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義父は山本五十六を討伐しに行った

私の義父は山本五十六を討伐しに行った。太平洋戦争の真っ只中の1943年4月のある日、アメリカ陸軍航空軍パイロット18名が、海軍甲事件と呼ばれる作戦に抜擢された。 ( 英語名ではOperation Vengeance )。 そのうちの一人、極秘作戦のリーダー、ジョン ミッチェル少佐のウィングマンを務めた腕利きのパイロット、ジェイゴブソン中尉が、後に私の義父になった人なのである。正式名はジュリアス ジャック ジェイコブソンで、私たち家族や友人たちは彼をジャックと呼んでいた。

俗称「ヤマモト•ミッション」の46年後の1989年に、まさかジャックの3人の息子の一人が、大和撫子と結婚することになるとは当時、夢にも描かなかっただろう。ジャックがパイロットとして山本五十六暗殺に関わっていたと知った時、日本人の私はびっくり仰天した。連合艦隊司令長官、山本五十六の戦死は歴史上の出来事として頭の隅に知識としてあるものの、実際の関係者がこんなに身近にいたとは。ジャックの家には若き日の軍服姿のポートレートが飾ってあった。それはハンサムで凛々しく、隣にはこれまた評判の美人であった妻、エブリンのポートレートも同じ額に収まっていて、魅力溢れるカップルが斜め前を見つめている。あの当時、どのような人生が目の前に展開していたのだろう。

たまたまある時代のアメリカに生まれ、軍隊に入り、真珠湾攻撃をきっかけに対日戦争に突入したため、日本を敵として戦った男の話を書き留めておこうと思う。同時代に日本で生まれた日本人が鬼畜米英と快哉し、大東亜共栄圏に貢献するべく戦争に行ったように、世界中の若者がそれぞれの「お国のために」身を投じた。ごく普通の人間が、戦争となると当然のように人を殺し、殺されるのだ。戦勝国は戦時の正当化と栄誉を手にし、敗戦国は負の遺産を負う。

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