見出し画像

【招待券1組2名様】愛知県美術館 パウル・クレー展 創造をめぐる星座


パウル・クレー《北⽅のフローラのハーモニー》  1927年 パウル・クレー・センター(リヴィア・ クレー寄贈品)

◇展覧会について

「この世では、私を理解することなど決してできない。なぜなら私は、死者たちだけでなく、未だ生まれざる者たちとも一緒に住んでいるのだから。」

パウル・クレーのこの言葉は、
1920年にクレーの作品を売り出した画廊の販売戦略に用いられて、
孤独に瞑想する芸術家としての彼のイメージを広めました。
たしかにクレーの作品は謎めいているかもしれません。

しかし、同じ時代を生きたほかの多くの前衛芸術家たちと同様に、
クレーもまた、仲間たちと刺激を与え合ったり、夢を共有したりしながら、
困難な時代を生き抜いたひとりの人間でした。

クレーは、人生の根源的な悲劇性と向き合いながら、
線と色彩によって光を呼び起こし、
抽象のなかに生命のエネルギーを描き出しました。

その作品は、歴史的な文脈のなかに置かれることで、
また新たな姿を見せることでしょう。

本展では、スイスのパウル・クレー・センターとの学術協力のもと、
クレーと交流のあった芸術家の作品との比較や、
当時の貴重な資料の参照を通じて、
多くの人や情報が構成する星座=コンステレーションのなかで
クレーを捉え直し、その生涯にわたる創造の軌跡をたどります。

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/----.html

◇本展のみどころは!!

①パリの⾊彩とチュニジアの光

1914年の春、線描を主な表現⼿段としてきたクレーは、
友⼈の画家ルイ・モワイエとアウグスト・マッケとともに訪れた
チュニジアにおいて、《チュニスの⾚い家と⻩⾊い家》などの
⾊彩豊かな作品を描き始めます。

パウル・クレー《チュニスの⾚い家と⻩⾊い家》 1914年 パウル・クレー・センター

クレーが滞在中の⽇記に書き残した「⾊彩が私を捉えたのだ」という⾔葉は、この旅⾏が彼にとって重要な転回点となったことを⽰しています。

とはいえ、チュニジアの光だけが画家クレーを⽣み出したわけではありません。その少し前から、彼はフランスの同時代の美術への関⼼を強め、
特にドローネーの《街の窓》の「バッハのフーガ」を思わせる
⾳楽のような抽象性を賞賛していました。

ロベール・ドローネー《街の窓》 1912 年 ⽯橋財団アーティゾン美術館

チュニジアから戻った直後にクレーが描いた《ハマメットのモティーフについて》は、まさにこのドローネーの作品を想起させます。

パウル・クレー《ハマメットのモティーフについて》 1914年 バーゼル美術館


②戦争の破壊と希望

クレーがチュニジアの旅⾏から戻って間もなく、
ヨーロッパは第⼀次世界⼤戦へと突⼊していきます。

クレーも参加したミュンヘンの国際的な前衛芸術家のグループ
「⻘騎⼠」のメンバーの⼀部は、⺟国への帰国を余儀なくされ、
ドイツ国籍のマッケとフランツ・マルクは⾃ら従軍して命を落としました。

フランツ・マルク《冬のバイソン(⾚いバイソン)》 1913年 バーゼル美術館

マルクの戦死の知らせを受けた1916年3⽉、
クレーも徴兵を受けて従軍します。

戦争の先に希望を⾒た友⼈たちの死、
前線から伝えられる戦争による破壊、
そして⾃らの従軍を経て、クレーは戦争に対する態度を複雑に変化させ、
それは作品の制作に反映されていきました。

パウル・クレー《アフロディテの解剖学》 1915年 宮城県美術館

戦時中に⾏われた⾃作の切断と再構成、
暴⼒と恐怖の抽象的な表現、
そして《アフロディテの解剖学》《紫と⻩⾊の運命の響きと⼆つの球》に認められる神話的な世界への接近は、
戦争との関連なくして語ることができません。

パウル・クレー《紫と⻩⾊の運命の響きと⼆つの球》 1916年 宮城県美術館


③シュルレアリスムの先駆者クレー

アンドレ・ブルトンが1924年の『シュルレアリスム宣⾔』において、
クレーをシュルレアリスムの先駆者のひとりとして位置づけたように、
第⼀次世界⼤戦後のフランスにおいて、
シュルレアリスムの詩⼈や芸術家たちは、彼の作品に着⽬していきました。

パウル・クレー《⼩道具の静物》 1924年 パウル・クレー・センター

クレーがシュルレアリストを⾃称し、その活動に積極的に
加わることはありませんでしたが、《⼩道具の静物》に描かれた、
⼈知れず⽣命を帯び始める舞台倉庫の道具の姿や、
《周辺に》に⽰される植物の細部が⾒せる驚異的な姿への関⼼は、
シュルレアリストたちとクレーとの接近を物語っています。

パウル・クレー《周辺に》 1930年 バーゼル美術館

また《闘っているポップとロック》は、
シュルレアリスムの雑誌『ミノトール』を通じた、
クレーによる彼らの作品の受容を⽰唆しています。

パウル・クレー《闘っているポップとロック》 1930年 パウル・クレー・センター


④バウハウスという共同体

1919年にヴァイマルに設⽴された
バウハウスの初代校⻑ヴァルター・グロピウスは、
総合芸術としての建築を⽬指すこの学校に、
前衛芸術家たちの参加が不可⽋であると考えました。

グロピウスからの招聘を受けて、
1921年にクレーは同校の教育を担う中⼼的な存在である
「マイスター」に就任します。

翌年には、かつて⻘騎⼠の中⼼的存在であった
ヴァシリー・カンディンスキーも同僚となり、
ここで2⼈は再会を果たしました。

ヴァシリー・カンディンスキー《緑に向かって》 1928年 パウル・クレー・センター(リヴィア・クレー寄贈品)

同僚たちとの意⾒の相違や度重なる学校の⽅針転換は、
バウハウスを議論の絶えない場としました。

パウル・クレー《蛾の踊り》 1923年 愛知県美術館

しかし、単なる学校という存在を越えた
共同体としてのバウハウスにおいて、
《蛾の踊り》《⾚、⻩、⻘、⽩、⿊の⻑⽅形によるハーモニー》に⽰されるように、クレーの作品は⾊彩をその駆動⼒としながら、
様々な展開を⾒せていきます。

パウル・クレー《⾚、⻩、⻘、⽩、⿊の⻑⽅形によるハーモニー》 1923 年 パウル・クレー・センター

◇「パウル・クレー展」概要

開催場所:愛知県美術館アクセス
会期:2025年1月18日(土)- 3月16日(日)
開館時間:10:00-18:00、金曜日は20:00まで(入場は閉館の30分前まで)
休館日:月曜日(2月24日 [月・振休] は開館)、2月25日(火)
観覧料
①一般:
1,800円(1,600円)
②高校・大学生:1,200円(1,000円)
③中学生以下:無料
※( )内は前売券および20名以上の団体料金です。

▶チケット詳細はこちら◀

https://www-art.aac.pref.aichi.jp/exhibition/----.html

「パウル・クレー展」の無料招待券を1組2名様にプレゼント!

招待券 応募フォーム


※転売目的でのご応募はご遠慮ください。
※応募多数の場合は抽選になる場合があります。
※当選の発表は発送をもって代えさせていただきます。


【PR】中古の展示会図録を多数販売中

ノースブックセンター販売https://northbookcenter.com/)では、
様々なジャンルの図録を販売中です!
図録のカタログ数は10,000点以上!欲しい図録がきっと見つかります。
5,000円以上で送料無料や、最大10%ポイント還元の会員制度もご用意しました!皆さまのご来店をお待ちしておりますm(__)m


【ご協力のお願い】ミュージアム・ギャラリー・作家様・企業の広報事務局ご担当者様

<プレスリリースを募集中>

弊社のECサイト、または当ブログにて、プレスリリースの掲載をご希望の方は下記へプレスリリースをお送りいただけると幸いです。

また当ブログでは招待券(無料券)のプレゼント企画も実施予定です。
プレゼント用招待券をお送りいただける場合は下記までお送りください。

◇送り先
■郵送
〒192-0361
東京都八王子市越野8-23
株式会社ノースフィールド
担当:島村

■メール
shimamura@northbookcenter.com

いいなと思ったら応援しよう!