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朝ドラのアーカイブ放送で、『カムカムエヴリバディ』を観始めているんだけど、やっぱり傑作&名作だなあ。親子孫の三代を巡るヒロインたちの名前の由来
朝ドラのアーカイブ放送で、『カムカムエヴリバディ』を観始めているんだけど、やっぱり傑作&名作だなあ。
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特に、初期の“安子=あんこ編”は初見なのだけれど、感動のあまり涙チョチョ切れてしまうなぁ🥲
初回放映当時は、15分刻みで放送されたので、毎日、早く次回の続きが観たいとなってしまうところを、まとめて3回分=45分ドラマを、週に2本観ることができるので、ちょうどいい長さなんですよね。
総集編だと端折り過ぎているし、これだと、これからのマラソン視聴にも頑張って続けていけそうな気がするマスク😷♥👏♫
暗闇でしか見えぬものがある
暗闇でしか聴こえぬ歌がある
この言葉にも、そんな深い想いが込められていたんですね♪
親子孫の三代を巡るヒロインたちの名前の由来
私は、このドラマの安子編と、るい編は未見でしたが、この記事で“補完”していくことができて、
安子は、和菓子屋を営む家で生まれた娘だから、おいしゅうなれ、という“和菓子の魂”を受け継いでほしいという心を込めて、
愛称ではアンコと読める名前を付けられ、
るいは、当時流行っていたジャズの名人、ルイ・アームストロングの名前にあやかって、
あーむすとろんぐ=どんな苦難にも負けない鉄腕となれという願いを込めて名付けられ、
さらに、ひなたは、やはりジャズの応援歌ともいえる名曲「オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート」に両親が魂を救われたことに因んで、
日向=おんざさにーさいど=いつでも日の当たる方を向いて歩いて行ってほしいという希望を託して名付けられた…。
日々の暮らしを
精一杯生きている
=カムカム
人たちみんな
=エヴリバディが、
亜米利加に憧れ、
やがて
アメリカに痛め付けられ
それでも
やっぱりあめりかが好き
このアンビバレントな
感情を呼び覚ます
地球という
ロクでもない
素晴らしき世界を
I think to myself,
what a wonderful
world,
oh yeh♪
他国との戦争で連戦連勝
二度の世界大戦の覇者となり、
繁栄を謳歌していた
アメリカ“合衆国”が、
初めて“敗戦”の辛酸を
嘗めざるを得なくなった、
ヴェトナム戦争の真っ最中に
戦地を慰問に訪れた
“サッチモ=Big Mouth”こと、
ルイ・アームストロングが、
自らの寿命が尽きるのを
悟ったかのように、
それまでの“アンクル・トム”
=白人に従順で媚びへつらう
黒人の仮面を自ら脱ぎ捨てて、
“秘めたる我を示さん”と、
ある意味逆説的な願いと
諧謔の気持ち
(地球の自然は
こんなにも美しいのに、
どうしてお前たち人類
=白人中心の世界は
こんなにも醜いんだ)
を込めて、
「このすばらしき世界〜What a Wonderful World」を披露したと
伝えられていますね。
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=5466795313350139&id=100000591726100
「オン・ザ・サニーサイド・オブ・ザ・ストリート」を歌ったルイ・アームストロングの知られざる一面について
サッチモの、知られざる一面…。 ただし光あるところに陰もある。 本当の意味での聖人君子=Saintではなかったのかもしれませんね。 ビリー・ホリデイが、音楽マフィアから麻薬中毒にされて支配され、それを、アメリカ合衆国の麻薬取締官が撲滅...
Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Wednesday, January 26, 2022
ただし光あるところに陰もある。
本当の意味での聖人君子=Saintではなかったのかもしれませんね。
ビリー・ホリデイが、音楽マフィアから麻薬中毒にされて支配され、それを、アメリカ合衆国の麻薬取締官が撲滅キャンペーンの標的として利用していた(その事実を、フィクションの形で描いたのが『ザ・ユナイテッド・ステイツvsビリー・ホリデイ』ですね)のに対して、サッチモに対しては黙認。
それは、彼が、白人社会にとっては都合のいい黒人=アンクル・トムであったからなのかもしれませんね。
蔑称としての「アンクル・トム」
一方で、作中のトムの従順な態度から、公民権運動以降のアメリカの黒人の間では、この作品に対する評価が否定的なものに変化している。
現在、黒人の間で通常「アンクル・トム」は「白人に媚を売る黒人」「卑屈で白人に従順な黒人」という軽蔑的な形容を意味する。
ジンバブエのムガベ大統領がアメリカのライス国務長官を“アンクル・トムの娘”と罵倒したことは、その蔑称としての意味をよく表している例である。
さらに、黒人と同じく合衆国の被差別民族であるインディアンたちは、これに呼応して「白人に媚を売るインディアン」を「アンクル・トマホーク」と呼んでいる。
また、中国系アメリカ人は同様に、「白人に媚を売る中国系アメリカ人」を「アンクル・トン」(Uncle Tong)と呼ぶ。
モハメド・アリは現役当時、黒人への差別を色濃く残していた白人社会に激しい嫌悪感を抱いており、ネイション・オブ・イスラムに入信して対決姿勢を明確にしていた。
そのため、白人社会に表立った不満を言わず従順でいる対戦相手の黒人選手を「アンクル・トム」と罵っていた。
彼の白人社会への憎悪は強く、アーニー・テレルがわざと旧名の「カシアス・クレイ」と呼んだことに激怒して、判定まで「俺の名を言ってみろ!」と叫びながら徹底的に痛めつけ、試合後には「奴隷の名で俺を呼んだ罰だ」と発言したほどだった。
※※※
LIFE誌が1999年に選んだ「この1000年で最も重要な功績を残した世界の人物100人」に選ばれている。
ネルソン・ジョージは、ルイが黒人社会では「アンクル・トム」とレッテルを貼られていたと証言している。
マリファナが大好きなことは音楽仲間の間では有名で、ルイは 「マリファナはウイスキーの1000倍素晴らしい」と豪語していたという。
1919年、デイジー・パーカーと結婚。
いとこの息子クラレンス・アームストロング(幼少期のけがで知的障害があった)を養子にする。
アームストロングは一生彼の面倒を見た。1923年離婚。
1924年、リル・ハーディンと結婚。
リルはキング・オリヴァー・バンドのピアニストだった。
アームストロングがツアーに明け暮れていたこともあり、1931年別居、1938年離婚。
歌手で作曲家でもあった彼女は悲恋歌『just for a thrill』を1939年に発表。1959年にレイ・チャールズがカバーした。
その後、長年の恋人アルファ・スミスと結婚。三番目の結婚は4年間続き、1942年離婚。
同年コットン・クラブの歌手ルシール・ウィルソンと結婚。1971年に彼が亡くなるまで添い遂げた。
アームストロングは四度結婚し、子供たちを愛したが、実子はなかった。
しかし、2012年11月に、57歳のSharon Preston-Foltaが「自分はアームストロングの娘である」と主張した。主張によればコットン・クラブのダンサーだったLucille "Sweets" Prestonとアームストロングの1950年代の情事から生まれたとのことである。
※※※
「カムカムエヴリバディ」劇中歌「ハウ・ハイ・ザ・ムーン」のアナザーストーリー
https://www.facebook.com/share/p/efmBKHUAjAv33tyP/
この曲を聴いていて思い出しましたが、NHKの朝の連続テレビドラマ「カムカムエヴリバディ」の劇中インスト曲として流れていたBGMが、ヒロインのひなたと職場の先輩である榊原が思い付いた、映画村=EIGAMURAの経営危機を救うための企画が採用された時に流れましたが、それは“How High the Moon”でした♪
この曲はちょうど、かつてはニューヨークジャズで名を馳せた、ロシア出身で現在はフィンランドに在住しているピアニストで、日本が大好きなウラジミール・シャフラノフのニューアルバムのタイトル曲でもありますね。
まさに、良い方のウラジミールですね♪
彼は、共産主義だったソ連=赤い色が大嫌い。彼は、レッドロブスターでさえも、レッドがその会社の名前の頭に付いているだけの理由で大嫌いなほどでしたからね。
※※※
タイガートウゴー、東後勝明先生との想い出より
先週で、カムカムエヴリバディが終わりましたが、 https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=5594140867282249&id=100000591726100 ...
Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Monday, April 11, 2022
2022年4月11日 · 港区
先週で、カムカムエヴリバディが終わりましたが、
https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=5594140867282249&id=100000591726100
実は、私も、彼女たちと同様に、英語のリスニング&スピーキングの力を身に付けたのは、大学受験浪人時代から、大学生時代と、社会人になってから数年間続けていた、NHK第二放送の「ラジオ英会話」でしたね。
ちょうど、1977年頃から1984年頃まで、タイガートウゴーこと、東後勝明先生がメイン講師を務めておられた時代で、さらに、青山一丁目にある青山ツインタワーにあるNHK文化センターのラジオ英会話の出演者の英国や米国のネイティブスピーカーが講師を務めていた、カルチャー教室にも通っていました。
少なくとも、リスニング&スピーキング能力は、この学習方法でバッチリ身に付きましたね♪
なお、東後勝明先生のタイガートウゴーの謂れですが、学生時代は、外国に行ったことがなかったのにも関わらず、早稲田大学でイー・エス・エス=イングリッシュ・スピーキング・ソサイアティを主宰するほど英語熱に邁進して、国内で、イングリッシュネイティブスピーカーを見つけると、ところ構わず話し掛けて実験台になってもらっていたそうで、界隈では、タイガートウゴーというあだ名(もう1つの意味合いは、日露戦争の英雄、東郷元帥にもあやかっていたものと思われますが)が付くほどネイティブスピーカーに恐れられていたのだとか(笑)。
NHK文化センターの週一の英会話クラスは、お忙しい東後勝明先生が担当されるのは月に一回だけで、他の生徒さんは、彼の直接指導が受けられることを目的にしていたので少々がっかりしていた人もいましたが、
私は、むしろ、初めて本格的にイングリッシュネイティブスピーカーと話すことができるのが嬉しくて、結構喜んでいました。
なにしろ、東後勝明先生とは、毎日ラジオ英会話の放送を通じて、ずっとご指導を受けていましたからね♪
https://www.facebook.com/100000591726100/posts/pfbid051GcUPhxvAKhirx6KdqzdYkTjRPLif8VNCBKUPonwkkxyRWhG4t3X6LVpWQeMvT5l/?app=fbl
朝ドラのアーカイブ放送で、『カムカムエヴリバディ』を観始めているんだけど、やっぱり傑作&名作だなあ。 https://www.facebook.com/share/p/DhDUFrDMx5YnsVJw/ 特に、初期の“安子=あんこ編”は...
Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Thursday, February 15, 2024