある美しさだった。ミニマルでマスプロダクトな、製品の様な美しさ。それに憧れた私。外から見れば美しい。だがそれ以外の何者でもない。花だって相当の愛好家、研究家でない限り、その個体の見分けはつかない。平凡を嫌った私は、個性を省いた美しさによって、また違った形に埋没していった。

巷では個性的な人、特徴的な鷲鼻や大きな口のモデルが人気を博していた。私の中にそれを美しいと思う感覚はまだない。

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