田舎者NAZZA、東京を語る 〜追憶のネオジオワールド編〜
最近、自分はいい歳こいて東京という場所に憧れを抱いているということに気付いた。それは東京に住みたいとか東京で仕事して夢を掴みたいとかそういうのではなく、漫画や映画等のようなフィクション作品に対する非日常への憧れのようなやつである。
実際のところ、自分がハマるアニメやゲーム等の中には偶然とはいえ東京が舞台であることに意味がある作品が結構多い(ラストブロンクス、首都高バトル、すばらしきこのせかい、Steins;Gate、東のエデンetc…)。
Twitterでそれなりに語っているのでご存知の方も多いと思うが、わたくしNAZZAは生まれも育ちも北海道。札幌にも6年半ほど住んでいたとはいえ、ほとんどの人生を道東の田舎町で過ごしている。北海道からは数年に一度出られればいい方で、東京なんて基本的にはテレビやらネットやら何やらで情報を得る他ない。そんな自分に前述の作品群が舞い込むわけだ、そら東京という概念がファンタジー的な何かだと思うようにもなるさ。
とはいえ全く接点がないわけでもない。一応これまでの人生で両手で数えられるくらいは行っているはずだ。あれ?結構行ってんじゃん。
そんなわけで、このシリーズでは東京に縁が無いようで実は全く無いわけでもなかったわたくしNAZZAが東京での思い出や東京という場所に対して感じたこと等を書き綴っていこうと思います。多分ないと思うけど、もしも何かしらの反応があったら第2回以降もあるかもしれない。
閑話休題。
まだ旧SNKがあった時代の、ある年の春休み。初めて羽田空港以外の東京の土地に足を踏み入れたのがこの時だった。
家族旅行でディズニーランド(一応こっちは千葉なのでノーカンということでどうかひとつ)に行った最終日、帰りの飛行機まで若干時間の余裕があったのだ。
KOFシリーズをキッカケにSNKにどっぷり浸かっていた当時の自分は、それならお台場のネオジオワールドに行きたいと思い立つ。
10代とはいえまだ子供だった自分を流石に一人で行かせるわけにはいかないと判断したのか、父と、あと妹も同行していざモノレールに乗り込んだ。
そこからはもう何もかもが初めてづくしだった。初めて生で見る(首都高湾岸線以外の)東京の光景。浜松町から新橋までの一駅だけとはいえ初めて乗る山手線。同じく初めて乗るゆりかもめに、初めて渡るレインボーブリッジ。今までテレビかフィクション作品でしか見た事のなかった光景が眼前に広がる。これらは首都圏に住んでいる人たちには当たり前の光景かもしれない。それでも1,000km近く離れたところに住んでいる自分にとっては非日常そのもの。ディズニーランドも間違いなく夢の国だが、東京だって等しく夢の国なのだ。
そしていよいよ初めてのお台場に降り立った我々は、遂にネオジオワールドに―
父「そろそろ戻らないと飛行機に間に合わないな」
…やっと憧れの場所に辿り着いた瞬間に放たれたその一言は、多感な年頃の少年にはあまりにも重すぎた。
帰りのゆりかもめで涙を流したのは言うまでもない。
空港に戻り、待っていた母に顛末を話すと「また今度来ればいいじゃない」と軽く流された。次なんていつになるのかもわからないのに…と、とても不満に思ったのを今も覚えている。
もちろんその『次』は旧SNKの倒産とそれに伴うネオジオワールドの閉鎖で永遠に来ることはないのだがな!
時は流れ、大人になった自分は10年ぶりの東京で10年ぶりにゆりかもめに乗ってビッグサイトを目指していた。
コミケでもコミティアでもない。あくまで仕事の出張で初めて彼の地へと向かったのだ。
パレットタウンを過ぎ、東京レジャーランドの横を通過する。
そこがかつてネオジオワールドと呼ばれていた場所だと気づかぬまま―。
【完】