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俺たちよー、桜にされてんじゃねえよな。

人の思惑とは別のところで季節は巡って誰彼に関係なく流れていく。

あらゆる事象は関係なく、時間という概念すら怪しいほどクルクル、来る繰ると幾星霜回り続ける。

あと何回、回れるか分からない四季の中で僕たちはダンスを踊る事しかできない。

それが死期のダンスだったとしても僕たちは自然を咎める事は出来ない。人間である以上、生物である以上、時のカルマからは逃れられない。

通り過ぎてしまった時間と悠久で遊ぶだけ。

ただ、腑と思い出す。

川沿いに咲いていた桜、保育所の裏に咲いていた桜の花。

誰の、いつの記憶だろうか。そのどれもが懐かしく春の日差しの様に暖かい。

そうだ、僕たちはいつの時代の情景にも自然と共に生きてきた。人間主体の固定概念はあの春の日差しのもとに、僕を連れて行ってくれるのだろうか。

満開の公園で出会ったあの子は今も季節の一部だ。

桜にされているんじゃなくて、これからの桜になってゆくのです。

そうあれかし。


雪が似合う、ある春の日のお話。

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