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マナーモードについて(2024.07.17)

[ここからは1,000文字に含みません]
二十八日目です。
今日は打ち合わせから作業から、少しドタバタした日でした。
結果いい形にいろんなものを落とし込めたのでホッとしつつ、これから謎解きに行くのでまたドタバタ準備。でも会いたかった人たちに会えるので嬉しいです。

https://x.com/pj_sekai/status/1813454731781833062

ずっと前に聞いていた曲がトレンドに載っていて、何が起こったんだと思っていたらプロセカに収録されたんですね。
有名な曲だからもう入っていると思っていた。
昔の曲がこうやって保存されていくのも、寂しさとありがたさがある気がします。もうこの曲を聞いていた頃の自分はいないんだなあ。
[ここまでは1,000文字に含みません]





マナーモードについて書いていく、よーいスタート。


改めて見ると、かなり高尚で綺麗な言葉だな、という感想になりました。
例えば、静かにすることだけをもっと強調するなら「サイレントモード」とか「クワイエットモード」でいいはずです。それを「マナー」と、静かでいることが品のいいことだと自然と馴染めるように忍ばせているのはさすがだなと思います。
誰のことをさすがだと思ったのかは、私にはわかりませんが。

静かでいる、鳴りを顰めることが「マナー」だとするなら、それはどの場所に向けたマナーなのでしょうか?
例えば美術館、レストラン、映画館など。コンテンツに対して集中すること、もしくはその世界観に没頭することを目的とし、それを求めて参加者が集まる場所において、その外側からの干渉はなるべく排除するべきです。

ただ、ここで混同してはいけない大事なことがあります。
例として映画館のスマホ利用を出してみましょう。これは行為自体がマナー違反として否定されがちですが、実際のところ切り分けてみると「画面の光やタップ音が映画の世界への没入を阻害している」という正義悪の概念と、「映画という素晴らしいコンテンツに対してわき目を振るなど不誠実である」という快不快の概念が混ざって、一言で「マナー違反」と言われます。
この場合、後者の快不快は自分だけの認識だと割り切った上で、自分含むスマホ操作者以外の人間が迷惑を被っているから、映画館でのスマホ使用という行為だけは否定する、というようにして、「マナー」の論理を構築する必要があると私は思います。
ここで「育ちが悪い」「最近の若者は」と人格の否定に入ったり、「映画館に来るな」と拡張された行為の否定を行うと、本当に公正な判断ができるかはかなり怪しくなってしまいます。


話が逸れてしまいましたが、何が言いたかったのかというと。
「マナーモード」のマナーという表現はとても優しいものである一方、捉え方を間違えると「マナーモードにしないのはマナー的に正しくない」という状況にもなってしまいうる。
それを防ぐためには、これを「マナーモード」という名前にした人の優しさをまず理解した上で、ここからどうやって「マナー」というものを私たち自身でどう考えていくか、が大事な気がしました。

ただまた、一個の懸念として。
おそらくこの世界でこんな形に「マナーモード」という言葉を捉えている人間はあまりいない気がしており、そんな状態で問題提起をしたら、またいらない摩擦を生んでしまうのではないかなーという、そんな懸念。
ここは私も機能に倣って、口をつぐんだ方がいいのかもしれません。


(文字数:1053文字)

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