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【第8章】ミタマ磨きとは②
2023年10月出版『日月神示に学ぶ ひふみの生き方』の全文を各章・各チャプターごとに掲載しています。
今回は、第8章『ミタマ磨きとは』中編を掲載します。
◎苦労はあっても苦行ではない
ここ(地球)はまず苦労、
その苦労に勝ちたら、
己に勝ちたら魂磨けるぞ (海の巻・第一帖)
誰一人、悪いわがままの癖持たん人間ないぞ。
その癖を直して行くのが、
皮むくことじゃ。改心じゃ。
弥栄行くことじゃ。(黄金の巻・第十九帖)
神に任せ切ると申しても、
それは自分で最善を尽くして後のことじゃ。
努力なしに任せるのは悪任せじゃ。
むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、
悔しくなったりするのは、
まだめぐり(カルマ)あるからじゃ。
めぐりの霊界との因縁が
切れておらぬからじゃ。(春の巻・第二十六帖)
ミタマ磨きのために大切な『5つの心、5つの態度』を紹介しましたが、これらはあくまでも指針であり、戒律や規律ではありません。
神示には、「戒律を作ってはならん、戒律がなくてはグニャグニャになると思うであろうなれども、戒律は下の下の世界、今の人民には必要なれどいつまでもそんな首輪はいらんぞ」(五十黙示録・扶桑之巻・第二帖)とあり、また「神に融け入れと申してあろう、戒律出来るから分からんのじゃ」(秋の巻・第二十二帖)ともあるように、これらの指針が「ねばならない」になってしまえば、理屈を捨てて「うれしうれし」の世に向かう道も本末転倒になってしまいます。
今生における私たちの主眼は、過去のめぐり(カルマ)を晴らし、宇宙の理に則った生き方に立ち返ること(神人合一)であり、それに伴うミタマ磨きのプロセスにはそれ相当の苦しみや試行錯誤が伴います。
しかし、あくまでも生命の営みの本質は「喜び」です。
神示には「苦を楽しめよ」「楽しむと伸びるぞ」ともあるように、あくまでも自分の現実は自分の意識が創っているという「波動エネルギーの法則」を念頭に置き、あまり難しく考えず、気負い過ぎず、楽しみながら取り組もうとする姿勢こそが大切なのです。
また、「残り一厘」の神の働きで世の中がひっくり返ると言っても、それが単なる他力本願の神頼みになってしまっては意味がありません。
「神と人」の統合とは、「自力と他力」の統合(バランス)でもあります。
「努力なしに任せるのは悪任せ」とあるように、神にも自分自身にも真剣に対峙することなく、「ミロクの世が来るらしい」と片耳で聞いては傍観している人や、真理・真実を学ぶ努力を怠り、耳障りの良いこと、自分に都合の良いことばかりを信じようとする「我良し」(自分さえ良ければいい)の人のもとには決してミロクの世は訪れないのです。
◎ミタマを磨くとどうなる?
省みる時を与えられたのじゃ。
ミタマ磨きさえすれば何事もハッキリと映って
楽に行ける道がちゃんと作ってあるのじゃ。
その人その人に応じて、
いかようにでも展け行くぞ。(補巻・月光の巻・第四十七帖)
めぐり(カルマ)果たしたものから、
うれしうれしになる仕組み。
そなたの心配一応は無理ないなれど、
どこでどんなことをしていても、
ミタマ磨けてさえおれば、心配なくなるぞ。
心配(するの)は、磨けておらぬ証拠ぞ。(補巻・月光の巻・第三十六帖)
天から声あるぞ、
地から声あるぞ。
ミタマ磨けばよくわかるのざぞ。(松の巻・第二帖)
この神示よく読みてくれよ、
読めば読むほど何もかも分かりて来るぞ (上つ巻・第十四帖)
では、『5つの心、5つの態度』を実践し、ミタマを磨いて行くと、私たちの心や体はどのように変わって行くのでしょうか。
私たち人類は長らく宇宙の理に反し、ミタマを曇らせて来たため、人が生きる上で最も大切なことや、自分自身に課して来た魂の目的すら思い出せない盲目の状態で人生を生きて来ました。
しかし、『5つの心、5つの態度』によってミタマを磨き、曇りを取り払うことで、肉体と魂が一体(神人合一)となり、魂の視点で世界を眺め、魂の声に従って人生を生きることが出来るようになるのです。
これまで私たちは、宇宙の理に沿った「本当の正しさ」や「本当の豊かさ」を知ることなく、悪の世のもの差しや価値観に翻弄され、苦しみ続けて来ました。
しかし、一日一日ミタマを磨いて行くほどに、「何事もハッキリ映る」「何もかも分かりて来る」という神示どおり、世の中の本当の善悪や道理が直感を通してわかるようになり、その時々に取るべき行動、なすべき対処が自ずとわかるようになるのです。
また、人間としての本来のポテンシャルを取り戻し、魂が求める仕事、魂が求める能力(霊能力を含む)をそれぞれの形で開花させて行くこととなり、本来の意味での「神懸り」の状態(神の入れ物)になることで様々な御用が降りるようになるでしょう。
また、「この神示よく読みてくれよ、読めば読むほど何もかも分かりて来るぞ」とあるように、興味のある方は『日月神示』の原文(訳文)はもとより、『日月神示』の内容をよりわかりやすく理解することが出来る『よひとやむみな』や、『日月神示』の続編とも言える『大日月地神示』を読まれることをお勧めします。
◎すべては自分自身との和合
自分と自分と和合せよと申すのは、
八人、十人のそなた達が和合することぞ。
それを改心と申すのざぞ。
和合した姿を善と申すのじゃ。(白銀の巻・第一帖)
何もかも皆友じゃ、皆己じゃ。
皆々己となれば己はなくなるぞ。
己なくなれば永遠に生命する
無限の己となるのじゃ。(補巻・月光の巻・第五十六帖)
ここまでも述べて来たように、私たち一人一人は皆、創造主から分かたれた神の分身であり、宇宙に生きるすべての存在はもともと「一つ」です。
また、前記した「祖先は過去の自分であり、子孫は新しき自分、未来の自分であるぞ。兄弟姉妹は最も近き横の自分であるぞ。人類は横の自分、動、植、鉱物は更にその外の自分であるぞ。切りはなすこと出来ん」という神示にもあるように、私たちという存在は、あらゆる他者が領域、時間、器をまたいで分かちがたく繋がり、共に連動しながら働き合っている「集合的自分」なのです。
つまり、「自分と自分と和合せよと申すのは、八人、十人のそなた達が和合することぞ」、あるいは「一人改心すれば千人助かるのぞ」(富士の巻・第十二帖)といった神示が示しているのは、自分の中の分離意識の調和を図ることは、イコール先祖や前世といった過去の自分、子孫や来世といった未来の自分、守護神や守護霊といった別次元の自分や自分に最も関連した多くの存在たちがめぐり(カルマ)を晴らし、調和に至るということであり、他者とまつり合い、調和を図ろうとすることは、同時に自分自身のめぐりをも晴らし、自分の内側を調和して行くこととイコールだと言うことです。
また、前記したように「むやみに腹が立ったり、悲しくなったり、悔しくなったりするのは、まだめぐりあるからじゃ」「心配(するの)は、磨けておらぬ証拠ぞ」とあるように、日々自分の中の分離意識(ネガティブな思考や感情)を手放し、『5つの心、5つの態度』を実践しながらミタマを磨いて行くほどに、過去のめぐりは解消され、不安も心配もない「うれしうれし」の人生が開けて行くのです。
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