断片的な前世の景色 戦国時代編

遠くで幾つも叫び声があがる。バタバタと近づいてくる足音、襖の向こうで小さな悲鳴が上がり、どさりと重たい何かが倒れる音がした。

空気に焦げた臭いが混じりはじめた。近くで火の手が上がったらしい。火事を知らせる叫び声や逃げ惑う女たちの悲鳴が風に乗り遠く近く暗い夜を流れていく。

かたり、と小さく襖が開く。覗き込む黒い頭巾の目許が思いの外若い。少年なのだろうか。するりと無駄のない動きで音もなく部屋に入り込んできた。

貴女を迎えに来ました。
私と共に新しい都へ向かいましょう。

少し掠れた声。もしや少女だろうか。手足を引き絞って、身頃はゆったりした隠密着は性別を諮りにくい。私が黙りこんだまま動かずにいるとそれを受諾と受け取ったのか隠密はするりと立ち上がり私の目の前に再び膝を折る。

そのお召し物は目立ちすぎます。どうぞお召し換えを。

背中の風呂敷を下ろし粗末な着物を広げて見せる。それでも私は動かない。一人で着替えをしたことなどないのだ。お召し換えと言われて理解したとして、自力で着替えることなど出来はしない。

これで何度目だろう。風に乗り噎せ返るような血の臭いが鼻先にまとわりついてくる。襖の向こうにはつい先程まで私の世話をしてくれていた侍女が突然に命を奪われて倒れているのだろう。いつもそうだ。さも希望であるかのようにあなたは振る舞うけれど、今しがた私の世界のすべてであったあの侍女の命を奪ったのはあなただ。私と世界の唯一の繋ぎ目はもはや失われてしまったのだ。この部屋と外の世界を繋いでいた繋ぎ目が。

けれど私にはこのさきの未来が見えてしまう。この戦は負ける。私は主を失った。ここに彼が来た瞬間、私にはわかった。私は彼と共に山道を目指す、そして私を守って彼が死に、彼の死後すぐに私はなぶりものにされ殺される。そして、彼が戻らないことで、彼の一族郎党はすべて皆殺しにされるのだということも。

あなたはもうすぐ死ぬのです、と、彼に告げる。
私もその後にすぐ死にます。だから私は今ここで死んでもいいのではないですか。どうせ夜を三つ越えたら私とあなたは盗賊に襲われて死ぬのです。私はあなたが死んだ後になぶりものにされるのです、それなら今ここで私が死んでも何一つ結末は変わらない、だから今死なせてください。

彼は一瞬驚いたように目を見開いて動きを止めたけれど、すぐに思い直したように、ではこの道はどうでしょう?と新しい逃げ道をいくつか思い描いて見せた。私は首を横に降る。先程からの戦で山へ逃れる侍女を狙って、盗賊が山道を塞ぎ始めている。ここから山を抜ける道はもはや、すべて彼らの配下にある。

私が首を横に降り続けるので、彼は諦めたように一度嘆息し目線を落とす。ふいに思いの外近くで女の悲鳴が響き、彼ははっとして我にかえる。そして、与えられた時間の少なさに気がついて、どうかお召し換えを、と再び私に服を差し出す。一人で着替えたことなどない、侍女を呼びなさい。そう告げると彼ははっきりとと眉をしかめて小さく舌打ちする。これだから箱入りは、貴族めが。険しくなった瞳がいう。私は貴族ではない。望んで箱に入れられたわけでもない。しかしそのようなことは彼には全く関係のないことだ。

すこし躊躇いながらも彼は私の帯に手を掛け、するりと解きほどく。その後は手早く重なる着物をほどいていき、薄い着物を着せ掛けてきた。

着替え終わると彼は背中を向けてしゃがみこむ。おぶされということだろう。私は小さく嘆息して彼の首もとに手を廻す。触れた肩の骨の固い感触から、このひとはやはり少年であったのかとふと思う。

私を背負い立ち上がるとふいに思い付いた様子で、私の里に向かうのはいかがでしょう、と小さく呟いた。その言葉を聞き頭の中に彼の里の景色が広がる。隠密の里はその在処を悟られぬため、常に移動を続けるという。粗末な組み木の家と、小さな焚き火、丈の合わない古い着物姿の、それでいて楽しげな子供たちが遊び回るのが見える。

里は移されたばかりのようだけれど、あなたに見つけられるの?と訪ねると、彼の鼓動がぎくりと跳ね上がる。しかし私の性質をよく言い聞かされてきたのであろう、すぐに心を沈めて答えてくる。

はい。里の位置はいくつかに絞られています。次の移動先も大体は予測できますその声を聞き、私は初めて二人が生きてその場所にたどり着く景色を視た。

そうね。其処ならば、たどり着けるかもしれない。

私の声を聞き、彼の目に力がこもる。やっと見つけた希望に声が明るくなる。

わかりました。それでは私たちの里に向かいます。

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