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未次元vol.26/立原道造論を終えての心境

立原道造論を終えて。

ちゃんと下準備までして書く評論は初めてで、とても仕上げるのは大変だった。直したいところや伝えたい所ばかりが出てきて、自分の力量不足や自信のなさに、ぐらぐらとふらつきながら最後まで書き上げた評論だった。自分に対しても、他人に対しても思うが、一つの事をやり遂げると言うのは周りが想像している以上に、本当に大変な事である。
友人の方が言ってくれたのだが、本当にやった、という既成事実を作る事のほうが結果より大事だと思う。特に私のような地位も名誉もないような人間が、誰のためでもなく、ただ何かを、解き明かしたい知りたいと思って書くという衝動だけで、書き上げるのは本当に大変だった。
 書きたいという欲動だけがあり、それを成し終えたら、きっと何かに気づけるのではないか、追いつけるのではないか。自分の人生をもっと輝かしい方に、一歩進めることが出来るのではないか。そんな淡い期待や、焦燥、自己否定ゆえの自己変革への願望があった。けれど、書き進める中で常に付き添っていたのは、そんな明るさではなくて、普段と変わらない不安で、別に書いたからといって今の生活が劇的に変わることが保証されているわけでもないし、不安は不安のまま、何もない私だけが私の側にはいた。それでもなんとか終えられたのは、私の尊敬する人たちにいつか私の書いたものを読んで欲しいという気持ちがあったからだ。私の見ている景色を美しくしてくれた、思想や作品たちに、私も寄り添えるように書きたい、というその気持ちが最後まで書かせてくれた。

 道造論が書き終わって、昨日はやり遂げられたということが嬉しく興奮して寝れなかった。寝れなかったけど、満足してるのは初めての感覚だった。

おいてきたのは涙のしみの目立つ小さな紙の切れはしだった。道造の詩の一節である。

私は誰にも愛されていないと、思っていたし、誰にも愛される資格がないのだと、ずっと思っていた。隣のあの人が、同じように傷を抱える誰かだとは私には決してわからなかった。孤独は分かり合えないものだということが、私が素直に生きる事をいつも妨げていたように思う。けれど、本当は誰しもが素直に生きたいと願っていて、孤独を分かち合いたいと思っていた。そう私は、思えなかったのである。私は自分の根源的な生を否定することでしか、前に進むことが出来なかったからだ。それは同じように生きる誰かをも否定し続ける行為だった。私が私である事を信じる時、それはあなたの存在を信じるという事だった。私はあなたを信じなければならなかった。
私の孤独は深く、いつも明日を拒んでは、深い夜の底で眠りについていたのである。私は今、あなたの前に立っている。どれだけの歌をあなたに私は書けるだろうか。私はあなたに捧げることが出来るだろうか。


Past lives という映画がある。この映画は本当にいい映画だから是非見て欲しい...! U-NEXTで配信開始したから、入ってる人は是非、見たらその話をしよう。

「君は僕の人生を豊かにしてくれる、僕も君にとって同じか知りたい」というセリフがある。
この気持ちだけで私は書いてる気がするが、今の私はそこまで進めているのだろうか。
中村香穂さん『口うつしのロマンス』という曲があって「おまじないをかけられたの」って歌詞が出てくる。あなたに「おまじない」をかけられた日が明確にあって、私も少しばかりの魔法を人生にかけたいばかりに、書いてる。けれど、できているのだろうか?最近は、それが少し不安だ。

「(愛してるって)知ってるよ。ときどき信じれなくなるだけさ。」

「Past Lives/再会」より

孤独を解決したいとかそういう目的は私にはなくて、この揺り戻しの中で、ただあなたや私の人生をより豊かにするために、書いている。

その繰り返しの中で私はとおくまで、ゆこう。

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