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【第9章】来るべきミロクの世①
2023年10月出版『日月神示に学ぶ ひふみの生き方』の全文を各章・各チャプターごとに掲載しています。
今回は、第9章『来るべきミロクの世』前編を掲載します。
◎日月神示で予言された現代の日本
日本の国は一度つぶれたようになるのざぞ。
一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ。
その時にお蔭(神の加護)を落とさぬよう、
シッカリと神の申すこと
腹に入れておいてくれよ。(上つ巻・第九帖)
いよいよとなれば、
外国強いと見れば、
外国へつく人民たくさん出来るぞ。
そんな人民一人もいらぬ、
早う誠の者ばかりで
神の国を堅めてくれよ。(上つ巻・第二十二帖)
神の国の経済はもの生む経済ぞ。
今の政治はもの壊す政治ぞ、
神の政治は与える政治と申してあろが。(日月の巻・第六帖)
『日月神示』における最初の神示が降ろされたのは昭和19年であり、日本はその後、太平洋戦争の戦死者の9割を占めると言われる劣悪な戦況と、全国述べ1千回を超える空襲、そして広島、長崎への原爆投下を経て敗戦を迎え、続く戦後復興からの未曾有の経済成長、そしてバブル崩壊から現在に至る長期的不況と、実に様々な艱難辛苦を経験して来ました。
神示では、この戦後80年にわたる日本社会の様相が事細かく予言され、様々な局面に対する指摘がなされて来ました。
「ジャパン・アズ・ナンバーワン」とも言われ、アメリカに次ぐ世界第2位の経済大国となった戦後の高度経済成長は、現在でも日本人が世界と肩を並べた誇らしい実績として美談のように語られています。
しかしその実態は、古くは弥生時代から始まる所有の概念や争いと分断の歴史、中国、西欧、アメリカと時代を下るほどに増して行った他国の文化・文明への追従が極みを迎えた時代であり、私たち日本人が自国の文化や精神を根こそぎ捨て去り、「エコノミックアニマル」と揶揄されるほどに拝金と競争(弱肉強食)という悪の世のルールに魂を売り渡した数十年だったとも言えるでしょう。
古来から私たち日本人が重んじ、大切に守って来た社会とは、自然や神々とまつり合いながら恵みをいただき、その恵みを他者と分け合うことで調和を図る「与える政治」であり、現代の資本主義社会のように、競い合い、奪い合い、搾取されるばかりでいつまで経っても幸せになれない「もの壊す政治」ではなかったはずです。
かつて私たちは、目に見えずとも、誰に言われずとも天地の神々を敬い、感謝し、生きとし生けるものすべてに神性を見出し、慈しんで来ました。
しかし、人間中心、経済中心、物質中心の社会が極まった現代において、神は神社仏閣で人々の私利私欲を叶えるだけの小間使いになり下がり、さらには「一度は神も仏もないものと皆が思う世が来るのぞ」という神示どおり、神仏排除、神仏アレルギーの世となり、「神」や「仏」という言葉を公に口にすることすら出来ない、もはやどこにも神のいない末法の世を生きているのです。
人間の勝手な都合で自然や生態系を破壊するだけ破壊し、しかしその上に現代の都市生活が成り立っていることに私たちは目を向けようとしません。
敬意も感謝もないまま毎日大量の生き物を殺し、機械的に商品化する工業畜産や過剰漁獲の実態、あるいは輸入に依存するあまり一向に改善しない国内自給率の問題すら多くの人が知らないまま、日々当たり前のように大手スーパーの食材を無作為に選び、口にしています。(そして過剰に作られた食べ物の多くが毎日大量に廃棄処分されているのです)
かつては四季折々の風景や草花を愛で、季節の鳥や虫の声を聞いては美しい歌を詠んでいた私たち日本人は、今では空や花を見上げることもなく、夏が来ればこの暑さはいつ終わるのだと不平を言い、冬が来ればこの寒さはいつ和らぐのだと文句ばかり言っています。
一日中下を向いてはスマホを睨み、目先の欲求、目先の生活、他人との比較ばかりに気を取られ、家に一匹の虫が入れば血相を変えて排除し、人間さえ良ければいい、自分さえ快適で幸せであればいいという、共生や調和とはほど遠い「我良し」の生活を送り続けているのです。
◎日本が九分九厘まで負ける時
今度の戦は神力と学力のとどめの戦ぞ。
神力が九分九厘で負けたようになった時に、
誠の神力出してぐれんとひっくり返して、
神の世にして、日本の天子様(天皇およびヒツグの民)が
世界まるめてしろしめす世と致して、
天地神々様にお目にかけるぞ。(下つ巻・第二十帖)
神の国は誰が見ても、どう考えても、
二度と立ち上がられん、
人民みな外国につくようになって、
この方の申した事、神示に書かした事、
みな嘘ざと申す所まで世が落ちてしもうてから始めて
神力現われるのざぞ、
人民、早合点してござるが
九分九分九厘と申してあろうがな (雨の巻・第十四帖)
神の国一度負けたようになって、
終いには勝ち、
また負けたようになって
勝つのざぞ。(松の巻・第七帖)
これまでも述べて来たように、神示には「九分九厘」という表現が何度となく登場します。
自然や神々とまつり合い、共生していた日本の文化や、日本人が本来持っていた「あなない」の心は、諸外国の悪神、悪霊たちの計画によって骨抜きにされ、日本の日本たる尊厳は九分九厘まで潰され、ボロボロになるのだと繰り返し予言しています。
この神示が最初に降ろされた戦中や、戦後右肩上がりに日本が豊かになって行った時代には、まだその全貌を理解することは出来なかったかもしれません。
しかし、その後80年にわたる日本社会の変遷を知っている今の私たちには、この黙示録の信憑性とその真意が、骨身に染みてわかるのではないでしょうか。
「神の国一度負けたようになって、終いには勝ち、また負けたようになって勝つのざぞ」とは、空襲、原爆、敗戦で一度ボロボロになり、その後、戦後復興と高度経済成長によって一転世界トップの経済大国に躍り出た後、再びバブル崩壊によってその座から転落し、30年におよぶ長期的不況に喘ぐことになる戦後の道のりを端的に表していると言えるでしょう。
今、私たち日本人は、かつての栄光に囚われたまま失意と絶望感に暮れ、日々メディアでは学力ばかりにものを言わせた知識人たちが、相も変わらず諸外国の水準と日本の現状を比較をしては「日本のダメなところ」「日本の遅れているところ」をあげつらい、どん底から這い上がれない日本人への叱責と自虐を繰り返しています。
そして今、ロシアのウクライナ侵攻を皮切りとして、世界の悪神、悪霊たちは再び日本を巻き込んだ世界戦争のシナリオを進めています。
核使用をもちらつかせ、古代文明やSFのモチーフでも繰り返されて来た最終戦争の様相を呈するこの局面こそ、神示で示される「九分九厘」のフェーズの重要な一面であることは間違いないでしょう。
しかし、安心してください。
日々天地の神々のご尽力、宇宙からのサポートや人々の覚醒によって、あらゆる大難が小難に抑えられています。
この情勢はギリギリの段階まで進むことはあっても、最悪の事態に及ぶことは決してないでしょう。
しかし、「陰極まりて陽となる」と言う言葉どおり、〈光の時代〉へと移行するためには闇が極まらなければならず、神の国である日本が底の底(九分九厘)まで落ち、現代のように「誰が見ても、どう考えても、二度と立ち上がられん」状態になって初めて残り「一厘」の神力が立ち起こり、「ぐれんと引っ繰り返る」と言われる善と悪、光と闇の反転が起こるのです。
◎2024年が「ミロクの世」の萌芽の年
神示には「子の年真中にして前後十年が正念場、世の立替えは火と水ざぞ」(磐戸の巻・第十六帖)とあり、ここで言う子の年とは2020年(コロナウィルス流行)にあたるとされています。
また、「新しき御代のはじめの辰の年、あれ出でましぬ隠れいし神」(五十黙示録・紫金之巻・第九帖)ともあり、この時系列における辰年である2024年に、悪の所業によって封じ込められていた素盞鳴尊がお出ましになり、いよいよ地の大神としての本来の活躍を始めるとされています。
つまりこの時系列によれば、前述した「九分九厘」のフェーズは2025年までに極みを迎え、2024年が来るべきミロクの世の萌芽の年(天変地異や世の中の大変動はしばらく続きますが)だと捉えることが出来るでしょう。
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