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「脳内お花畑かよ!」について話したい。

社会人ならば1度は「脳内お花畑かよ!」という言葉を耳にしたことがあるだろう。

基本的に余り響きの良くない、できる限り聞きたくない言葉である。

私もこの言葉に嫌悪している中の一人だ。


「脳内お花畑かよ!」


これはネットスラング用語の1つで、社会の荒波に苦悩している人が多い中、まるで「お花畑」にいるように、頭の中が幸せに包まれている人をさすそうだ。

戦争 不況 災害 犯罪 自己防衛 そして今回のコロナ禍。

それらに常にアンテナを張っている人からしてみたら、この「脳内お花畑状態」の人を見ると、やり場のない怒りを感じるだろう。

その気持ちは場合によっては分からないでもない。


毎日、職場で不当な扱いを受け、ストレスMax状態での移動途中に「レレレのおじさん」に呼び止められ

「お出かけですかぁぁ?」

等と言われたのなら、時と場合によっては、そのホウキを口の中に突っ込みたくなる衝動に駆られるだろう。

しかし、だからと言ってその自身との「温度差」を他人にぶつけるのは如何なものか。

これを仕事で例えるなら、経営に苦悩奮闘している「社長」と、お小遣い稼ぎでその職場で働いている「パート社員」ぐらいの温度差だ。

「パート社員」が「社長」と同じ重圧で仕事などできる訳がない。

(もしできるのなら、その人間はもう「経営者」だ。)

仮に「パート社員」と同じ時給で「社長業」ができるだろうか?

「社長」とは「ハイリスク」のかわりに「ハイリターン」を受けられる役職と私は解釈している。(自分の報酬は自分で決められる)

つまり「重圧」を受けて苦悩奮闘することは当然なのである。(何の話し?)


「日本人は脳内お花畑だからな!」


基本的に、この「脳内お花畑」という言葉は日本人が使う言葉(文章)だと認識している。

だが、稀に「日本人は」という「日本人全体を」指すような表現をする人がいる。

その人は「日本人」ではないからそう言えている。

そのように解釈して間違いはないだろうか?

仮に同じ日本人、ヤマト民族が、日本人全体に向けて「日本人は脳内お花畑だからな!」と言っているのなら、つまり日本人を代表しての「自虐ネタ」と捉えるべきなのであろう。

このような「自虐ネタ」は欧米辺りで「大ウケ」しそうだ。


「脳内お花畑ではなかった。」


ここである話を紹介したい。

それはA太郎さんという独身中年男性の話である。

A太郎さんは、いつも笑っていて、悩みなんて何もなさそうで、職場では冗談ばかり言っている大変「めでたい」人だった。

たまに他所でお見掛けする「お通夜や葬儀等」には決して向かないタイプの人であった。

その為か「脳内お花畑かよ!」と職場の上司に揶揄されることもあった。


しかしある日、そのA太郎さんの「裏の顔」が知られてしまうの出来事があった。

それはA太郎さんの「お母さん」の悲報を知った時だった。

実はA太郎さんは「認知症」を患っているお母さんと2人暮らしをしていた。

その為、昼は「ヘルパーさん」に介護を任せ、夜はA太郎さんが受け持っていた。

会社から帰宅して、夜は親の介護。

気を休める時間がない日々を数年過ごしていた。

そんな彼の「裏の顔」を職場の人達は誰も知らないでいた。

「せめて職場では、明るくしていたかった。」

A太郎さんは後にそう語っていた。


「脳内お花畑」をまとめる


「脳内お花畑」この言葉は常に危機感を持っている「野生動物」のような人が言える言葉だと思う。

生きるか死ぬか。

狩るか狩られるか。

このような思考で日々生活している「ホモ・サピエンス」は一体どのくらい存在するのであろうか?

終戦を知らず、グアム島で28年間生活をしていた「横井正一さん」ぐらいだろう。(日本人ならば)

つまり、私がこのnoteで記したいことはたったひとつだ。

それは

「他人との違いを受け入れろ」ということである。


終わり

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