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短編小説 『母の味噌汁のレシピ』


なぜこの味噌汁を飲むと、涙が止まらないのだろう。


母が死んだ。
連絡を受けた時にはすでに末期の大腸ガンとのことだった。

毎年健康診断は受けていたはずなのに、なぜ、という気持ちは拭えなかったが、誰かを責めている暇もなくその1ヶ月後、母は自宅で静かに息を引き取った。

涙は出なかった。

料理の上手な人で、それが僕の自慢だった。
友達が遊びに来ると、いつもとても褒められる。

そんなことないわ、褒められちゃっておばちゃん嬉しいわ、と顔を赤らめる母を見ながら胸を張るのが僕の仕事だった。

特に味噌汁は母の料理の中でも僕のお気に入りだった。具沢山で、一つひとつの具材に味がたっぷりしみこんでいる。一杯食べるだけで驚くほどに元気が出る。そして美味い。

隠し味があるのか、社会人になり一人暮らしを始めてから幾度となく家で味の再現を試みたが、うまくいかない。母にコツを聞いてみたが
「お母さんの愛情をたっぷり入れているからかもねえ」
と笑って取り合ってくれなかった。

僕は今、自宅の近所の定食屋で、味噌汁をすすっている。

ひとくち飲んだ瞬間に、母の味噌汁の味が思い出され、ふたくちすすると、母の赤らんだ笑顔が浮かんだ。
亡くなったときには振り絞っても出なかったはずの涙が今は溢れて溢れて、視界が滲んで仕方がない。

大の大人が一人、味噌汁を飲みながら泣いているなんておかしすぎると思って
声を押し殺し、静かに流れる涙と味噌汁を一緒に飲んでいる。



***


なぜこの人は、こんなにも悲しそうに私の味噌汁を飲んでいるのだろう。


定食屋を始めて5年ほど。
自分の店を持ち、手料理を振舞う。
それが私の小さな小さな夢だった。

借金をして、土地を買い、間取りを決めて、家具を入れた。メニューにもこだわりがある。私が出会ったレシピの中で絶対、と自信を持てるものだけを出している。

特に気に入っているのが、この味噌汁だ。
まだ若い頃、ある料理教室で1日だけアシスタントとして教えてくださった先生がいて、私はその時通い立ての新米受講生だった。

その味噌汁の美味しさに心を打たれ、
「これだけは教えられないのよ」と何度もはぐらかされたのにもめげずレシピを聞き出し、自宅で何度も何度も試し、遂にその味を再現できたのだった。

店の常連さんからも、この味噌汁はすこぶる評判が良い。飲み会の後にこの味噌汁だけ飲みに来る客もいるほどだ。

その味噌汁を、文字通り泣きながら食べている男性が、今目の前に座っている。
声は立てず、静かに静かに涙を流している。

私はそれを、まっすぐ見つめている。


***


お会計を済ませると男は少し逡巡してから、思い切ったように尋ねた。

「この味噌汁、とても、とても美味しかったです。
   どうして、こんなに美味しいんですか。」

女店主は応えた。

「んー、レシピは秘密なんですが、
   コツはたっぷりの愛情を入れること、だそうですよ。」

男は一瞬、驚いたように目を見開くと、
ふっと優しい笑顔を浮かべてから

「ごちそうさまでした」

と言い残し、店の戸を開けた。




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考え之介
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