思考の型を社内で統一する意義
よくスローガン的にその企業の思考の型や考え方の根幹みたいなものが紹介されているのを見たことがあるけども、その意外な側面について紹介されていた。
様々な思考の型
・セブン‐イレブン・ジャパン「仮説思考」
・トヨタ自動車「トヨタ流問題解決」、「自工程完結」
・Keyence「目標から今日すべきことを逆算」
・Keyence「結果と戦略に因果関係を」
・Amazon「その場で読んですぐに理解できる文章を書く」
大きな規模の企業、知名度の高い企業にはその企業の思考の型が存在する。
これって企業文化じゃないか?と考えた人は非常に鋭い。
そう、企業文化に非常に近い。なぜなら文化は思考と非常に近い関係にあるからだ。
文化は言葉から醸成されるという考え方がある。
思考は脳の中の言葉による分析のようなもので言葉なき思考は存在しない。
文字をかけない民族はいるが、言葉を話せない民族はいるだろうか。
それほど言葉は思考を作り、文化という”共通項”を作り上げる。
共通項の重要性
私は思考の型というのは企業の中で戦略を練ったり、事業を行う中で得られた有能な考え方のメソッドなのかと思っていた。
もちろんそれもある。何かあるたびにその方法について考えを新たなに作るより重要なメソッドは型というフレームワークで誰でも使えるようにしたほうが効率がいい。
でもそれ以外に重要なのは、メンバーが同じ価値観や土俵の上で議論ができる点だ。
会議において最も時間を取られるのは認識のずれや判断基準のずれではないか。
なぜ意思決定が容易にできないかというと物事を多面的にみると、自分の意見も相手の意見も正しい時が出てくる。
でも判断軸が異なったり、最終ゴールとして据えている目的の祖語によって話し合いが停滞する。
それを防止するのが企業全体で共有した思考の型である。
もちろんビジョンなんかも価値観の統一に役立つが、すべての決議が企業の在り方などたいそうなことに関するものではない。
もう少しレイヤーを下げた議論をするときでもある程度企業内のメンバーは意思決定について共通項を持っていたほうがいいのではないかと思う。
最終的に何をもって「良い」と判断するのか。
そこを共有しておくためには思考の型を共有するのは非常に生産的だと感じた。
「これってどうするのがいいんだっけ?」と迷ったときにそれをガイドするような思考の型は共有されているだろうか。
それは企業規模に関係なく、さらには非常に優れた洞察が含まれていなくても共有するメリットはあるのかなと、違う視点から思考の型を見て考えた。
今日はここまで。