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午後のミルクティー

3カ月も放置してしまっていたnoteです、お久しぶりすぎる。
思い付きでアカウントを作ってその後ログインすら出来なかった…

その間私は自分の将来を見つめることが怖く逃げ出していて。
家族にも申し訳ないし、友達にも相談してる時期でもなく。
真っ黒な友達のカレンダーの横で白紙の手帳を小さくなりながら見つめている気持ちで。

今日も思い付きで日記?を書いてみている。
珍しくもないけれど涙腺が決壊してしまって、この状態を外に吐き出さないのは苦しすぎるとふと思ったから。
自分の毒で心も頭も染まっていく感覚。
この先のスケジュールは白紙で向き合う自分はどす黒い塊で。

つい、数週間前まで本気でもう生きるのを諦めたいと思ってた。

けどそんなときにお世話になった先輩が亡くなったという連絡が回ってきた。
先輩はまだ20代。高校の頃の知り合いの通夜に参加するという、信じがたい出来事だった。

私は生きることを諦めようとしていた自分を本気で恥じた。
そこそこ生きているのに、短絡的な思考しかできない自分に悲しくなった。

同時に生き抜かなければならないと強く思った。

生きるって苦しい。苦しいからやめたくなる。逃げたい。
でも、過去を振り返って諦めず歯を食いしばってきた日々は無駄じゃないし楽しかったなって思えるから。

今の苦しさも、あと数年すれば、笑いに昇華出来ると願って。

「午後のミルクティー」
むかしむかしの私は、ミルクティーがかっこいい女の人の象徴だと感じていた。
CMで見かける女優さん、お店でミルクティーを頼む人は憧れのオトナだった。

でもミルクティーって紅茶に牛乳と砂糖を入れていて甘い。
子どもが飲んでも問題ないぐらい甘い。

未だにストレートティーが飲めない私って子供すぎるよねって落ち込んだり。

でも、私はミルクティーをこよなく愛してる宝石商の英国紳士を知っている。(※英国式だから日本のより甘くない、はず…)
ついでに彼は甘味大王だ。

年末から気持ちが下がり続けてて、好きなはずの趣味すら億劫で。
そんなとき、本屋でふと宝石商の彼らの物語を途中で放棄していたのを思い出して。
続きの一冊を購入した。

久しぶりの読書は本当に、本当に楽しかった。
と同時に私より大人で、経験豊富な二人でも日々悩んでいたことに打ちのめされた。

次の日にまた続きを買って…を繰り返して1週間で最新刊まで追いついた。

2025年、まだ始まったばかりだけれど、
今年生きる活力をくれたのは間違いなく宝石商の2人。

「ありがとう」の気持ちから私は最近スコーンとミルクティーばかり食べている。
たまにはプリンを食べてもいいかもしれない。

今戦うべきことが終わったら、銀座の資生堂パーラーに行ってみたい。
2人には会えないけれど2人を感じることが出来る気がして。

そして辻村七子先生にお手紙を書きたいな。

また気が向いたら自分の気持ちを吐き出そうかな。


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