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『インドと夢と命』
【あの日】
アイツが死んでからもう少しで8年目を迎える。命日が近づくと否応なしに、苦い過去を思い返してしまうもの。
アイツがインドで「死んだ」--この報を受けた時、当時のぼくは固まってしまった。知人や友人、親族を失った方ならお分かりになるだろう--。衝撃に抗(あらが)うかたちで、現実を非現実化してしまう、あの一瞬の反応は。
あくまで一瞬にしかすぎないのだが。
あまりにも信じられない、もしくは信じたくないことは、現実ではないと振り払おうとするのが本能なのかもしれない。このリアクションが1次反応なのかもしれない。次に待っているのは、対峙なのに。
--お通夜で直面した、正気のない死体。胸が締めつけられるで形容できないほど苦しい思いだった。現実に対面して苦しむのだ。
考えてみてもほしい。
最後に会った時に笑っていた人間がたった数日で無表情の姿になる。口は笑わないし、目は開かない。交信もできない。
日常が一瞬にして非日常に化した現実を受け止めようとすると、井戸の底から汲み上げられるように、悲しみが無尽蔵に溢れ出てくる。それが涙となって頬を伝う。
ショックや悔しさ、憎い、悲しい……とあらゆる負の感情が渦を巻く。怒りを覚え、喪失感に苛まれ、他人を必要としながらも拒絶する--。大事な人を亡くした時の、2次的な反応なのかもしれない。
【アイツと俺】
ここで「アイツ」とアイツの死について、本人の名誉を傷つけない範囲で書く。
同級生だった。高校を卒業し、ぼくとアイツは大学に進学。大学にいた時はお互いがあまり連絡をとらなかった気がする。たまに遊んだりする程度。二人とも大学で友人をみつけ、別の交友が広がっていった。
と、思いきや、やや違うようだった。
アイツは薬物を濫用し、濫用に苦しんでいたようだ。色んな見方や経験があると思うので、無責任には言えないが、薬物で入院するほど心身が悪化すると、連絡はとれないし、とらないのが無難だ。
そんな腫れ物的な期間は過ぎ、アイツは無事に薬物の呪縛から解放された。クリーンに近づいたころからだ、本格的に遊ぶようになったのは。当時のぼくらには金もコネもないし、女もいない。アルバイトをしていたものの、安定した収入すらない。
気がついたらアイツは、完全にクリーンになっていた。こちらも「おかしくなる」リスクがないものだから、町を半病人みたくともにうろついていた。
逸れるが、不安とネオンは相性がいいのかもしれない。
先行きが不透明な不安をネオンに照らしていたのかもしれない。ぼくはネオンの灯す町に、アイツといることで不安をかき消そうとしていたのかもしれないのだ。
神奈川某所、雑居ビルと風俗の立ち並ぶ寂れた地方都市--。そこに救いを求めていたのかもしれない。一人でいるのが寂しいから、アイツとネオンのもとで、不安をいっしょに振り払おうとしていたのかもしれない。
ところが、アイツは町のネオンより異国のインドに魅せられていた。
そこに永住し、ネパールにも行き現地で新たな生活を送る--。覚せい剤にも溺れていた時期--傷のある過去を背負って生きる、アイツはアイツで再建する計画があったのかもしれない。
そのプランをぼくは前向きにみていた。なんなら、後ろを押したいという、お節介な気持ちもあって、一緒に計画を練っていた。
正直にいうと、アイツはインドや周辺国で大麻を吸いたい気持ちもあったよう。懲りない、とも思えるし、大麻くらいなら、とも思える。半々の気持ちで、スリップしてハードドラッグによる生き地獄をみないようにとだけ、願っていた。
「ガンジャがいいんだよね」
「俺は良さが十分わからないからパス。けれども合法化の国もあるね」
「インドで大麻はさ……」
といった具合にあわよくば「そちら」も楽しもうという気でいたのだろう。まあ、ここは自己判断でハードドラッグに走らなければいいんだけれども、みたいなニュアンスで返していた覚えがある。
そんなこんなでインド永住計画も練り上がって、出国前にぼくの家で送別会いをした。正直、何を話したのかは覚えていない。ただ、「気をつけろ」「たまには日本に帰ってこい」のようなことを言ったのは記憶している。
アイツはしきりに、胃が痛いと訴えていた。なにかの兆候かとも思えたが、なにせソフトからハードドラッグまで覚えたヤツだ。十二指腸が悲鳴をあげてもおかしくはないと、冷淡にもかわしていた。
あとづけだが、なにか悪しき変化の予兆だったのかもしれない。もう少し話を聞いても良かったとも思える。日本にいたら違う結果になっていたもしれないのだから。
送別会からたった4〜5日後だった。
【まさか】
「アイツがインドで死んだ。死因は不明」--。色いろな推測ができてしまうものだから厄介だ。変なクスリでも喰ったかもしれないし、もしかしたら、そこで自死するのが目的だったのかもしれない。真相は闇の中というわけ。
憶測が憶測を呼ぶとキリがない。ただ、旅行に同伴したヤツがいた。ソイツの口から全て聞き出して、死なせなかったことにお灸を据えようと怒りに燃えた。ソイツは通夜にも来ず、今でも恨んでいる。すべてを語れ、と口を無理矢理にでもあけたいくらいだ。
半面、身近なところで身近な人が死んだことに対する自責の念に苦しんでいるのかもしれない。そう考えると、青い怒りなんて自分のワガママなんだけれども。とはいえ、相手の苦悩に寄り添えるほど優しく出来なさそうな気がする。
3次の反応は怒りに染まっていた。
無責任にも天に昇った、アイツへの怒り。事実が明らかにならないことへの怒り。ともにいたソイツが何も語らないことへの怒り--。この怒りが自分本意なのは重々承知で、自分にも怒るという、怒りの循環。
これではにっちもさっちもいかない。
怒るのには多大なエネルギーを割く。文字通り体力が削られていった覚えがある。エネルギーが枯渇しかけると、喪失感--自分のなかになにもないと、無力感に打ちひしがれる。
空っぽだ。そうすると、複雑な感情から涙が出る。悲しみから出るそれとは違う。振り返れば、自分本位にいかない悔しさから出る涙だったのかもしれない。
その矢先のことだった。
アイツの没後から連絡を取っていた、アイツの妹さんから叱咤に近いエールをもらえたのは。やりきれなくなったぼくは妹さんに連絡をした。
文面は下記のような内容と記憶している。
--このままでは悲しくて仕方がないです。天に昇ったアイツに早く会いたい。でも生きていたい。苦しいです
--〇〇さんの今の姿を兄が見たら喜ぶでしょうか?辛くても私は前に進みます。それが供養と思えますので
--わかりました。アイツを考えずに失礼なことをしました
といった運びだった。
正直、妹さんの言葉に苛立ちを覚えたのは事実--なんで俺の気持ちが分からないんだろう?といった気持ちだった。けれども、冷静に考えると言い得て妙で、ぼくが「失望」なんかに酔っているだけだったのかもしれない。
その姿を見てアイツは笑い飛ばすだろうか?
その姿を見てアイツはキレないだろうか?
と、思いをめぐらせたら、妹さんのその言葉にぼくは救われた。--生命はなくとも、故人とつながってはいるのだから。大事な点を見落としていたわけだ。同時に大事な点を胸にしまうようになったキッカケでもある。
これが4次反応なのかもしれない。現実の受容とアイツを思うこと。歩を止めないのが、一番の弔い方と学ぶこと--自分だけではない。そう得心できてからは、軽やかになっていった気がする。
アイツの死を無駄にしない。キザったいかもしれないけれども、そう確信できそうになったら、生きるだけ。前に進むだけ。クヨクヨすることがあっても、先は必ずある。そう信じる。
心でアイツは生きていると思えてから、複雑な感情の殻を抜け出し自分で歩けるようになった気がするのだ。
大きなものを背負う必要はない気がする。大事なのは心のつえだけなのかも。
【結局は】
生まれるタイミングは自分で選べない。
没するタイミングは読めないし自分で選べたりする。
みとるタイミングは選べない。
選べないものもある。選ぼうとするのは高慢なのかもしれない。折り合いがつけられず、もがいていた時期を乗り越えられたかというと、やや違う。いまだに涙する時もある。
悲しみも抱きしめて前に向かえばいいのさ。
***
もし、見ているなら、教えてくれよ。元気でやっているのかな?
そっちの生活には慣れたのだろうか。いつか俺もそちらにお邪魔する。その時には、青色のダイキリでも飲もう。残念ながら日本では大麻は非合法だけれども、天国で好きなだけ自由にジョイント回せているか?煙は濃いのかな?
バカと煙は高く昇るなんて言うけれど、お前は高いところに行きすぎたな。寂しいよ、本音はね。
そういえば、ボブ・マーリーの自伝的な映画を観にいったよ、Tと。まあ、ラスタファーライやら、ヤーマンの意味はわかるようなわからないような感じ。
マーリーの"SO MUCH TROUBLE IN THE WORLD"にすっかりハマってしまった。どこにいってもトラブルは絶えないのかもな。一緒に聴きたいね。歌詞を引用すると、”Sun is on the rise again"--「陽はまた昇る」みたいだね。そっちは晴れかな?
なんにせよ元気ならそれでいい。
俺はぼちぼちやってるよ。
俺はこっちでやることやる。そっちに行くにはまだ早いよ。お邪魔する時が来たなら、たくさんの土産を持っていく。
遠慮は要らないからな。
また会おう。
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(了)