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『スプリガン』エンディング・テーマソングから、エンシェント・シビライゼーションとしてのヌビアに想いを馳せる

WEBアニメーション『スプリガン』エンディング・テーマソング

概要 Ancient Creations feat. Shing02 岩崎太整 - トピック 2022年 6月18日 Provided to YouTube by avex pictures Ancient Creations...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Tuesday, December 31, 2024

英語の歌詞は、

エンシェント・シビライゼーション
=超古代文明の遺物
=OOPARTSオーパーツ
よ、

それが正しい時にこそ
目覚めよ

と訴えているのでしょう

現在の人類が、
再び我々と同じ
過ちを繰り返さぬように


そうか、

スフィンクスは、
ヌビア文明の名残り
ですね。

古代エジプト人は、
それ=スフィンクスを
造ったのは我々ではない

ということを知られるのを
極端に怖れていたのでしょう。

だから、
古代ギリシアでは、
旅人に対して
謎掛けをして
答えられない
場合は殺される
というギミックを
仕込んだ
ということですね。

明らかに、
本来の顔を
削り取って
別の顔に
しようとした形跡が
残されている

のは
そのためでしょう。

【起源】

定説では、紀元前2500年ごろ、第四王朝カフラーの命により、第2ピラミッドと共に作られた。その根拠としては、

スフィンクスの前足の間から発掘された碑文の最後に「Khaf」の文字があった。
スフィンクスの顔がカフラーに似ている。
カフラー王のピラミッドの葬祭殿からスフィンクスまで参道が延びるなど、ギザ台地の遺構は一体として設計されている。
スフィンクスの周囲からは、第四王朝時代の遺物が発掘される。
があげられる。ただし、その証拠の一部に対しては

碑文の文字にはカルトゥーシュがないので王の名かどうかは疑問で、文脈もはっきりしない。
現存するカフラー像とスフィンクスはあまり顔が似ていない。そもそも、カフラーがどんな顔だったか自体はっきりしない。
という反論がある。 また、体に比べて顔の大きさのバランスが悪いとして、顔だけは後になって彫りなおされたものだという主張もある。

クフ王によって建造されたという説もある。

また、年代測定結果によりカフラー王の時代よりもさらに数百年過去(クフ王のピラミッド建設以前)に遡る可能性が指摘されている。

また一部には、考古学者以外から次のような説も出ている。

自然科学の准教授ロバート・M・ショックは、スフィンクス本体や周囲の囲いに降雨による浸食が認められる事と、かつてエジプトで長い期間に大量の降雨があった時代から、紀元前7000年頃に建造されたという推測を出した。

しかし、雨の浸食説で同意見であるジョン・アンソニー・ウエストは、この推測を「保守的すぎる」とし、もっと古い氷河期の終わりごろに建造された可能性を指摘している(なお、彼らが主張する「浸食跡」は、スフィンクスよりもずっと新しい石切り場でも同様に確認できるため、実は作業用に掘られた溝を勘違いしているだけの可能性が高い)。

ロバート・ヴォーバルとグラハム・ハンコックは、紀元前10500年ごろに春分の日の朝、スフィンクスの正面からしし座が昇ったことから、スフィンクスの建造をこの時代とした。

【破損】

古代エジプト美術様式の、三つ編みにした長いあごひげがあったが古くに脱落した。発掘された破片がカイロ博物館に3つ、大英博物館に1つ保存されている。

他に鼻が破損しているが、中世末期にマムルークがスフィンクスに悪魔を見たとしてその顔面を砲撃して破壊した、もしくはナポレオンがギザを訪れた時、仏軍がスフィンクスを標的に大砲を打ち込んで一部を破壊してしまったという説がある。

だがデンマークの軍人フレデリック・ルイス・ノルデンが1755年に上梓した『エジプトとヌビアの航海』(Voyage d'Égypte et de Nubie)には1737年の同氏によるスフィンクスのスケッチが複数あり、【すでに鼻が破損している事が確認できるため、少なくとも仏軍の仕業ではないとわかる。】

最近の調べでスフィンクスの中に空洞が発見されたが、スフィンクスの作られている岩盤の下には地下水脈があることが知られており、部屋ではなく地下水が岩盤を削った跡の可能性が高い。また、現在はピラミッド付近まで住宅地が迫り、生活廃水が流されるようになったため地下水が上昇し、付近にたびたび池が出現するようになっている。

ヌビア遺跡は、アブ・シンベルからフィラエまでのヌビア遺跡群

(中略)

【集団墓所には59体の大人と子供の遺骨】が見つかっており、【遺骨の一部には強く叩かれた跡や、骨の中に突き刺さった矢じりの跡】があるものがある。

この遺跡は

【紀元前12000年から紀元前4500年前にかけてのもの】

と推定されている。

このような発見から、先史時代の生活が自然との戦いだけではなく、

【他の人間との戦い】

でもあったことが窺われる。

※※※

そして、現代のエジプト人も“それ”を怖れた

だから“見せて安全”な部分のみをアスワン・ハイ・ダムに移した

アブ・シンベル神殿の秘密
=本来の支配者は誰だったか
を消し去るために

アブ・シンベル神殿(Abu Simbel)は、エジプト南部、スーダンとの国境近くにあるヌビア遺跡。

【概要・歴史】

【オリジナルは、砂岩でできた岩山を掘り進める形で作られた岩窟神殿。
大神殿と小神殿からなる。】

建造主は新王国時代第19王朝の王、ラムセス2世。

大神殿は太陽神ラーを、小神殿は女神ハトホルを祭神としている(小神殿は王妃ネフェルタリのために建造されたものでもある)。

嘘くさいなぁ

※※※

さて、エジプト文明の特徴は、
【先代の王朝の遺跡や遺産を徹底的に破壊尽くして、そこに自身の偉業を上書きする】
ところに特徴があるので、先住民族の王朝があれば、それ以上に上書きしてしまうのは自明の理でもありますね。

https://m.facebook.com/story.php?story_fbid=7227325917297061&id=100000591726100


大航海時代、欧州から北中南米大陸に渡った西洋人の“征服者=レコンキスタ”が、先住民の文明や文化を徹底的に破壊尽くして、あたかも、彼ら自身が初めて文化や文明を造ったと主張したかの如く。

https://www.facebook.com/100000591726100/posts/7227050930657893/?app=fbl


ヌビア (Nubia) は、エジプト南部アスワンあたりからスーダンにかけての地方の名称。

古代エジプト語のヌブ(金)から古代ギリシア・ローマ人がそう呼んだのが始まり。

アラビア語ではヌーバ。

ヌビア語はレプシウスにより「黒人との混血」、
ライニシュにより「原ハム語」、
ヴェステルマンにより「スーダン系」とされてきたが、
グリーンバーグ以降【ナイル・サハラ語族の東スーダン語派(英語版)】とされている。

ヌビア

もともとエジプトとヌビアは【同一の祖先】から別れた国であった。

ヌビアは古代から金や鉄、銅などの鉱物資源に恵まれ、エジプトにとって重要な役割を担ってきた。

現在では【本来の文化や風貌】など、【古代以降にギリシャ人・ローマ人の移民が流入し続けたエジプト】とは異なる独自性を残している。

中世以降アラブ・イスラム帝国の隆盛により現代ヌビア人(英語版)はかなりにおいて「アラブ系」に同化している。

現在は北部の一部がエジプト領、残りはスーダン共和国領である。

chrome-extension://efaidnbmnnnibpcajpcglclefindmkaj/https://www.mofa.go.jp/mofaj/files/000472297.pdf

ヌビア遺跡群は1979年に世界遺産に登録された。

ロッシーニのオペラ「リッチャルドとゾライデ」が中世十字軍時代のヌビア地方の中心地ドンゴラを舞台とした物語となっている。

※※※

「リチャルドとゾライデ」は、ロッシーニによるオペラで、中世十字軍時代のストーリーですが、ヒロインのヌビア王国のゾライデが、アフリカ系の人種であるところに特異性がありますね。

かつては、古代エジプトを凌ぐ文明を謳歌していた時代の名残りともいえましょう。



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