
コンテンツ浪費社会
noteを書いていて考えるのが、
現社会が、コンテンツ浪費社会だなぁという事です。
ニュースが浪費され、書籍の情報が浪費され、
Youtubeを見て、エンタメ番組を楽しむ、
逆を言うと人を一時的に楽しませる為だけに
コンテンツが存在するのではないかと危惧しています。
それはネット社会であり、SNS時代が影響をしていて、
大量にある情報を捌かなければならない、
一目で分かるコンテンツを出さなければ目を引かない等、
制作側としてもコンテンツの薄さを露呈している
のではないかと考えております。
人は「考える葦」と言いますが、思考する事に存在価値があり、
ただ浪費するだけでは、サルだと思っています。
サルを脱出する為には、「自分で考える」事が必要であり、
・ニュースがどう生活に影響を与えるか考え、対策する
・書籍から学んだ事をアウトプットする
・自分でYoutube配信をしてみる
・エンタメ番組のCM広告枠がどこの企業か知る
と言った、主体的な行動が求められます。
同様に、コンテンツに踊らされている自分に客観的に気付き、
このコンテンツが何を主張していて、何を自分の中に
刷り込もうとしているのかを捉えることも重要です。
私は、人は後天的な生き物だと考えているので、
どの情報に触れるかと言う視点が抜け落ちてはいけない
と考えています。また、情報から思考に変換する癖も、
忘れては決していけないと考えています。
多くの人がSNSに踊らされている現代、
SNSに煌びやかで光っている情報が載っているのも事実です。
それは、載せる側の人の本当の生活を現しているのでしょうか。
もしかすると、見せている生活はごく一部であり、
精神的に極貧生活を歩みながら更新しているのかもしれません。
物事を捉える際は、この人は「なぜ」この場所に行き、
「なぜ」目の前の素材を用意し、「なぜ」この写真を撮り、
「なぜ」この文章とともに、「なぜ」この時間に、
SNSに投稿しているのかと言う「Why」の視点を
考えるべきだと思っています。
その内、たとえ真実でなかったとしても、
自分の頭で考えたことは知恵になり、蓄積され、
習慣になり、自分の人生を豊かにすると考えています。
これから世の中は情報通信が更に発展し、
世の中は情報過多の時代から、氾濫するレベルの
情報で溢れた社会になってくると考えています。
その時、大事なのは
・精度の低い情報を取捨選択や遮断する事
・過度に傾いている情報に加担しない事
・隣の芝生を見ない事、自分軸を持つ事
・背景やデメリットを正確に捉える事
・情報から自分の思考に転換する事
・自分の考えた思考から実行に移す事
と言った事が大事なのかなと考えています。
自分で考えるという工程は大変だとは思いますが、
逆に楽しい側面もあるからこそ、浪費される
コンテンツに流される事なく生きたいものですね。
私たちは決して、サルではないので。