ダシール・ハメット『血の収穫』新訳の話
ハードボイルド作家の元祖ともいえるダシール・ハメットの『血の収穫』についての感想文が、フォローしている只野成行さんによって掲載されたので、どうしてもコメントをしたくなりました。
ダシール・ハメットの『血の収穫』の新訳が出たんですか。
私に、ハードボイルドという推理小説のニュータイプを教えてくれた傑作でしたね。
それまでは、シャーロック・ホームズやアルセーヌ・ルパンや明智小五郎などの探偵小説、
さらにはエラリー・クイーンやアガサ・クリスティなどの本格的推理小説と呼ばれる作品しか読んでいなかった中学生の私に、図書室で借りた、児童向けのジュブナイル版で刺激を弱めて(お色気描写をかなり控えた)、『目には目を、歯には歯を、毒には毒を』というタイトルで刊行された作品を読んで衝撃を受けて、
やがて、それでは物足りずに、大人向けの『血の収穫』を文庫本で買い求めて、一気にハードボイルド好きとなりました。
この作品を、その後も何度か買い求めて読みましたが、ストーリー展開や結論というよりは、いつもあるシーンだけで同じ思いに囚われてしまうことに驚いてしまいますね。
それは、主人公が、ギャング達の策略に巻き込まれて、ドラッグパーティー(昭和初期の刊行なので、ズバリ麻薬パーティーとは描かれていませんでしたが、どう考えても禁酒法時代のアルコールだけの作用とは思えない乱痴気騒ぎ)に参加しているうちに、めちゃくちゃ陽気になって、娼婦だかストリッパーだかと盛り上がった末に、翌朝、目覚めるシーンです。
気が付くと、ベッドの上で、自分の隣にその彼女が殺されており、自分が殺人犯にでっち上げられてしまうシーンですが、その時に、まるで自分が主人公その者になった錯覚に陥るとともに、すごく勿体ない気になってしまうのです。
あのパーティーの昂揚感の後に目覚めると、突然、自分が殺人犯に仕立てられてしまうことの残念感。
私は、このシーンだけで、この作品を読んだことに価値を見出しました。
その後の彼の傑作と呼ばれる『マルタの鷹』や、レイモンド・チャンドラーの作品群も読みましたが、それよりもはるかに強烈な印象をこの作品が私に与えてくれたのでした。
それが、優れた翻訳によるものなのか。
それとも、そうでないのかを、今度は新訳で、そしていずれは原語で確かめたいと思いました。
そして、新訳を出した翻訳家、田口俊樹さんの生き様にも興味を持っております。