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消えたくなっても腹は減るし飯は美味い

 今日、バイトで所謂『大失敗』をしてしまった。

 ぬるっとミスをした。「あ、やばいかも」と思ったが、既にどうすることもできなかった。終了。

 人に責められていると、なんだか意識が二つに分裂したみたいになる。罪悪感と自己嫌悪で吐きそうな自分と、そんな情けない人間を客観的に、冷静に見ている自分と、二人。
 「あーあ、やっちゃった」を皮切りに自分自身を批難する文字で頭がいっぱいになる。
 どんくさすぎ。
 使えなさすぎ。
 息が浅くなり、周囲の音が小さくなったように感じた。いきなり肺の近くに異物が埋め込まれたみたいだ。自分で蒔いた種なのに、自分勝手にも周りのすべてに恐怖を覚えた。

 人の助けを借りた。謝罪の言葉を口にしたのは本日何度目だろうか。
 対処してもらっている間、純粋に「消えたいなあ」と思った。それだけしか考えられなかった。
 私はお豆腐メンタルである。お豆腐メンタルな癖に、ドジを踏みまくる奴でもある。最悪の組み合わせだ。

 消えたい。
 ここから逃げて、この場所に二度と戻ってきたくない。
 
 死という単語を軽々しく使うべきではない、と考えているし、死を軽々しく扱う人間は正直苦手だ。なのに、こういう時頭の中で簡単に「消えたい!!!!!」と大声で叫んでしまう。自分みたいな人間が一番苦手だ。


 そんな私は、今、猛烈に腹が減っている。

 醜態を人前に晒し、謝り、帰宅し、ご飯に手を伸ばさんとしている。

 これを書き終えれば直ぐにでも隣のポテチを貪り食い尽くすだろう。そういえば朝食は水だった。昼飯もすっ飛ばしているので、今日現在まで摂取したものといえば水、緑茶、烏龍茶。液体のみだ。

 消えたいと願っても腹は減る。腹は減るし、飯は美味いのだ。
 こういうことを経験する度、人間って所詮動物だな、と強く感じる。
 人間という名の動物。動物的な欲求に生かされている。

 この後、浅ましい私はポテチだけでは飽き足らず、手に入れた塩だれ豚丼にも手を伸ばすことだろう。ほとんど決定事項だ。無作法ながらも食べながらYouTubeを開き、SNSをして、テレビを観る。ぎりぎりまで夜更かしをして、好きなことで頭を埋める固める。
 失敗しかしてないのに、自分で自分を甘やかす。欲求に身を任せそれはもう大量かつ贅沢な報酬を与えまくる。
 ああ情けない。でもそれが私だ。
 深い傷を欲で満たして、明日も道をのんびり歩いていく動物が、私という人間である。

 いっぱい食べて昏々と眠る。
 動物的欲求に生きることを強要される。本能に従って生きながらえる。
 そうやって、人間として生きていく。


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