ゲーフラ達20周年。その⑤届けたい思い※サンジくん登場
2005年シーズン、開幕は・・・
いつもスロースターターだったような過去イメージのセレッソ大阪。
2005年序盤成績は、ほとんど自分の記憶には残っていないが、調べたネットでのデータを見た所、やはり”開幕三連敗”をしており、まぁそうでしたね、と少し思い出した。
そんな中、チョッパーに続く次のゲーフラ製作を考えていた。
もちろん、当時は既に社会人であり、某前職に従事しながら、朝も夜も無いような仕事生活を中心に、出来る限りのセレッソ大阪の試合、トップチームを主にホームもアウェイも行くという、20代という若さもあり今では考えられない生活していた。そんな時間がない中でのゲーフラ作成を進めるのは、なかなか体力的に厳しいのだが、逆に使わない脳内の芸術領域を使えるので気分転換になるよねとポジティブな気持ちもあった。
【西澤明訓(通称アキ)】の為のゲーフラを作る、というチョッパーを製作したコンセプトは変わりなく。やはり、アキが好む週刊少年ジャンプ漫画:ワンピースシリーズ継続を主に考えを巡らせていたと思う。
チョッパーに続いて誰を描く?
西澤明訓・セレッソ大阪→桜🌸→チョッパー
というある意味簡単な連想ゲームのように、ゲーフラのチョッパーが誕生したが、次に誰を描くか、というのが問題であった。
何も統一性が無いのも違うなと思い、ワンピースシリーズ⇒【麦わらの一味】で候補人物・デザインを絞る事とした。
チョッパーはオス、、、設定は男キャラなので、今度は女性キャラにしようかと、最初に思いついたナミさんを考えてみたが、残念ながらイメージカラーがオレンジ🍊。あまりにもセレッソイメージのピンク🩷とはちょっと違う気がして、また当時のナミさんを可愛く美人に描く自信も全然無かったので、無理と判断した。
🌟そうだ、サンジくんにしよう!
サッカーはもちろん足🦵を主としたスポーツ。
テーマである、麦わらの一味”蹴り技”を主としたイカしたキャラは、
もう1人しかいない!という事で、サンジくんを描く事に決めた。
ジャンプコミックスをペラペラめくり、サンジくん登場シーンをある程度ザックリとチェックし、いつものようにデザインスケッチを実施。
下絵を紙と鉛筆で、あーでもない、こーでもないと描きつづって大まかなキャラクターデザインの構図は決定。元絵となるサンジくんは、普通の葉タバコを片手に持っていたが、そのタバコはそっと消して、手を差し伸べるような感じにしようと少々修正。今回は、より立体感を感じさせるような、手🖐️にこだわりを持ってデザインをしてみた。
文字はどうするか?
足技が得意なサンジくんが、逆に手を差し伸べるというキャラデザインと構図は決まったが、そのサンジくんに”何を”言ってもらうのか。
今回はこの文字部分ここで作業が止まり、アイデアが詰まる事となる。
サンジくんのストーリーを思い出すと、、、
色々あってサンジくんが幼少期に見習いコックとして乗っていた船が、ある時に海賊ゼフが率いる海賊団に襲撃されてしまう。その際に、船が嵐に巻き込まれ、ゼフと共に絶海の孤島で長期間の遭難を経験。その中でゼフは、コックの夢の場所であるオールブルー(東西南北の4つの海が交わる伝説の海域で、全ての海食材が手に入るとされる場所)を見つける事という夢がサンジくんも同じ夢を持っている事に気づく。その為、見殺しに出来ず残っていた食料全てをサンジくんに渡し、自身は自分の足を切断して食い飢えを何とか凌ぐという遭難生活を生き抜き、その結果として、サンジくんは命を救われる事となる。
無人島から救出された後、サンジくんは、ゼフの建てた海上レストランに引き取られ、恩返しをするべく働き、料理のノウハウと足技を叩き込まれながら育ち、副料理長となった。料理長となったゼフとは喧嘩が絶えなかったが、恩義を感じるあまり、夢であったオールブルーを探す事とは向き合いきれていなかった状態で、ルフィ達と出会う。。。
ある時サンジくんは、空腹で死にそうになっていたクリーク海賊団の無法者ギンに無償で食事を与えるという優しさを見せる。この一部始終を見ていたルフィに気に入られ、コックとして仲間に誘われるが、ゼフの恩義も返せていないと断る。その後にクリーク海賊団侵攻の際に、ルフィと共に敵隊長パールと交戦し華麗な足技を披露し圧倒しかけるがしかし、食事を与え飢えから助けたギンが恩人ゼフを人質にとった事で攻撃が出来なくなり一方的に攻撃を食らってしまい大ピンチ。またそのギンに戦いを挑まれ、パールから受けたダメージもあり追い詰められるが、実は、死にかけていた中、無償で食事を貰った事に強い恩義を感じていたギンが、最後の最後でサンジを殺せず、敵船長:首領クリークが放った猛毒ガス弾からサンジを守って倒れる。そこで激高したルフィがクリークを叩きのめす戦いの中で見たルフィの信念に感化され、またゼフ達と海上レストランバラティエのコック達面々の不器用な促しにより、覚悟を決めてルフィの仲間に加わる。
旅立ちの際は、ゼフに長年の感謝の言葉を述べ、涙ながらに言ったセリフ
「くそお世話になりました!!!」
名シーンなのだが、ここまで振り返ってもさっぱりゲーフラの文字イメージが出ない。。。。。
どうしようかと困ったが、
くそお世話になりました、、、
自分が、とてもお世話になっている人達、、、
お世話になっている人達、、、
一緒に応援する同志達、、、
届いているか 俺達の魂 cerezo is all our lives
200X年。何となくセレッソ大阪試合で一緒に応援する事となった人々が、いつの間にか熱い想いを胸に集まっていった。。。
セレッソ大阪サポーター集団の中心であるR・O・U(リアルオオサカウルトラス)とは、別路線の一匹狼サポの集合体。。。
ウルトラスとは異なり、ぬるい・ゆるい応援を、、、するのではなく、
内に秘める魂や思いは非常に熱く、全然ぬるくない集団が誕生していた、その名を、R・O・N(リアルオオサカヌルポラス)。※通称:ぬるぽ
その熱い思いを全身全霊で選手に届けるという稀有な応援スタイルは、
例え少人数でも大声量の届く声掛けとチャントによって選手達に戦う力を、
試合中の苦しい時に、そしてメンタルがへこんで挫けそうな時に、
届くか届かないかという最後の一歩を踏み出せるような、
選手へ届く応援というコンセプトを体現する戦闘民族である。
という半分冗談は置いておいて、
2000年代初頭、当時セレッソ大阪の選手を応援する際に感じていた違和感というかモヤモヤ感と言えばいいのか分からないが、
「本当に俺達の気持ちは伝わっているのか?」
という思いも含め、支えたい熱い信念を内に秘め、幕に描き
【届いているか 俺達の魂】を掲げ応援をしていた。
今から約20年前、、、いやもっと以前からもセレッソの下部組織応援する活動をしていた先輩方はいたと思うが、主として下部組織も応援する事でトップチームの強化へ繋げていこうとした人達が”ぬるぽ”だった。
その活動が本格化した2004~2005年から、小さい頃から所属するユースっ子達に、セレッソ愛を伝え続け、共に戦い勝利を目指す。
その成功体験も失敗体験をも含む様々な経験をした子供達が、将来的にセレッソ大阪の中心選手に成長してチームを支えていく未来。
もし高校から昇格できなくても大学経由、もしくはプロ選手では無くてもコーチやスタッフや社員としてセレッソに戻ってきてチームを色んな角度からセレッソ大阪を担っていく。
その一つ一つの歯車が回り出して循環していく、
そんなセレッソ大阪の未来が来る事を信じて応援する人々がいた。
そんな地道な積み重ねが進み、後にハナサカクラブが発足され、セレッソ大阪としてもユース組織、下部組織の改善改革が始まり練習後の食事面や遠征費なども含め手厚いサポートが始まる。また年間チケットにハナサカクラブ費用を組込む仕組みも始まり、他のセレッソサポ達にも認知を進め、みんなで育てる支える意識への改革。結果的に集まる資金によりユースチーム単独で海外遠征が実施されるなど発展。そしてユースからトップチームへの昇格、また大学経由でセレッソへ就職や、下部組織のコーチスタッフにユース卒団OBが戻ってきてくれるなど、アカデミー全体がより良い方向に進んでいっていた。
そしてその流れが波及するかのように、トップチームも2017年ルヴァンカップ優勝と天皇杯優勝という悲願の優勝タイトル獲得に成功。
2005年に夢を見ていた世界が現実となり、順風満帆に見えたのだが、、、
近年ある事変を境に転がり落ちる様に状況が良くない方向へ変化してしまう。この数年のアカデミーの状況も含め、セレッソ大阪の現在状況は、失ったモノが多すぎて、あまりにも悲しい気持ちが強い。
これ以上言い出してしまったら、
本投稿意図と、かけ離れる為、書かないでおきます。
さて、少々脱線してしまったが、
今では、そのぬるぽ幕=【ユースを応援する幕】イメージとなっているかと思う。しかし発足した2004年当時、最初はトップチーム応援、そしてユースチームも応援する幕として、全国各地のスタジアム、そしてユースの試合が開催されていた競技場や学校のグランドや河川敷も含め様々な場所に行き、当時、自分1人では行けないような場所にも車に同乗させてもらっていた。
とんでもない僻地遠征も含め、全国各地の観光やグルメも堪能、初代ぬるぽ号(三菱自動車デリカ)を交代で運転しながら巡った日々の中で、
本当にお世話になった大恩人達が、R・O・Nの錚々たるメンバーである。
さて2005年当時、そんなぬるぽ幕と共に応援し掲げるゲーフラとして、言葉を選ぶとしたらどうするか?と考えた時、
届いているか 俺達の魂
↓
【届くだろ 男なら】
サンジくんに言ってもらう言葉が決定した。
こうして文字も含めた下書きは完成。
今回、布は前回作成時の残りを流用。サンジくんの髪の毛の色を塗る為、梅田の画材屋へ新たなアクリル絵の具リキテックスの黄色を買いに行き、配色はスーツを濃い紺色、カッターシャツはピンク、そしてネクタイはかなり濃いピンクとしてセレッソをイメージ。髪の毛も立体感を出す為の光沢表現に白を使用、今回デザインの肝である、印象が強い”飛び出す手部分”は影を加えての陰影を意識し茶色も彩色して、ぬるぽゲーフラ・サンジくんは完成し、ぬるぽ幕と共に応援をする事となった。
さて、そんな魂の応援が本当に届いたのかどうかは分からないが、セレッソ大阪トップチーム、2005年は最終的にJ1リーグ優勝争いをする事となり、最後には。。。。。
そこから時が経って、いつの間にかと言うか、あっという間の20年、、、
2025年の現在は、未だにトップチームはリーグ優勝を出来ずにいるが、何人かのアカデミー育ち選手がトップチームを支え、他チームであってもセレッソ大阪アカデミー出身選手が主力となっているチームも出てきた。
またセレッソ大阪ヤンマーレディース、ガールズU18、U15という女子チームも誕生している。2005年のサンジくんゲーフラ製作当時は、まさかセレッソ大阪に女子チームが誕生して、それも含めて応援する事になるとは、全く想像もしていなかった事もあり、【男なら】と指定している為、セレッソ大阪ヤンマーレディースも含む女子チームでの応援では、サンジくんはお休みです。
また昔より確実にセレッソサポーターが増えた。本当にそう思う。
様々なカテゴリーも含め、応援をする人が増える事もセレッソ大阪の未来へ繋がると思うし、そんな時代の荒波に揉まれながらも、自分は自分の出来る事を今年もやろうかと思いますので、宜しくお願いいたします。
さて、西澤明訓を推してまいる為のチョッパー、サンジくん、この2作品を製作すると次に目指すは、ワンピースゲーフラ3作目4作目。
こちらついては、また別の機会に振り返ろうと思います。
今思い出しても、激動の2005年。。。
本当に色々あって、先に少しだけ言うと最終的に2005年12月3日にルフィが誕生。そして自分の応援人生の指針を決定付ける運命の優勝がかかったホームFC東京戦がその12/3。そして翌日12/4でのU15ユース試合が未だに忘れられないし、忘れる事は出来ないので、それも含めて振り返ろうかと思います。