非日常について(2024.07.04)
[ここからは1,000文字に含みません]
十五日目です。
今日は久々にオフィスに行ったのですが、相変わらずみんな元気で安心しました。RIDDLERのメンバーはみんななんやかんやで仲良しで、謎解きのことになると自然とわいわいし出すのがいいなあと思います。
最近はもっぱらリモートワークをしているのですが(ありがたいことに個人のお仕事が多くなってきたので……)、できれば週何回かは顔を出したいなと思った次第です。
https://motion-gallery.net/projects/thenazostand
実は謎解きを初めてもうすぐ十年になろうとしていて、かつ過渡期に作る側に身を置いておりましたので、各企業さんの中にもいくらか顔見知りの方がいらっしゃいます。
ボウケンワークスさんもそんな感じで、尊敬するオビワンさんを始めとし、毎年忘年会に呼んでいただけるくらいには縁ある謎解き制作会社さん。
今度吉祥寺に常設店を構えるそうで、心ばかりではありますが支援をお送りしました。
お店ができた暁には、私も何か楽しいことを仕掛けられるかもしれませんので、進行がありましたらまたお伝えいたします。
[ここまでは1,000文字に含みません]
非日常について書いていく、よーいスタート。
「非日常の体験」という言葉を、最近よく耳にするようになった気がします。
例えばチームラボさんの展示、例えばイマーシブシアター、例えばマーダーミステリー、例えば参加型ホラー番組。
広告関係の本ではよく「モノ消費からコト消費へ」というコピーを目にします。
自分が“普通に”生きている今とは違う場所への憧れはいつの世の中もあって、その場所への距離がどんどんと近づいていきているのかなと感じます。
それは生活必需品の質がどんどん均一化、もしくは購入者の「必要」に合わせた形に消費財が最適化され、「これでいいか」が加速した結果に起こっていると考えています。
いろいろなものが自分の手のひらに収まる「これでいいか」の世界に生きる中で、ではその手のひらの外には何があるのか?という問題に、昨今の人は自然と向き合わされているのでしょう。そしてそれはスマートフォン、もっと言えばSNSによる「他人の日常(のように見えるもの)」の可視化も無視できません。
つまり、一昔前の言ってしまえば「これでいいのだ」の時代、いい意味での自己満足の時代から技術の発展や景気の悪化に伴って「贅沢ではないけど足りてはいる、むしろそっちの方がシンプルでいい」という「これでいいか」の時代に入って全体の質がより人間の形質に収まる形に最適化される。そこにSNSが登場し、自分が思っていた平均が平均ではないのか、という不安感と疑問がしょうじ、その焦燥を埋めるために「今いる”これでいいか”の外」を求めるようになったため、今の「非日常体験」という言葉が栄華を誇るようになったのではないか、というのが私の見解です。
長くなってしまいましたが、私がそう考えるようになったのは、いろんな人が体験したがる「非日常」にそこまで厚い興味がないからです。なぜみんながあんなに熱狂して、ハマるのかが、実のところ今の今でもわかっていません。
私にとって「日常」は大変に波乱万丈どころか波乱しかなく、それでもふと訪れた街の路地に綺麗な花の咲く喫茶店があるとか、いつもの帰り道でなぜかイヤホンの充電が切れて、外した時に聞こえる電車の音の透明さとか、そんなものが私は限りなく価値があると思っていて、そこから離れたいとはついぞ思ったこともなかったのです。
究極的に私には、遊園地もライブも体験型イベントも必要ないのかもしれません。私が語りたいのはいつだって、あなたも私も自分の「日常」自体が物語であり、それを泳ぐ私たちは何より面白いということだけなのでしょう。
(文字数:1034文字)
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