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シャーデー・アデュ、タメ歳だった件:てっきり年上かと思ってました^^; なんだ、私は、3年前にも同じ感想を述べていました。進歩がないなぁ^^; と、何故かパッツィー・ケンジット嬢の話(同時代人でもある)

シャーデー・アデュ
タメ歳だった件

てっきり年上かと思ってました^^;

厳密にいうと、学年は一個下

まぁ、同じ1月生まれですが、
間もなく私が年上に
なりますけどね(笑)。

※※※

Greta Green
SOUL TRAIN

Sade Adu (Singer/Songwriter & Producer) Is 66 Today
Wishing Nigerian-born British Singer, songwriter, composer, & record producer Helen Folasade Adu, OBE a happy birthday today (born 16 January 1959). Better known as Sade. She first achieved success in the 1980s as the frontwoman and lead vocalist of the British and Grammy Award-winning group Sade. Over the course of their career together as a band, they’ve released six studio albums and have sold more than 75 million records worldwide." Sade! — emerged with hits like "The Sweetest Taboo" (1985), "Is It a Crime" (2002), "Love is Stronger Than Pride" (1988), "Kiss of Life" (1992), "Your Love Is King" (1984), "Cherish the Day" (1992), "Paradise" (1988). "No Ordinary Love" (1992) and"By Your Side" (2000).
Happy birthday Sade Omo Adu

Sade Adu(シンガーソングライター&プロデューサー)は今日で66歳

ナイジェリア生まれのイギリス人シンガー、ソングライター、作曲家、レコードプロデューサーのHelen Folasade Adu、OBEの誕生日おめでとう(1959年1月16日生まれ)。
セイドとして知られている方がいい。 彼女は、英国とグラミー賞を受賞したグループSadeのフロントウーマンでありリードボーカルとして1980年代に初めて成功を収めた。
バンドとしてのキャリアの経過にわたって、6枚のスタジオアルバムをリリースし、世界で7500万枚以上のレコードを販売している。
"セイド! — 『The Sweetest Taboo』(1985年)、『Is It a Crime』(2002)、『Love is Stronger Than Pride』(1988)、『Kiss of Life』(1992)、『Your Love Is King』(1984)、『Cherish the Day』(1992)、「パラダイス」(1988)などのヒット曲が 「No Ordinary Love」(1992)と「By Your Side」(2000).
お誕生日おめでとう Sade Omo Adu

***

なんだ、私は、3年前にも同じ感想を述べていました。
進歩がないなぁ^^; 

シャーデーのプロフィールを見て、彼女が1学年下の同時代人だという認識を新たにしました。 https://rollingstonejapan.com/articles/detail/34785/2/1/1?fbclid=IwY2xjawH4...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Monday, January 18, 2021

2021年1月18日 ·

シャーデーのプロフィールを見て、彼女が1学年下の同時代人だという認識を新たにしました。

シャーデーが1985年に語った、音楽との出会いと「引き算の美学」
Charles Shaar Murray |
2020/10/15 19:40
シャーデーのLPボックス『This Far』発売を記念して、1985年のインタビューをここに発掘。前年発表のデビュー作『ダイヤモンド・ライフ』が大ヒットを記録し、瞬く間にスターダムへと上り詰めた彼女の素顔を振り返る。

彼女が音楽シーンに登場した1980年代初頭、日本で本格的に紹介される前に、実は、私(池淵)は、イングリッシュ・ネイティブ・スピーカーのコネクションから、輸入盤というか、本国で発売されていたレコードからカセットにダビングされたカセットテープをもらって、ウォークマンのヘッドフォンで再生して衝撃を受けました。

ドミニカ生まれのアメリカ国籍の複雑な生い立ちを持つ1つ年上の女性、ロニ・リン・ゴールドさんからカセットテープをもらった際には、

「SADEという綴りなのにシャーデーと呼ばれているようだが、ひょっとしたらセイデイかも?」

という情報しかわかりませんでしたが、

ヒットチューン「スムース・オペレーター」のアンニュイでどこか妖しげなサウンドに乗せた彼女の歌声は、大変エキゾチックな雰囲気を漂わせていました。

間もなく日本でも大評判となり、ジャケットの写真を見て、彼女の独特な顔立ち(白人でもなく黒人でもない不思議な魅力に溢れたルックス)にさらに驚かされましたね💞

ひょっとしたら、ロニさん自身が、シャーデーの生い立ちを自分自身に重ね合わせていたのかもしれませんね…。

2021年9月30日 ·
あなたのスムース・オペレーターになりたいワタシ♪

あなたのスムース・オペレーターになりたいワタシ♪ 実は、彼女とは同年代なのでした ヽ(=´▽`=)ノ https://www.facebook.com/100000591726100/posts/4265500876812928/ シ...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Thursday, September 30, 2021

実は、彼女とは同年代なのでしたヽ(=´▽`=)ノ

シャーデーのことをまとめたこの記事が、現在までの状況を知ることができますね。

【シャーデー/Sade】
現在の活動状況は? バンドの歴史と代表曲を解説
※コチラは、日本語による記事です🎶
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・バンド「シャーデー」のデビューまで
・シャーデー・アデュの人生
・シャーデー活動休止と「スウィートバック」の結成
・2000年から現在までの活動状況
・シャーデーの代表曲(詳しくは、上記の記事をご参照ください)

シャーデー(Sade)は1984年にデビューしたイギリスのバンド。
女性ボーカルとバック・ミュージシャンで編成され、これまでに6作のスタジオアルバムと2作のライブアルバムを発表しています。ジャズやソウルを基調に、カリビアンなエッセンスをちりばめた音楽性で多くのヒット曲を生み出してきました。

また、グループの中心人物でボーカリストのシャーデー・アデュも、優雅で艶やかな歌唱とミステリアスな存在感で、ファンを魅了し続けています。

・バンド「シャーデー」のデビューまで
シャーデーがデビューしたのは1984年。
このときのメンバーは、スチュアート・マシューマン(ギター/サックス)、アンドリュー・ヘイル(キーボード)、ポール・スペンサー・デンマン(ベース)、シャーデー・アデュ(ボーカル)の4名。

きっかけは80年代の初頭のこと。ボーカルのシャーデー・アデュ以外のメンバーたちが結成していた「プライド」というラテン・ファンクのバンドに、バッキング・ボーカルとしてシャーデー・アデュが参加。
バンドのレパートリーとして、当時の彼女が自作した曲「スムース・オペレーター」を演奏していたところ、これがレコード会社の目にとまり、「シャーデー」というグループ結成の契機になりました。

Sade - Smooth Operator - Official - 1984

こうしてデビューしたシャーデーは、彼らの最初のシングル「ユア・ラブ・イズ・キング」(1984年)でイギリスのヒットチャートのトップ10入り。
同年にはファーストアルバム『ダイヤモンドライフ』を発表し、世界で600万枚を超えるセールスを上げる大ヒットを記録します。

また、その翌年に発表したセカンド・アルバム『プロミス』(1985年)も全英チャートで初登場1位、グラミー賞の最優秀新人賞も獲得し、世界的な名声を獲得します。

デビュー時の彼らは、その音楽性が高く評価される一方で、ボーカルのシャーデー・アデュのルックスにも注目が集まります。
たくさんのメディアが彼女を紹介し、雑誌の表紙にも数多く起用。
彼女自身は、当時のことを「マーケティングのためにルックスを売りにしたのではなく、ただありのままの自分を見せただけだった」と振り返っていますが、彼女のボーカリストとしての技量や曲制作のセンスはもちろん、エキゾチックで洗練されたルックスと存在感が、聴衆を魅了していたことは言うまでもありません。

・シャーデー・アデュの人生
そんな彼女が生まれたのは1959年のナイジェリア。父はナイジェリア人で、経済学を教える大学教師。母はイギリス人の看護師でした。彼女は4歳まで同地で暮らしましたが、両親の別居とともに母親とイギリスに移住します。

幼少期の彼女は、アメリカのソウルミュージックを好んで聴き、特に1970年代のカーティス・メイフィールドやダニー・ハサウェイなどのシンガーがお気に入りだったようです。また、彼女が10代の頃、ロンドンのレインボーシアターでジャクソン・ファイヴを観て感銘を受けたとも語っています。

その後、彼女はアートスクールで服飾デザインを学びますが、このとき知人のバンドに誘われたことがきっかけで本格的に歌い始めます。その後は、先述のとおり「プライド」というバンドに参加し、これが「シャーデー」というグループに発展。
84年のデビューアルバムがヒットしますが、その当時の彼女の生活は、人気シンガーのイメージとはほど遠いものでした。

彼女はその頃の暮らしを振り返り「私たちはいつも凍えていた」と語ります。当時の彼女はボーイフレンドとともに、ロンドン郊外の消防署を改装した粗末な建物に住んでおり、暖房設備もない部屋で凍えながらの生活。着替えもベッドの中でおこなうほどだった、と語っています。

こうした生活から脱し、彼女は89年にスペイン人の映画監督カルロス・スコラと結婚。94年に離婚後、新たなパートナーとの間に子供をもうけますが、この出産を機にバンド「シャーデー」の活動が休止してしまいます。

・シャーデー活動休止と「スウィートバック」の結成
グラミーを獲得した大ヒット作『プロミス』(1985年)以降も、3作目のアルバム『ストロンガー・ザン・プライド』(1988年)を発表。さらに4作目『ラヴ ・デラックス』(1992年)もリリースし、セールス的にも順調でしたが、シャーデー・アデュの妊娠、出産をきっかけに活動を休止。彼女自身もメディアへの露出を嫌い、1996年にはロンドンを離れ、田舎のグロスターシャーへ移住します。このときの彼女は、ミュージシャンとしてのキャリアよりもプライベートを優先するようになっていたようです。

ボーカルのアデュが活動を休んでいる間、メンバーのマシューマン、ヘイル、デンマンの3人は新たなプロジェクト “スウィートバック”を始動。1996年にはボーカルにアメール・ラリューを迎え、アルバム『スウィートバック』を発表し、「ユー・ウィル・ライズ」などのヒット曲を生み出しています。

・2000年から現在までの活動状況
そんなシャーデーが再始動するのは、じつに8年後の2000年。5作目となるアルバム『ラヴァーズ・ロック』を発表し、本作は第44回グラミー賞「最優秀ポップ・ボーカル・アルバム」を受賞します。ところがその後、さらに10年の休止期間を経て、次作『ソルジャー・オブ・ラヴ』を発表。

本作のタイトル曲も第53回グラミー賞「最優秀ボーカル・パフォーマンス」を受賞しており、キャリア3回目のグラミー受賞となりましたが、2000年の再始動後は寡作となり、リリースはこの2作にとどまっています。

「“売るための音楽”をリリースすることには関心がない。シャーデーはブランドではないのだから」という彼女の言葉の通り、商品としての音楽ではなく、彼女自身の創作動機や意欲を重視しているようです。

スタジオ・アルバムの発表は2010年以降(2020年現在)ありませんが、2012年にライブ盤『ブリング・ミー・ホーム:ライヴ2011』をリリース。また、2017年には映画『妻たちの落とし前(原題:Windows)』のエンディング曲「ザ・ビッグ・アンノウン」を制作。

さらに翌年、ディズニー映画『五次元世界のぼうけん(原題:Wrinkle in Time)』のために、新曲「フラワー・オブ・ザ・ユニバース」を書き下ろしています。

これと同時期(2018年)、音楽誌『Rated R&B』がおこなったインタビューでは、シャーデーの新アルバムを制作中であることが明かされています。メンバーのマシューマンによると、収録曲のいくつかは既に完成しているが、特にアルバム発表の期限は設けておらず「納得できる仕上がりになれば、みんなに聴かせるよ」とコメントしています。

さらに、最も新しいトピックとしては、2020年10月9日にアナログ盤ボックスセット『ディス・ファー』がリリース。このボックスセットは、シャーデーの全6作のスタジオアルバムをリマスターし、アナログレコード化したもの。音質を追求した仕様となっています。

***

別記事より、私見入り

シャーデー・アデュ
(本名は、Helen Folasade Adu=ミドルネームのフォラシャーデーの後半から、シャーデーと呼ばれるようになったのかも)が、「Pride:プライド」という名前のバンドのバックコーラスシンガーだった“下積み時代”の映像

楽曲は、当時人気を博していた、英国ロックバンド、デュラン・デュランのサウンドに“クリソツ”なれど(笑)、バックコーラスのセンターで歌っていた様子が確認できますね。

Pride
- When you can't back down
- Heaven Nightclub London 1982 ft SADE
2007/01/13

THE ORIGINAL:
SADE DRUMMER
(オリジナルのシャーデーのドラマーだったPaul Cookeの投稿記事)

The video was created for Peter Powells - Oxford Road Show that featured up and coming new bands.
We then went into the BBC studios and recorded a series of songs that he played on his BBC Radio One Show as part of the Oxford Road Show feature.
Years later in 1984 we played on the same show with the debut of Your Love is King 🙂 .
This was the London band PRIDE featuring Ms Adu (SADE) as a backing singer.
Of course the lads in the band from Hull Paul Denman , Stuart Mathewman and Paul Cooke went onto to form one of the biggest bands in the 80's SADE with the singer Ms Adu taking her name SADE for the band.
We basically sacked the rest of the Pride band and then set up SADE after Pride failed to get a record deal.
The video was shot in the Heaven nightclub in London a favorite 'gay' haunt at the time. . I think it helped that our manager Lee Barret was also gay.....My Sade Story Part 1 now at & Audible.com
Undeniably the singer was the genius behind the bands success and the remaining band members have just been along for the ride not really contributing anything worthwhile to date..


音楽との出会い、バンド活動が転機に
14歳の時に初めてクラブに足を踏み入れた彼女は、そこでダンスとソウルミュージックに出会った。

これらが彼女の冷めない情熱の向かう先となった。
「聴けるものはそれだけだった。好きになれそうだったのも」
彼女はそう言っている。ソウルはもちろん本場アメリカ産のものに惹かれたのだが、スティーヴ・ウィンウッドの声もツボに嵌まったようだ。
地元のDJに、今夜の最後の曲はトラフィックの「ウォーキング・イン・ザ・ウィンド」にしてよね、などと頼んだりもしていたらしい。

ロンドンに出てきたのは17歳の時だ。
ウェストエンドにあるセントマーティン美術大学で3年間ファッションと芸術の専門課程を履修するためだ。

同時に彼女は首都のクラブバンドたちを観る楽しさというものも見い出した。
学校を終えるとそのまま自立した。
紳士服のデザインと販売の仕事を始めたのだけれど、これがせいぜいよくいって、どうにか帳尻を合わせ口を糊するような日々だった。

ところが折よくこの時期は、かつてなく音楽とファッションとが接近していた時代でもあった。

そこでバンドのマネージメントを専門にしていた知り合いの一人が、バックコーラスの仕事に興味はあるかと彼女に打診してきた時は、ほとんど渡りに船というか、それ以上のものに映った。

「ただ歌の話がきた時も、それで自分の人生をなんとかしようなんて発想はまだ欠片もなかった」

当時のことをシャーデーは笑顔でそんなふうに呼び起こす。

「私は編み物もしなければバドミントンだってやったことがなかったの。だからこう思ったわ。あら、ひょっとすると、これはいい趣味になるかも知れないわって」

この知人というのがリー・バレットで、バンドの方は当時プライドと名乗って活動していた。

シャーデーは最初は断わられたのだけれど、グループは結局ほかの誰かを見つけることが叶わずに、最終的に改めて彼女に加入を打診した。

やがてバレットが、彼女とプライドのメンバーのうちから数人だけで自分たちのレパートリーを仕上げ、プライドのステージの繋ぎにするようにとの指示を出した。

かくしてバンドの方のシャーデーが、ロンドンの一流ジャズクラブであるロニースコッツでのプライドの舞台で、とりあえずの第一歩を踏み出してみる運びとなったのだった。

ほどなくしてシャーデーらの方が母体のショウよりウケがいいことが明らかになってくると、同バンドでサックスとギターとをプレイしていたステュワート・マシューマンがシャーデーと共同で曲を書くようになった。

***

お馴染みのWikipediaより

***

超が付く繁忙期の中、強制的ノー残業デーを利用して、洋風歌姫「ダイアナ・クラール」ライブを観るために昭和女子大学人見記念講堂ヘ。 2階席の遥か彼方からではありましたが、音響は申し分なく、当代一流の歌と演奏をじっくりと堪能しました。 実は、...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Wednesday, February 24, 2016


シャーデー・アデュ
#strongerthanpride

https://www.youtube.com/hashtag/strongerthanpride



ほほう。 『(アブソリュート・)ビギナーズ』は、映画の公開当時、未見でしたが、デヴィッド・ボウイに加えて、シャーデー、そして、個人的に好きなギル・エヴァンス(ビルじゃない方の。ビルよりもギルの方が好きなヒネクレ者です)も関係していたのでし...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Sunday, May 31, 2020

デヴィッド・ボウイの隠れた名曲「Absolute Beginners」収録 
映画『ビギナーズ』サウンドトラック完全盤が初CD化

2020年07月15日 (水) 19:00 |
HMV&BOOKS online - ロック

2020年5月31日 ·
ほほう。

『(アブソリュート・)ビギナーズ』は、映画の公開当時、未見でしたが、デヴィッド・ボウイに加えて、シャーデー、そして、個人的に好きなギル・エヴァンス(ビルじゃない方の。ビルよりもギルの方が好きなヒネクレ者です)も関係していたのでしたね。

https://note.com/nazonou4/n/nabe2357997c4


これは、要チェックですね♪

あと、個人的には、映画にも出演したパッツィー・ケンジット嬢については、本人というよりは「ぴあ」の表紙を飾った及川正通さんのイラストが好きで、思わず表紙買いしてしまったという懐かしい思い出も。

発行された1986年当時、及川さんが、表紙イラストの裏話を語る、「はみ出しyouとぴあ」みたいな1行コメントコーナーが本誌の目次脇に掲載されていて、彼女が自身の初恋の人に似ているので、その想いを込めて描いたというコメントが書かれていて、その“氣”に曳かれて購入してしまったことを知り、大変嬉しかったことを記憶しております♪


いろいろ検索して、ようやく見つけました♪

これで、安心して眠りに就けるぞ(笑)。

及川正通氏の、1986年「ぴあ」『(アブソリュート・)ビギナース』特集号の表紙を飾る、パッツィー・ケンジット嬢。
及川氏の「ぴあ」表紙ギャラリーコレクションのムック本も購入したのですが、本棚のどこかにあるはずですが、何処に仕舞い込んだかを忘れてしまったので…。

1986年「ぴあ」『(アブソリュート・)ビギナース』特集号の表紙を飾る、パッツィー・ケンジット嬢

大変失礼ながら、カワイコちゃん系だった本人以上に魅力的な、
ハッとしてグー(^^;
な雰囲気を漂わせた超美人。
これに対抗できるのは、『テス』のヒロインを演じたナスターシャ・キンスキーのイラストしかありませんね。

今見ると、目ヂカラがスゴい♪

Eighth Wonder
Stay With Me
(1986 Japan)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%A8%E3%82%A4%E3%82%B9%E3%83%BB%E3%83%AF%E3%83%B3%E3%83%80%E3%83%BC


エイス・ワンダー
(意訳すれば、世界で8番目の不思議=「世界の七不思議」の次=「世界で八番目の不思議(=パッツィー・ケンジット)」)

8番(チャンネル)つながりで、フジテレビが当時の自局のキャンペーンのテーマソングに『ステイ・ウィズ・ミー(あたしのソバにずっと居て)』を認定して、人気女子アナ(キャスター?)だった幸田シャーミンと楠田枝里子に着物を着せて和傘上で毬を回す、まるで染之助・染太郎のようなパフォーマンスを、この曲のシンセサイザーによるパンチの効いたイントロに乗せて披露していたのを記憶している人たちも多いかもしれませんね。

https://x.com/enomoto_yutaka1/status/1661571705830268929/photo/1
榎本 有孝 @enomoto_yutaka1
#テレビ史上決して忘れてはならないキャラ
「楠田枝里子です」!
「こんばんは、幸田シャーミンです」。
午後0:15 · 2023年5月25日

ヴォーカルを務めたパッツィー・ケンジットが、何とも色っぽいヴォイス(もろに口パク、今でいうリップシンクロですが)をタイト&ヴィヴィッドなミニスカートに身を包みながら登場したPV映像です。


Stay With Me
アーティスト
Eighth Wonder

https://www.youtube.com/watch?app=desktop&v=S56ZBg0F-v4

幻のPV「Stay with me」ニコニコ動画版より


https://www.facebook.com/SadeFansInternational

シャーデー・アデュー タメ歳だった件 てっきり年上かと 思ってました^^; 厳密にいうと、 学年は一個下 まぁ、同じ1月 生まれですが、 間もなく 私が年上に なりますけどね(笑)。 ※※※ シャーデー・アデュ (本名は、Hel...

Posted by 池淵竜太郎 Ryutaro Ikebuchi on Friday, January 17, 2025

 

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