【第6章】素直な心
2023年10月出版『日月神示に学ぶ ひふみの生き方』の全文を各章・各チャプターごとに掲載しています。
今回は、第6章『素直な心』を掲載します。
◎「素直さ」こそがミロクの世への鍵
世界中の人も草も動物も助けて
みな喜ぶようにせなならんのざから、
人民では見当取れん永遠に続く神世に致すのざから、
素直に神の申すこと聞くが一等ざぞ。(天つ巻・第十六帖)
この神示は世に出ている人では解けん。
気狂いと言われ、阿呆と言われても、
神の道、素直に聞く人民でないと解けんぞ。(日月の巻・第三十六帖)
私たちが〈闇の時代〉を終わらせ、〈光の時代〉であるミロクの世に入って行くために重要なもう一つの要素が「素直さ」です。
神示では、この「夜の周期」から「昼の周期」への移行は、日本神話の天照大御神の逸話で知られる「岩戸開き」のことなのだと言います。
この「岩戸開き」は、銀河のサイクルによって過去にも何度も起こっていますが、今回の岩戸開きはさらに大局的な宇宙のサイクルとも重なっており、過去数回において完全に開くことが出来なかった岩戸開きの集大成であるため、そのプロセスの内実は私たち人間はもちろん、地上の神々や多くの宇宙存在たちも把握していない元なる神々の計画によるものなのだと言います。
私たち人類は、このまま放っておけば地球への破壊行為と戦争を繰り返し、間違いなく自滅の道へと突き進んで行くでしょう。
しかし宇宙の元なる神々は、それをどうにか阻止し、地球の浄化における大難を小難に変え、一人でも多くの魂を〈光の時代〉へと移行させようと、天地の神々総出による協力のもとこの宇宙始まって以来のご慈悲を注いでくれているのだと言います。
ですから、事の詳細をわかろうはずもない私たちが、人間次元の考えでああでもないこうでもないと理屈や文句を言わず、素直に元なる神の言葉を受け入れ、宇宙の原理原則に立ち返ってくださいと、神示では何度も繰り返し語っているのです。
「神界のことは顕界(地上界)ではなかなかに分かるものでないと言うこと分かりたら、神界のこと分かるのであるぞ。一に一足すと二となると言うソロバンや物差しでは見当取れんのざぞ」(地つ巻・第二十一帖)とあるように、私たち人間がこの世の理論や計算ですべてを理解したような気になっているその傲慢さを捨て、高次元の意思や宇宙の真相などそう簡単に理解出来るものではないという畏敬と謙虚さを持ち、誠の神だと信じたらそれにきっぱりと従う「素直な心」を持つことこそが、固く閉ざされた岩戸を開き、ミロクの世へと赴くための最も大切な態度なのです。
◎理屈なしに親を求める「生まれ赤子」の心
神は理屈ではない。理であるぞ。
生きた自由自在の、見当とれん絶対であるぞ。
ただ求めるより他に道ないぞ。
親呼ぶ赤子の声で神を求めよ。神に呼びかけよ。
すべてを投げ出せよ。任せ切れよ。
神は喜びの光となって、
そなたに現われて来るぞ。
理屈の信仰に囚われると邪道。
赤子心の理解は第一ぞ。(黒金の巻・第二十六帖)
学出すから、我出すから行き詰まるのぞ。
生まれ赤子と申すのは
学も我も出さん水晶のことぞ。(黒金の巻・第十一帖)
理屈なしに子は親を信ずるぞ。
その心で神に対せよ。(夏の巻・第十帖)
神示には、「赤子の心」「生まれ赤子の心」という表現が何度も登場します。
神(創造主および元なる神々)は万物の親であり、人間や宇宙のあらゆる存在はその子供たちなのだから、生れたばかりの赤ちゃんが理屈なく親を求め、すがりつくように神を思い、神に対峙しなさいと神示は言います。
「素直になれんのは小才があるからざぞ。鼻高じゃからざぞ」(雨の巻・第十五帖)ともあるように、頭の切れる人や理論に長けた人は、つい何もかも理解出来たような気になり、それが慢心になってしまうことは良くあることです。
今のインターネットの世界を見ていても、理論理屈は得意でも、それで人々を論破しては見下し、風を切って歩いている無神論者たちが大勢います。
神示には、「どんな理屈も成り立つが、理屈ほど頼りないもの、力にならんものないぞ。理が神の御能ぞ」(黒金の巻・第三帖)とあるように、最も大切なのは宇宙の理であり、宇宙の原理原則に沿った理論でなければそれはただの理屈に過ぎず、どんなことに充てがっても表面的な解決にしか至らないのだと言います。
◎神力と学力のとどめの戦
今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。
神力が九分九厘で負けたようになった時に、
誠の神力出して、ぐれんとひっくり返して、
神の世にして(中略)
天地神々様にお目にかけるぞ。(下つ巻・第二十帖)
理屈で神を割り出したり、
そろばんでハジキ出したり、
今の鼻高さんはしているなれど、
どこまで行ってもわかりはせんぞ。
土耕す祈りに神の姿現われるぞ。(春の巻・第十九帖)
学や智捨てて、天にむかえ。
地にむかえ、草にむかえ、
生物にむかえ、木にむかえ。(松の巻・第二十八帖)
〈闇の時代〉を終わらせ、〈光の時代〉であるミロクの世に移行するためのこの岩戸開きのプロセスは、「神力と学力のとどめの戦」なのだと神示は言います。
今までの人間社会は、神を排除した人間中心の社会、宇宙の理を忘れた現世主義、物質至上主義の社会であり、この世の理論理屈に長けた人々が評価され、重宝された「学力の世」でした。
また、宇宙の理や神の声を伝えるはずの宗教も、悪神や悪霊、時の権力者たちに都合の良い方便にされ、大衆は彼らの巧みなレトリックによって支配され、操られる悪の世でした。
しかし、その理論理屈の「学力の世」が行き着くところまで行き着いた時、この世の頭ではどうにもならないことに人々が気づき始め、宇宙の理である「神力」に立ち返り、世界はどん底の状態から再起して行くのだと神示は言います。
「学問の世は済みたぞ、学者は閉口するぞ」(空の巻・第十二帖)とあるように、この世の理論理屈、神なき科学や計算式だけで世界の道理をでっち上げ、人間次元だけの考えで物事の価値や良し悪しを決める時代は終わったのです。
学歴がものを言う社会や、学力による能力主義、成果主義、あるいは社会的成功こそが人生のゴールであるとする競争社会、優劣思考の時代は終わったのです。
私たちは今こそ宇宙の理に立ち返り、人間の頭では到底理解出来ない神々の意思、宇宙の働きに畏敬と感謝の心を持ち、「赤子のような素直な心」で従うべき時を迎えているのです。
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